2022/4/30 女子教育研究会 吉野先生をお迎えしての読書会 概要

『女の子の「自己肯定感」を高める育て方』(吉野明著 実務教育出版)【読書会】

日時:2022/4/30 18:00~20:00

① ご著書の背景

 経営が苦しくなる女子校が共学化する学校も増加している。女子校として継続していこうという学校も含めて、多くの学校では「進学実績向上・女子の強みを活かした進路指導・GMARCHや模試学力を学力保証に」といった学校運営が昔も今も多いように思える。そんな中、吉野先生がこの本の中でご紹介されている1980年代に女子教育の本質から学校を変えていこうとお考えになった背景を伺った。

(吉野先生の講話内容)

        □ 進路指導部長と広報部長の兼務:入口から出口までを、部分ではなく全体として見る。

         □ 対処療法では必ずどこかに歪みが出る。パターン思考ではなくシステム思考で。

              □ 人生の原点としての中高6年間

              □ バブルに向かう日本経済と日本人の内面の荒廃がそのまま荒れた学校と繋がった時代

              □ 教育相談室の開設:外部からカウンセラーを招きカウンセリングマインドを教育に導入

              □ 受験指導<キャリア教育の重視:6年間の内省支援(HRノート・自分史:ポートフォリオ)

              □ 「まるごと一人の私」の成長

              □ 四科総合入試の導入

              □ 「鷗友版自己同一 性理論」⇒ 自己肯定感が高まるまでの成長モデル

 今でこそ学校にカウンセラーがいることも、キャリア教育という言葉も珍しくなくなったが、今から40年近く前から、現在の教育改革に通じる発想を先取りし、生徒1人1人の成長に丁寧に向き合う数々の実践に取り組まれていたことに、参加者一同大きな感銘を受けた。一方で類似した実践例がなぜ上手く機能しないことが多いのかについても、なぜ単なる「形だけを真似る」改革もどきでは教育の場は変わらないということも痛切に考えさせられた。それぞれが対峙する現場で生徒1人1人を観察し、時間を掛けて「耕す」といったマインドが教員には必要だということだろう。「新しい教育」といった実態の伴わないものに踊らされてはならないことを改めて感じさせて頂いた講話であった。

② 自己肯定感というキーワードを巡って

 まず本研究会のスタンスとして、「様々な女子校の課題解決=自己肯定感向上」といった安易な図式で考えることはしないことを確認。吉野先生はご自身の生きてこられた時代の自校の課題に取り組まれ、様々な実践例をお持ちだが、私たち現場の教員が今日それぞれの現場で抱えている課題は、類似したものもあれば、違うものもあり、時代とともに変わっていないものもあれば、大きく変わっているものもある。吉野先生の実践例から真摯に学ぶ姿勢は持ちながらも、時代も変わり、社会も課題も変化し続けている現代という時代の中で、女子教育の何を課題とし、教育のUpdateに取り組まなければならないのかを考える機会としたい。

(Q1)そもそも、「自己肯定感」というKey Wordだけで先生の様々な実践を語るのも大変だったのでは?

(A1)著書として出版する際の限界として、発達段階の違い、傾向、グラデーションなどは捨象された。本の中で語り尽くせぬことは多々ある。

(Q2)「自己肯定感の低さ」は結果であり、要因は別のところにあるのかも知れないのではないか?

(A2)そう思う。乳酸は疲労の原因ではなく疲労を回復させる物質であるのと同じ。自己肯定感を高めることは自己肯定感を低くしている阻害要因を排除すること。

(Q3)「自己肯定感が低い」ということは、果たして成長期のどの段階においてもマイナスなのか?

(A3)他者理解が伴わず、自己肯定感が高いのは問題。しかし、低いと向上心もわかない?多分、人生の選択をしなければいけない時期は高い方が良い。運動会の後など、達成感が高い時期に選択科目の希望調査をするとすごく前向きになる。また、鴎友学園では中学2~3年の時期を「中だるみ」として問題視するのではなく、。独自性も社会性も低い状態、自己肯定感も低い状態であることを理解して「拡散期」とし、否定的な見方をしなかった。成長期の一時的な自己肯定感の低下は覚醒し変化していくためにも通らざるを得ない経験かも知れない。ただ、その自己肯定感が低いままその後も過ごしてしまうことは大きな問題。特に女子は男子に比べても強く「社会規範」の影響を受けることで自己肯定感が低下しがちな傾向がある。「女の子らしさ」「点数至上主義」を求められることで自己肯定感が大きく傷つけられることに対して、大人の側が強く意識して接する必要がある。

(Q4)日経の全面広告に対して、国連女性機関がジェンダー平等推進の一つとして「「アンステレオ タイプアライアンス」と呼ばれる取り組みをしていることでの正式な抗議がありました。いわゆ る女性らしさや女子の特性みたいな差異の強調がジェンダー平等の流れといかに整合するのかが 気になります。この点は今後加速度的にクローズアップされると予想されますが、その点はどう お考えでしょうか。(事前に集めた参加者からの質問)

(A4)広告や教科書など、ステレオタイプを広めようとする動きについては、まったくその通り、 正しいご意見だと思う。 しかし、Genderギャップ指数などでも明らかなように、社会の指導者層を中心にまだ「女のく せに」「女だから」「女なのに」という意識が現実問題として残り、それが小さい頃から刷り込まれ、思い込まされている状況がある。地方の学校で講演すると痛切にそれを感じることが多い。「なぜできない女子に教えるのか」「女には無理な分野だ」「教えてもムダ」「男子の進学実績を上げるために、女子は無視しました」などという教員が共学の高校の、特に理数の教員には まだたくさんいるのが現状。その結果として多くの女性が排除され、不利益を被っている。その現実こそ批判されるべきで、その現実を直視し、そういう状態を指摘して何とかしようという動きまで、男女に二分する のはステレオタイプだとして排除しようとするのは間違っていると思う。teaching paradigmからlearning paradigmへの転換、教師・教科中心主義から 学習者中心主義への転換が求められる時代。教員の意識改革が進めば、全国の学校が、教員が、男子・女子として生徒を見るのではなく、一人ひとりを「まるごと一人の私」として見ることがで きるようになれば、あるいは、集団としてこうあるべき生徒たちではなく、個人をそれぞれ個別 の個性ある個人として見ることができるようになれば、「女らしさ」という枠ではなく、一人ひとりの「あなたらしさ」が求められるようになり、世間の「女らしさ」を打ち破るためにがんばってきた女子校は必要なくなるかも知れない。しかしそれまでは、女子が被る不利益を解消するために、共学校では力を開発されない女子のために、女子校は必要だと思うし、まだまだ先は長いのではないかと感じている。

(Q5)女子中高大を卒業してリーダーシップを発揮しても、企業の不平等と不条理に直面します。その ヒントをいただきたいです。学校教育が変わっても、社会が変わらない限り、今後も日本社会のジェンダー課題は解決しないのではないか?相変わらず酷い日本社会を前提にこれまで女子教育は何をしてきたのか?も改めて問われる必要があるのではないか?(事前に集めた参加者からの質問)

(A5)私もまったくその通りだと思う。でも、50年前、40年前、30年前と比較すると、いろいろなところでいろいろな変化は起こってきているとも思う。あと一押しとは絶対に言えませんが、二押し、三押しくらいのところまで来ているのではないでしょうか。今の日本のこの酷い状況は、明治以来の男の枠組みによる教育によって作られてきた。しかし、教育が変わろうとしている。教員の意識改革が進み、一人ひとりを「まるごと一人の私」 と評価することができるようになれば、社会全体も変わっていくのではないかと思うのですが、甘いでしょうか?そういう意味で私は、手前味噌ではありますが、「女性である前にひとりの人間であれ」という教えに従い、男子の能力を伸ばすために作られたカリキュラムから離れ、人間の能力を伸ばすために作られたカリキュラムで学んだ鷗友の卒業生に期待している。 これから、さまざまなメディアに取り上げてもらうよう働きかけ、さまざまな形で発信していくことが大切ですし、学校からも発信する必要があると思います。 5月10日(火)『クローズアップ現代』はテーマが「女子の自己肯定感」となる予定。急な事件などが入ると変更されますが、鷗友の取り組みがちょっと紹介される予定。ぜひ宣伝してください。 また、受験雑誌ですので影響力は小さいのですが、『進学レーダー』で連載していただいている「世界の中で小さな声を聞く」では、小学生向けに4回にわたりジェンダーを特集します。 “男の子は女のくせにと言ってはいけない”とか、制服のスラックス採用などを出発点にLGBTQなども取り上げ、解説しています。

ここまでの内容で時間の関係で終了となった。この読書会は今回1回限りではなく、今後もご著書の内容に関連させながら継続する予定です。ご参加頂いた皆様、本当にありがとうございました。ご講演頂いた吉野先生には感謝しかありません。次回以降も是非よろしくお願い致します。

女子教育研究会発足のお知らせ

女子教育研究会発足のお知らせ

春の到来を感じる季節となりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

この度、女子教育研究会を有志とともに立ち上げることとなりましました。事務局代表は私、鮫島慶太が勤めさせて頂きます。

《 女子教育研究会 ホームページ 》

https://keitasfen.wixsite.com/my-site

この研究会は女子教育の現場にある者が学びたいことを自由に学び、発信し、交流出来る、女子教育に関わるあらゆる人達のためのプラットフォームです。個人が所属する組織の利益にとらわれない、教員・教育関係者の学習会を主な活動とします。会の規模拡大や自校広報を第一目標とせず、現場にある者が学びたいことを自由に学ぶこと、課題に向き合い考え、解決に向けて行動出来るようになることを目指して会の運営を行っていきたいと思っております。

【 第1回 オンラインイベント 】

鴎友学園女子中学高等学校元校長 吉野明先生をお招きし、先生のご著書『女の子の「自己肯定感」を高める育て方(実務教育出版)』を用いてお話いただきます。

申し込みは上記サイトから行うことが出来ます。

吉野先生に積極的に質疑応答をなさりたい方、お話を聞いてみたいという方は申し込みフォームにメッセージをご記入いただくこともできます。

皆様是非ご参加ください。(参加費用は無料です)

ESN英語教育研究会の活動はこれまで通り、微力ですが、継続させて頂きます。

イベントのご案内や告知をはじめ活動を応援して頂いているESN英語教育総合研究会の皆様には感謝しかありません。この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございます。

教員の多忙化解消の問題で見落とされていること 「部活動は教員の仕事からアウトソース化されるべきか?」

先ほどまで、コトバンク様主催のイベントに参加しました。

【教員のバーンアウトを防げ!】今すぐできる!マイナス2時間プロジェクト  

登壇者はカナダのマギル大学博士課程の緒方先生、ESN英語教育総合研究会の高瀬先生、コトバンクから司会で元教員の越智先生。

教員のバーンアウトをテーマに

① 教員の多忙の実情・教員の労務管理(変形労働制の是非を含めて)

② 教員の自己効用感

③ 教員の多忙化改善の具体策:会議・朝礼・担任制度・部活動

など、話題は多岐に渡りました。

90分という限られた時間でしたし、ウェビナー形式でしたので詳しいやり取りは出来なかったのですが

今回は、「部活動は教員の仕事からアウトソース化されるべきか?」について簡単に考えを述べたいと思います。

私自身は教員をスタートした1990年から、「部活動は教員の仕事ではない」という立場です。

30年前の新人から、回りの空気も読まずに、この考えを主張し続けてきたので以下のような記事を読むと、やっと時代がここまで来たのか?と思わざるを得ません。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6e9ea86e8dde844686bdb7543ce155652d6282f0

しかし、この問題、そう単純なことではないと今では思っています。

労働条件の観点からは、時間外を前提にした部活動業務は教員の業務から外し、専門家に任せるべきである、という考えは変わりません。そもそも現場の善意に甘え続けてきた学校という組織の管理職はその大きな犠牲に対して責任を感じるべきだし、変えようとしないのであれば、断罪されても仕方がないと思います。

一方で、「学校は部活動をやるところではない。勉強をするところだ」という考えについても、私は昔はそうでしたが、2022年の現在、これは改めて問われるべき重要なテーマだと思います。

「授業や勉強では大切なことは学べない。部活動こそ真の教育の場である」

この考えには今でも賛同しかねますし、部活動が顧問の聖域と化していたり、部活動の関わる様々な業務を教員に押し付けてきたのが他ならぬ、部活動に熱心な教員でもあることなどはすぐにでも改善されるべき課題だと思いますし、部活動に熱心で授業にいい加減なら本末転倒だという考えも変わりません。

しかし、「学校は進学に向けて、効率的に勉強を教え込む場」としてはもはや存在意義を持たないし、今後サステイナブルではないのは、現状の部活動だけでなく、現状の授業やカリキュラムも同じではないか?ということです。

「授業では大切なことは学べない」。これは、学校という場の存在意義をUpdateする上で我々が今真摯に向き合わなければならない声だと思います。確かに授業が上手い先生はいるし、生徒や保護者の満足度を考えても、それを求める声は根強くあるでしょう。しかし、それが学校という場でなければ出来ないのか?と言えば、今後ますますそうではなくなる状況が進行すると思います。

教員側がスタサプより上手く授業出来るかどうか?という単純な話ではありません。そもそも、クラスにせよ、学校にせよ、偶然作られた集団です。この集団が偏差値輪切りで同質化しすぎてしまうことは以前からすごく気になっていました。個人的には小学校の集団が一番勉強になったと思っています。

家を借りたり買ったり出来ないからオヤジがバラックみたいな家を作ったとか、遊びに行くときにお金の心配が避けられない友達がいるとか、施設から通う友達がいるとか・・・。中高大と進むにつれて、周りの人間はドンドン似たような環境で育った人達になる。それは社会人になってからも続く・・・。

こうした社会において、外国人も含めて様々な多様性を持つ集団で、教科書を学ぶのではなく、プロジェクト(学校行事など学内のものも学外のものも)を中心に様々な経験をする場としての学校。また、これは元品川女子の教頭である鈴木先生のビジョンですが、「主要5教科がサブになり音美工書体家などこそが主要教科になり協働的な学びの場になる(主要5教科はICT活用を進めればよい)」といった新しい学校の在り方も模索されるべき時期にきていると思います。

部活動がなければ、本来的な学びの場ではなくなってしまう学校が仮に現状あるとして(恐らくそういう学校や環境も少なくないと個人的には思います)、その学校から部活動を業務として引き算すれば学校がよくなるか?と言えばそうではない。

かといって部活動を継続すれば、現場はもたない。

ならば、学校そのものの在り方を変えるしかない。

途方もなく難しいことで、私個人の力ではとても出来ませんが、そもそも今のそれぞれの学校の存在意義が何なのかを、しっかりと議論してUpdateすべき時期がとっくに来ているのではないかと感じました。

イベントは様々な気付きを与えてくれます。緒方先生、高瀬先生、越智先生、ありがとうございました。Repeatalkの皆様にも感謝です。

2021/12/27 未来教育研究会

2021/12/27 未来教育研究会

【参加者】
発起人3名(鮫島含む)
新聞記者1名
政治家(元衆議院議員)1名
教員・教育関係者2名
教育関連企業2名
女性社会研究者1名

【登壇・発表】
※ 概要はあくまで私のまとめであり発表者の意図とずれている場合もあることをご容赦下さい。

A:「2000年安倍断層のスロースリップと日本沈没」―教育政策決定の仕組み(最新の動向)
<概要>
 現在の日本の教育政策の源流は2000年3月に出された経団連「グローバル化時代の人材育成について」(https://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2000/013/index.html)に全て見ることが出来る。
この提言で出された様々な教育政策の実現は、第一次安倍内閣誕生の2006年を契機に政治と経済の接近
に伴い加速度的に進んでいく。この流れの中で日本学術会議を中心とする「学術」は、現場のごく一部の大学人を除き、批判的立場から日本社会の成熟的進化を促すオルタナティヴを提示することはなかった。むしろ「新自由主義的な教育・学問」の市場化を受け入れ、その流れの加速に加担していくスタンスを取ってきた。日大の問題などはむしろこうした流れの中で「学術の腐敗」の象徴という文脈で捉えるべきである。政財界の動きに対して学術こそが市民社会の信頼を得るべく、批判的な視点で国民Orientedな政策提言などを行っていくべきである。また資本・財界は自らの経営能力の低下を教育に責任転嫁することなく、自らも高流動を受け入れ産業構造の転換をこそ積極的に進めるべきである。

B:「女性にインタビューして気づいた厄介な抑圧」
<概要>
 1990年代前半に社会に出た当時、1986年施行「男女(雇用)機会均等法」もあり、これからは「女性が輝く時代」であると言われた。が、現在の状況を見る限りそんな時代は来なかった。自身も総合職として大手電機メーカーに採用され、将来は管理職にと考え、周囲からの期待もありながら、その道を選ばなかった。それは、その道の先にWell-beingがあるとはとても思えなかったからである。なぜ、日本社会は女性の活用」に失敗し続けるのか?それは、制度の問題もさることながら、日本社会で根強い「規範意識」にこそ病因があるのではないか?この問題意識を出発点に、オンライン留学を通して研究をおこなった。研究手法はデータリサーチ的な「実証主義」ではなく、個々の事例を主にインタビューを通して拾い上げていく「解釈主義」をアプローチとして選び行っていった。家父長制が問題になることが多い日本社会であるが、それよりは「イエ」という概念に基づく規範意識こそが日本社会全体に浸透する「抑圧」を生み出す要因であり、これらにメスを入れることこそが、欧米に比べて女性活用で大きく遅れた日本社会を変えていく鍵になるのではないか。

【鮫島:私見】

発表者Aとはインターネットを通じてご縁を頂き、その後も別の研究会で仲間として活動しています。
この発信で特筆すべきは、発表者がインターネットを中心とした膨大な一次資料をピースとしてかき集め、それらを時系列、因果関係などたった1人の頭脳で読み解き、現在の教育を取り巻く日本社会の全体構造を明らかにしているところです。

これだけの壮大な全体構造の提示は、教育現場では「陰謀論」として受け取られ、教育政策の決定者を文科省やそこに癒着する教育産業と見る現場教員も少なからず存在します。

しかし、「陰謀論」と呼ぶべきは「文科省犯人説」「一部の教育産業の政官との癒着」の拡大解釈であり(もちろんそうした事象は個々にはあるでしょうが)、そうした狭い構図の中で対立構造を想定することそのものが非常に大きな害悪になりかねない、と私自身がここ数年感じてきました。

参加された政治家の方は、与党野党両方のご経験もあり、権力中枢に近いところにいらっしゃった
方ですが、自分の経験と照らし合わせても、間違いだと思われるところはほぼ見当たらないとのご評価でした。また、同じく参加された新聞記者の方からも、記者として複数の部に所属してきた経験からも、この話を聞いて腑に落ちることが多いとのご評価でした。

発表者の発表前に私自身、改めて2000年の経団連発信を見直しましたが、具体的な事例をいくつか拾っても、現在の教育政策のほぼ全ての根がこの提言にあることが分かります。

□ 大学入試における英語改革
<提言より>
3.大学入試と大学・大学院教育の改善
1.大学入試センター試験における英語のリスニングテストの実施
大学入試センター試験において、英語のリスニングテストをできるだけ早く実施すべきである。
リスニングテストの実施は、中学、高校において会話重視の英語教育を行なう大きなインセンティブ
になると考えられる。また、各大学が個別に実施する入学試験においても、英語のコミュニケーション
能力を重視することが重要である。

⇒ 2006年センター試験の実施の6年前に既に経団連がこの発信を行っています。

□ 海外留学・研修制度の導入
1年間程度の海外留学、数週間程度の海外研修等の制度の導入、充実・強化を図り、英語力、
コミュニケーション能力、異文化理解力の向上・強化を図る必要がある。

⇒ 在学中に1年間の海外留学を早稲田大学国際教養学部が設置されたのが2004年。
  同じくAIU(国際教養大学)が設置されたのも2004年。
  その後2008年には立教大学・異文化コミュニケーション学部が設置。
  
  よく、「企業から評価の高い大学・学部ランキング」が話題になりますが、上記の大学・学部
  が卒業生を一定数出し社会的活躍が評価出来る以前から、高い企業からの評価を得ている
  といった現象は、悪く言えば「マッチポンプ」だと個人的には感じます。
  自らの提言通りのコンセプトで設計された大学・学部や学内制度を企業が評価するのは
  当たり前と言えば当たり前ですから。

□ 小学校の英語教育
技能としての英語力の重要性
英語力は、グローバル化の進展のなかで、いまや読み書き算盤に匹敵するひとつの技能である。
まず、技能としての英語力が必要であるという認識を持つことが重要である。
即ち、難解な英語の文章を解読する能力を身につける前に、日常で使用する基本的な英語表現を
反復練習等によって身につけ、実用的な英語力を習得することに力点を置くべきである。
このため、小・中・高校においては、英会話を重視した英語教育に一層の力を入れるべきである。
その際、小人数指導、習熟度別学級、情報機器のハード、ソフト等を利用した教材、インターネット
による海外の学校との交流などを利用して、学習効果をあげるよう創意工夫をすべきである。
できるだけ幼少の時期から英語を聞き、発声することが英会話力を身につけるために有効であること
から、小学校においては、2002年度から始まる新学習指導要領によって設置される「総合的な学習の
時間」を活用して、英語に触れる機会をできるだけ創るべきである。

⇒ 小学校の英語教育は2011年から少5~6で外国語活動がスタート。2020年より小3~4で外国語活動
  に加え少5~6で教科化されました。
  2000年の経団連提言では「総合学習」での英語学習が触れられていますが、「総合学習」が
  段階的にスタートしたのは2000年ですから、この段階では「総合学習」を経団連が生んだ
  というよりは、既にあった「総合学習」が形になる段階で提言を行ったと解釈するのが
  妥当かも知れません。

上記の他にも、最新の教育改革で話題になる様々キーワードを拾うだけでも、この経団連提言が
現在の教育改革でどのように実現しているかが実感出来るのではないかと思います。

□ 主体性
□ 起業家精神
□ 高度な専門知識・最先端の知識
□ 採用方法のオープン化
□ 小中学校の通学区域の弾力化の推進
□ 大学の自由裁量の余地拡大と自由な学部・学科の設置
□ 大学教員の評価
□ 講義内容やシラバス公開
□ 産業界など大学教育・研究社の学外人材との交流推進
□ 国立大学教員の兼業規制の緩和
□ 学習指導要領の大綱化・弾力化、改訂頻度の短縮
□ 校長のリーダーシップの発揮

   ※ 元々、職員会議は単なる校長の補助機関ではないとする説が根強かったが、
     対立を繰り返し意思決定を困難にした場合もあったので、文部省(当時)の中央教育審議会
     が1998年9月に「今後の地方教育行政の在り方について」という答申の中で職員会議の
     ありかたについて提案し、文部省が2000年、学校教育法施行規則を改正し、職員会議の
     規定を盛り込んだ。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%B7%E5%93%A1%E4%BC%9A%E8%AD%B0)
□ 公立の中高一貫教育の推進

□ 家庭教育
   ※ この点については経団連提言は「父親の教育参加」を強く発信している。
     当日ご欠席だった新聞記者の方のご著書で問題提起されている「PTAを通した
     親学の浸透」とは直接的な関連は文言からは見られない。
     ただ、自らの提言を進めるための環境創りを企業が行ってきたかと言えば
     一定の変化は見られるものの、諸外国の実情と比較すれば不十分と言わざるを
     得ないことは、「女性管理職の登用」が進まない日本企業の実情やジェンダーギャップ
     国際ランキングを見ても明らかであろう。

□ 教育の情報化:学校のインターネット環境の早急な整備

さて、こうした話に対して、私が見てきた反応は主に以下の2つです。

① 「財界提言」の何が悪い?産業界が教育に要請を出すのは日本だけの話ではない。
② こんな話を聞いたところで現場に何が出来る?こうした構造を変える力は個々の教員にはない。

①については、「財界提言」そのものは是々非々ですし、「財界が教育に口を出すな」というのは
むしろ教育に携わる現場にいる者の傲慢でしかない、というのが私の意見です。そもそも、経団連教育政策の課題認識やまとめ、正直文科省や政治家、教育関係者より上手いかも知れません(笑)。

世の中の動きなどどこ吹く風で、自分が受けてきた教育や教員や学校がやりやすい教育にしか
意識が向かない教員は、私を含めて、残念ながら現場の大半だと感じることが多いです。

しかし、「財界」も「教育現場」も、本来は「市民社会」の方を向いて存在意義をきちんと
構築し続けていくべきものではないでしょうか?

「財界提言」には「企業の自己改革」という項目はあるものの、全体の分量からすると非常に少なく
それらがこの20年で実現しているかと言えば、甚だ疑問であると言わざるを得ません。

ちなみに、この2000年の経団連提言で経団連が企業の自己改革について述べた箇所は以下でほぼ
全てです。

□ 企業の自己改革

21世紀にふさわしい人材育成システムを社会全体として築いていくためには、まず企業自らが
行動しなければならない。経団連では、1996年以来、創造的な人材育成に向けて、多様な人材が
自らの目的意識に基づいて能力を最大限に発揮できる環境の整備に取り組み、これらは着実に
進展している。具体的には次の通りである。

採用面
採用方法のオープン化
企業は、多様な人材を広く受け入れるために、採用方法をオープン化する。
具体的には、ホームページ等において、各社の求める人材像・採用情報を提示するとともに、
インターネットを活用したメールエントリー制の導入、大学名不問の採用等を行なう
(経団連が1998年に会員企業を対象に行なった調査では、半数以上の企業が「大学名不問の採用」
を導入・導入予定)。

個人の能力を適切に評価できる採用
通年採用や秋期採用の実施により、経験者や帰国子女等多様な人材の就職機会を増やすとともに、
春の新卒一括採用では困難であった、時間をかけた丁寧な採用活動を行なう。また、これに関連して
、職種別採用や経験者(中途)採用等により、専門的で即戦力となる人材(プロ)を積極的に確保
する(上記調査では、約8割の企業が「通年採用」を導入・導入予定、約半数の企業が「秋期採用、
職種別採用」を導入・導入予定、ほとんどの企業が「経験者採用」を導入・導入予定)。

処遇面
能力・成果主義に基づく給与制度
年功序列・悪平等を是正し、個人の能力を十分に発揮させるため、能力主義・成果主義に基づいた
処遇体系への転換を進める。現在、大半の企業で能力給・業績給や年俸制の導入が拡大している
(上記調査では、ほとんどの企業が「能力給・業績給」を導入・導入予定)。

個人の選択を重視する人事システム
専門職制度や社内公募制等の活用により、従業員が自らの進路や職種を選択することで、個人の
意欲や目的意識を従来以上に尊重する組織運営に努める(上記調査では、約7割の企業が「専門職
制度」を導入・導入予定、ほとんどの企業が「社内公募制」を導入・導入予定)。

研修面
従来のように企業側の判断で一方的に教育するのではなく、自らのキャリア開発に必要な研修を
主体的に選択し受講できる研修制度(自己責任型教育)の拡充を進める。また、業務を遂行する
上で各自で業務遂行時間を管理できるフレックスタイム制、裁量労働制ならびに休暇取得促進等
により、より柔軟な勤労システムを構築し、自己啓発に対する支援を行なう(上記調査では、
約7割の企業が「フレックスタイム制」を導入・導入予定)。

いかがでしょうか?
課題として挙げていることも少ないですし、女性の活用もこの段階では述べられていません。
課題として挙げたことさえ、出来ていない企業が大半ではないでしょうか?

コロナ禍を経験しても古い体質から変われない企業・・・。そんな自らの存続のために必要な人材を求められても、若者には「そんな所に行くな」としか言えませんけど。

① 「財界提言」の何が悪い?産業界が教育に要請を出すのは日本だけの話ではない。

この発信が日本においては大いに間違いであり、企業・資本は自らの存続のみを強烈に志向し、停滞の原因を教育に責任転嫁しているに過ぎない、と言われても仕方が無いのではないでしょうか?

むしろ、日本の発展のためには、「駄目な企業」「経団連」「経済同友会」といった組織が
健全に淘汰され、流動していく社会的な構造転換をすることこそが必要なのではないでしょうか?

ちなみに、私自身が2018年の3月にESN英語教育研究会で指摘しましたが、「日本人の労働生産性」
は1970年代から国際ランキング20位前後で推移してきました。バブル期ですら、資本を支える労働者は十分にその恩恵を受けたとは言い難い。

付加価値を生み出せない企業こそ、速やかに退場する

米国のインデックスファンドのようなドンドン入れ替わるような産業界の設計の方がよほど教育にもいい影響を与えるのではないかと思います。

② こんな話を聞いたところで現場に何が出来る?こうした構造を変える力は個々の教員にはない。

これは私自身もよく襲われる無力感です。
ですので、今回のような発表を聞いて、そのような気持ちに襲われる気持ちはよく分かります。

しかし、例えば、こうした社会全体の動きを知らずに教育現場にいるものが教育を行えばどうなるでしょうか?
日本には戦前・戦中の苦い経験があります。
「国策」が教育現場にダイレクトに反映される社会構造の中で、教員が1人1人の教え子達のWell-beingではなく、「富国強兵」に奉仕する国民育成を行った結果どうなったのか?

令和の現在は「富資本・強社畜」になりかねません。

また、自らの学校の経営状況だけを心配し、それだけを考えてなんとかしようとしても所詮はゼロサムゲーム。パイの奪い合いが起こるだけです。

公教育の中での存在意義を認めて貰えるように自己改革を行っていくことが出来なければトレンドだけを追い、結果短期的な成果すら疲弊するばかりで出せず、結局は衰退していくことになる。

たとえば、私自身は女子校勤務ですが、女子校の存在意義を社会全体の中で認めて貰えなければ
現在女子校を選択してくれている層すら共学に流れる。
公立も含めて、日本の中で多様な教育、デンマークのように親でも学校を作れるような多様な教育を目指す文脈の中で自らの存在意義を認めて貰う姿勢がなければ、結局は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のような世界からは抜けられない。

また、仮に、市民社会に存在意義を認めて貰えないような組織であるならば、その組織を存続させることには何の正義もない。資本の流動が必要なように学校組織そのものの流動も不可避で必然ではないでしょうか?

問題は資本や教育機関そのものの流動性を心的安心安全を土台に実現出来るかどうか?

それが #フレキシキュリティ であることを改めて確認した機会でした。

発表者B 「女性にインタビューして気づいた厄介な抑圧」について

発表者BとはAを通してご縁を頂きました。実は、本校で私が書いている進路指導部通信Lighthouse
にもご執筆を頂いた方です。

発表者Aと共通しているのは、ご主張が自分のエゴやポジショントークではないこと。

Bさんは、最後に「30年後に日本社会を今度こそ変わったと言われる姿にしたい」と仰いました。
私自身とほぼ同世代ですが、こうしたライフミッションを意識した生き方には尊敬しかありません。

少し話はずれますが、組織の要職として働く人間が、組織の阻害要因になりながら組織に居続け
退職後には何もすることがない・・・。こんなパターンは嫌というほど見てきました。

私自身がそうならないように、属する組織のことしか頭にないような生き方はしないように
したいと思います。

話をBさんの発表に戻します。
実証主義的な研究ではないと仰っていましたが、発表にはデータも豊富で特に私が印象に残っているのは、「浦和高校」「浦和一女」の比較です。

高校受験段階でほぼ同じ基礎学力を持ちながら卒業後の進路の違いや主な著名人などのロールモデルの多様性の大きな違い。

この差を生むのが何なのか?という実体験に基づく問題意識はご自身の研究のあらゆるところにしっかりとした土台として通底していたように感じました。

また、現在の日本社会では「女子校の存在意義」>「共学の存在意義(特に男子優位の共学)」というお考えや女子校OGこそが阻害要因になりかねない現実といった指摘には女子校教員として大いに学ぶことが多かったです。

別のところでやっている「女子教育研究会」にも是非お呼びしたい素晴らしい方です。

またご自身はほとんど意識されていなかったのかも知れませんが最近の東大女子の写真などを材料に、「こんなんじゃ駄目だ」といった上から目線など微塵もなく、「こんな私たちの頃よりもシナを作ったような表情しかさせられなくてごめん」という台詞には、本当に感動しました。

経団連の皆様、教育関係者の皆様、読んで下さった全ての大人の皆様

私たち大人は子ども達に要求する前に、そうした姿勢こそまず持つべきではないでしょうか?

「自分1人には何も出来ない」

そんな意識しか持てない人間が、子ども達にあーでもない、こーでもないと言える資格など
ない。

こんな日本でごめんなさい。
少しでもよくなるように、邪魔をせず、自分に出来ることをしながら自分も頑張る

という意識を持たなければならないと改めて感じた素敵な時間でした。

ところで、最近のZoomって40分ごとに落ちるんですね(^^;)。

5回くらい落ちたと思いますが、4時間超に渡る研究会に最後までお付き合い頂いた参加者の皆様ありがとうございました。

もし未来教育研究会ご関心をお持ち頂ける方は keitaesn@gmail.com までご連絡下さい。

オンライン授業が問いかけるもの

大学では、

「オンライン授業が大半で学費は同じ。これは納得いかない」
という学生・保護者側の声

「オンライン授業準備で大学教員の仕事量はむしろ増えている。学費減額がないのは当然」
という大学側の主張

が対立しているように見える。

アメリカでの判例などを材料にどちらが正当なのか、といった議論も見かけるが
私自身は大きな違和感しかない。

中高でも生徒達はコロナ禍以来、従来の学校生活を十分に経験出来ていない。

学費を払って経験する学校生活が

授業+部活動+委員会+行事+交友関係

といった要素に分解され、それぞれが「通常」に比べてどの程度不足しているか?

という視点から考えられることが多い。
しかも大学では、それが「授業(講義・ゼミ)」といった要素にかなり偏って論じられる。

ただ、オンライン授業を受けている側も行っている側も、もう気づいているのではないだろうか?

そもそも、因数分解した部分の総和が学校生活ではない ということに。

同じ授業を受けて、時空を共有した経験を持つ人間と行事や部活動、委員会といった経験も
共有することに、学校生活の意味はある。

思春期の悩みと授業と一緒に食べるランチとサークルや体育会の活動の間に境界線はない。
それは自分の経験を振り返っても直観だが、強い確信を持って言える。

授業だけ行っても、部活動だけやっても、行事だけやっても
それはやはり何かが欠けた経験にしかならない。

それをオンラインで再構成しようとしても、なかなか上手くいかない。
オンラインで構築出来る世界はオンラインの創る世界でしかない。

もちろん、大きな魅力を持つ共同体をオンラインで創り上げることも可能かも知れないし
そういう実践を行っている場も既にあるだろう。
しかし、それは、「対面の経験の再現」ではなく、全く別のものとして創り上げられている
からこそ魅力を持つものなのではないか?

デンマークのフォルケホイスコーレ。
デジタルの真逆を行く共同生活を土台とした学校。

これはオンラインでは絶対に再現出来ない。

話はズレるが、社会人のリカレントやリスキリングについても
効率だけを考えればオンラインの活用はドンドン進めるべきだが
それだけでは不十分ではないか?
そうしたものとは別にフォルケのようなリカレントの場が今の日本には
絶対に必要な気がする。

社会で通用するスキルを学び直す、という目的に異論はないが
新しく構築される人間関係や人との出会いから得られる様々な刺激や学び
それらがあってこそのリカレントなのだと思う。

オンラインでしか実現出来ないものも絶対にあるはず。

ただ、年齢が低いほどそれは難しい気がする。

息子の幼稚園生活は毎日マスク着用で。
コロナ禍の子ども達は人の表情にどれだけ触れているのか?
それを考えるとゾッとする。

直観でしかなが、デジタルでそれを補完することは恐らく無理だろう。

話を元に戻す。
オンラインか対面か?の二項対立に欠けているもの。
それは、今の状況が考える機会をを与えてくれる様々な貴重な問いに向き合うことではないか?

それは学校とは何か?という根源的な問いに通じる。

対面授業とオンライン授業の学費が同じでよいか?といった特定の要素を巡る
議論には不毛な展開しか期待出来ない。

私たちは新しいステージに向かわなければならない。そう強く思う。

大学債(大学ファンド)をどう見る?

https://www.nikkei.com/article/DGXZQODE2315H0T20C21A7000000/

日本経済新聞2021年7月26日記事より

現場の教育とは無関係に思われるかも知れませんが、この問題が広く教育関係者を中心に国民的な議論にすらならない現状に大きな疑問を感じます。

ハーバード大学などの運用と比較し、日本の大学の資産運用の規模が小さいという点がしばしば強調されます。

私は「大学による資産運用」そのものは是々非々だと思っています。ただ、今回の大学債では以下の点がきちんと整理され説明され、議論にならないことがどうしても納得いきません。

① 国公立大学の行う資産運用である以上、原資は「税金」「国の資産」であり、国民的なコンセンサスが必要。

② 運用目的は「研究」「人件費」とされるが、それらの「公的意義」についての国民的なコンセンサスが不明。

まず1点目ですが、ハーバード大学は多額の学納金、寄付金で運営されるアメリカの私立大学です。当然ですが、資産運用に税金という公金を投入していません。更にポートフォリオを見ると、伝統的金融資産(株・債権)に加えてヘッジファンド、プライベイトエクイティなどが30%を占めます。不動産についても日本よりリセールバリューが案安定している欧米の状況からでしょうか、非常に高い割合で投資出来るのだと感じました。

運用益平均は20年間で9.5%。全米株式のS&P500や全世界株などのインデックス投資をはるかに凌ぐ信じられないほど高い水準。これは、ウォール街と通じているハーバードならではの運用だからなのかな、と勘ぐってしまいます。

日本に同じようなパフォーマンスが期待出来るのか?と言えば・・・。やはり難しいのではないか?と思います。

もちろん、ハーバード並の運用益を期待するのは酷でしょうし、現在の日本の経済状況を見れば、外国の株式などへの投資もやむを得ないとは思います。運用益は3~4%を想定しているでしょうが、リスクを考えるとそれも妥当な線だと思います。

問題は、「公費」を運用することの是非についてです。年金におけるGPIFについては、「将来の若年層の負担軽減」という「大義」がありますが、この大学債についてはどうでしょう?日経の記事には以下のようにあります。

社会的な課題の解決につながる事業に使途を限ったソーシャルボンド(社会貢献債)とし、大型研究施設や新型コロナウイルス対応のキャンパスの整備に使う考えだ。

この点について、具体的な内容は今後発信されるのかもしれませんが、「大学の社会的存在意義」=「短期で成果を出す研究」に限定されないか?という不安をまず感じました。もちろん、「大学の研究は尊いものであるから、成果などはあまりうるさく言わず、国費を惜しみなくつぎ込むべきである」といったノスタルジックな大学側の傲慢さ(あくまで私が感じているものですが)は市民社会の厳しい審判を受けるべきだと思います。が、これまでの大学に他する行政や経済界のスタンスを見ると、「イノベーションを含む短期で金になる事業を最優先せよ」という資本側の都合に大学が振り回されている状況は確実にあると思います。この点が「国民的なコンセンサス不在」と私が大学債を巡る問題で感じる大きな違和感です。国民Orientedではなく資本Orientedである点が税金を原資とする資産運用とマッチングしない。

ここからは2点目ですが、大学ファンドの運用目的が「社会的課題の解決=社会貢献」というのであれば、「公費を運用した利益」は、リカレント教育不足の改善(当該大学学生だけではなく国民の再教育を含む)、非正規教職員の待遇改善、SSW(ソーシャルワーカー)やカウンセラーなどのエッセンシャルワーカーの待遇改善などにも向けられるべきだと思います。端的に言えば、「広く国民に存在意義を認められた大学が、国民の利益を目指して行う活動について、コモンズとして発展することに繋がる運用益の活用」こそ必要だと思うのですが・・・。

また、そもそもハーバード大学にせよ、大学が資産運用を行う場合には、先に事業計画、研究計画があるべきで、それらが雑に後回しになっていることにも疑問を感じます。

皆さんはこの大学ファンド問題、どのようにお考えでしょうか?

低成長、高齢化、人口減少などの課題を抱える日本が、大学債に限らず、過去の資産を運用することについては、是々非々だと私は思います。もちろん、r>g (ピケティ)の指摘を無視する訳でも、新自由主義の暴走資本主義を肯定するわけでもありません。ただ、「国民全体の資産に手を付けるな」と言いつつ、閉じた大学がほんの一握りの内部の大学人にのみ独占されるような姿勢にも大きな疑問を感じています。ですから、大学が持つ資産を広く国民に還元する(直接的な還元でなくても研究を通じてでも)ということであれば、大学債による運用もよいと思います。

ただ、国民にどう還元されるのかが見えない=国民的コンセンサスなど不在という現状は明らかに異常だし、どうしても資本への隷属・貢献という図式が見えてしまう。であれば、資本が原資を投じるべきであり、国費を使うのは筋が違う、と感じざるを得ません。

それにしても、中高の現場でこうした話題が出るか?というと・・・。

大学だけではなく、中高の現場も「市民社会での存在意義」を突きつけられ、焼かれる日もそう遠くないのかも知れませんね。

共通テスト Fact Opinion 識別問題の大きな問題点

以前のブログでも試行問題段階で取り上げましたが、この問題コンセプトそのものにかなり問題があると思います。試験の設計としても、今回の共通テスト第一日程、第二日程では大きな課題が見られました。以下、順を追って説明したいと思います。
【問題点①】 共通テストの問題には fact / opinion の定義すらない。
そもそもFact / Opinion とは何なのでしょうか?https://www.bbc.co.uk/bitesize/topics/zs44jxs/articles/z3wgqhv
BBCの上記のサイトにはfact, opinion の定義が以下のように掲載されています。

Facts:

  • Facts are definitely true.
  • They can be backed up with evidence.
  • For example, ‘the Prime Minister is giving a speech.’

Opinions:

  • Your opinion is how you feel.
  • Other people might think differently, they have a different opinion.
  • For example, ‘having a teenager as Prime Minister is a terrible idea.’

実は後述しますが、BBCのサイトもこれらの定義については恐らく最近Updateを掛けていますが、PISAのテストにせよ、共通テストにせよ、上記レベルの定義の2分法を前提にしていると思われます。このこと自体が問題としての大きな課題であることは言うまでもありません。なぜなら、解答者は定義が明確でないものでの2分法を迫られることになるからです。


【問題点②】 共通テストの問題には本文を見る必要がない選択肢が多くなる。
何をもってfact, 何をもってopinionと識別するかが分からない状態で、受験生は、fact=事実(客観) opinion=意見(主観)というレベルの意識で解くでしょう。そして、これは出題者側の意識レベルも同じだということが問題から分かります。以下、第一日程、第二日程で出された計8題のfact, opinion の二分法の問題の選択肢を全て見ていきましょう。
選択肢だけを見た場合の解法はシンプルです。
① 感情の助動詞(should/need/must/ have to)などを含む選択肢はopinion

② 判断を含む形容詞(many / few / little / much など)や副詞( well / fortunately)などはopinion

第一日程
第2問A 問3・問4

【解答】 問3=1 問4=3

【解法】 

問3 ②はneed to で、③はvery wellで、④はpromising でopinion確定。よって読まなくても解答は①

問4 ①はスコア=数値。本文とあってれば問題なくfact。合ってなければfalse。 ②も本文・資料から判断 ④も本文・資料から判断。   ③はreally connected with が主観的表現。そもそも①~③は事実確認出来るので③しか残らない。

第2問B 問2・問4

【解答】 問2=4 問4=2

【解法】

問2 ①はis needed より、②はimproveしたかかどうかは何をevidenceにしてるか不明なことより、③はshouldより opinion確定。よって資料から念のため確認し正解は④。

問4 ①はimportant / earlyより ③はhas to より ④はneed より全てopinion。よって読まなくても②しかない。

第二日程第2問A 問3・問4

【解答】 問3=3 問4=1

【解法】

問3 ③のa lot of より、④のa long time より opinionの可能性があるのは2つ。あとは本文確認。

問4 ②はconveninentより、③lightより(carry aroundの意味上の主語があれば別ですが)、④not too expensive より(これもbuyの意味上の主語次第では別ですが)   opinion確定。よって解答は①しかない。

第2問B 問3・問4

【解答】 問3=3 問4=1

【解法】

問3 ①はgoodより、②はniceより、④はchallengingよりopinion。よって③しかない。

問4 ①はdifficultより、②はmostより opinionの可能性があり、③④は主観がないのでopinionにならない。よって①か②かを本文で確認。
解法により選択肢のみの確認で正解が確定する問題が6/8でしたね。


【問題点③】 共通テストで出題すべきかどうか、の前にこの2分法そのものに何の意味があるのか?
私の授業では、fact / opinionの二分法そのものが抱える問題点を以下のようにまず生徒に説明しています。


A)ディズニーランドの昨日の入場者数は多かった。

B)ディズニーランドの昨日の入場者数は3名だった。


生徒にfact or opinionを質問すると、A)=opinion B)= fact という回答がすぐに帰ってきます。「正解」と言った後、「でもさ、ディズニーランドに昨日3名しかいかなったって本当?」と聞くと、「あ!?」という顔をします。
definitely true かどうかは、分からない訳ですから、factとすることへの違和感と、fact=truthとは限らないという気づきが生まれます。


factかopinionかということを考えさせることに意味があるとしたら、それはCritical Thinking、つまり、書かれていることが正しいのかどうかを自分の頭で考えて、様々な資料を確認して真偽を見極める能力を養うこと、それしかありません。しかし、fact / opinionの2分法は、単なる情報の選別にしかなりません。先の学びが生まれない。


私の授業では、Auburn Universityの研究者の提唱する4分法を使っています。
fact = sourceがハッキリしているもの

false claim = 明らかな間違い

untested claim = sourceが明確でなく確認が必要なもの

opinion =sourceが不明確で、かつ話者・書き手の主観


4分法を使えば、A)=opinion B)= untested claim となります。B)は主催者発表なのか、それとも入場者が見渡した結果の言葉なのか、sourceが明らかではなく真偽が判断出来ません。よって、oipinionともfactともfalse claimとも判別が付かないことになり、untested claimとなります。
untested claimは特に報道では出来るだけ避けるべき、という前提が海外の先進国のメディアでは常識ですが、日本ではopinionの垂れ流しや「関係者筋によると」といった曖昧な表現が本当に目立ちますよね。Critical Thinking Skillをつけたいのなら、まずは大人から、です。


蛇足ですが、実は、 There were many people in Tokyo Disneyland. がopinion という判断も実は正しいとは言い切れません。なぜなら、sourceが提示されていれば、基本的にはfact になるからです。
これを言えば元も子もないですが、共通テストで出してはいけないと言う理由お分かりになりますよね?本文というsourceがある以上、opinionとは言い切れません。こうなると【解法】云々ではなく、選択肢は2分法で言えば、全てfactになりますし、fact=truthとは限らない訳ですからfact=falseでも構わないということになりますので、本文に記述があれば全てfactとなります。
だから、やめるべきだと試行問題の段階から発信したのですけど・・・。私の言うことなど、世の中を変える力はありませんね(笑)。

2021 共通テスト 文系科目単なる感想

Facebookで1科目ずつコメントしていったのですが、文系科目は全て解いてみたので、感想をここで投稿をまとめてみます。英語については後日詳しくコメントするかもしれませんが、とりあえずの投稿です。

【英語Reading】

共通テストのfact, opinion 問題。本文読まないで解けてしまうやん😅
コンセプト自体がアカンと言うてきたのに…。詳しくはまたブログで書きますが(というか以前試行問題の時に課題として発信したのですが)。難化と言うてる予備校の判断も表面的な予感が😅。

分量の多さに惑わされなければ、センターよりむしろ満点取りやすいというのが私の感想です。
Fact,Opinion の問題はコンセプトに難ありは既に投稿した通り。
さて、ただ一問。
うちの生徒のマインドから心配な問題が一つ。
17:00にお土産屋に到着。約1時間の購入時間と指示される。ホテルの食事は18:30スタート。お土産屋の最寄りの駅から乗るべき電車はどっち?
17:40発18:02着の電車で徒歩数分でホテル 
か 
18:00発で18:22着の電車で徒歩数分のホテル
真面目なうちの生徒なら、お土産屋購入時間切り上げ、電車が遅れる可能性も考えて、5分前集合を考えて、部屋でお土産置いて戻る時間も考えてしまいかねない😅
嫌な予感するなぁ😰
だから私はギリギリまで見学も遊びもやって来いと言ってきたんだけど…。
いや、『だから』は違うけど😅

【英語Listening】

うちの学校はZ会のリスニング問題集を使用してますがほぼ難易度的にも同じであっただけでなく出題ミスとしか思えない聞かなくても解けるグラフ問題までまさか本番で出るとは!?ビックリ😳
デンマークの幸福度の問題は最近話してた雑談的な話とリンクしてたけど、まぁそういうことはよくあること。
今年の生徒は一回読みだけでなく、配点が大きい設問があることに苦しむかな。
これは例年の国語と同じで上位層で差を生みやすい。もちろん、どこまでを上位層とするのか?にもよるけど。
ところで、せっかくデンマークの幸福度の問題出すなら、このコロナ禍で入試だけはどうしても、というシステム変えればいいのに…。

【現代文】

英語と違って漢字の知識を問う問題、これ本文ほぼ読まなくても出来るレベルで従来とあまり変わらない。
評論の問題の選択肢の長さもセンター試験から変わらず。
解答では確実に間違いを含む記述さえ弾ければ正解に辿り着くのは難しくない。小林秀雄ショックの年も基本的に問題自体は難しくない。生徒目線で見れば、本文の言ってることがサッパリ理解できないレベルなのか、なんとなくでも自分の中で引っ掛かるものがあるのか次第で解きやすさは変わるでしょうね。今回はそれほど厳しいテーマではないかな。妖怪ではなく鬼がテーマだったら更に解きやすかったかもだけど。
小説も本文、批評①、①への反論と、小説のようなタイプの文章の読み方や解釈の多様性というコンセプト以外は、従来型とあまり変わらないし、解き方も実は評論と同じ。根拠は本文にしかない。本文に書かれてない余計な情報を含む選択肢を除外できれば、正解へのアクセスは可能。選んだ選択肢の妥当性にこだわりすぎると迷うでしょうけどね。
で、新傾向、どこ行った?😅
試行問題と題材が違いすぎでは?というか、止めるなら今後も止めれば?受験生への配慮なのか、今後もなのか、
これでまた来年も受験だけにフォーカスする人達は疑心暗鬼になりそう…。

【世界史B】

もう知識はほとんど脳から消えてる自分がどう感じたのか、レベルの発信です。昔読んだ漫画のストーリーすら記憶から飛ぶ今日この頃ですから、コメントはそういう奴のレベルの発信だとお読みください(笑)。
まず、資料の改竄や言論弾圧を所々でテーマにしてる🤣
歴史に学べというメッセージとして受け取りました😅
次にセンター試験の世界史ほどひどい試験はない、とずっと言ってきましたが、今回改善されてると感じました。
少なくとも様々な出来事、背景などの因果関係として歴史を考えさせるスタンスは感じました。
ただ、これ、グラフ何の意味あるの?という使い方は今後改善して欲しいです。
形式だけ繕っても意味はないから。
用語集ボロボロにしてきた受験生には食い足りなさやかなりの浅さを感じたかもしれませんが意味も分からず、受験終われば忘れるような知識問題よりはずっとコンセプトはいいと思いました。

【日本史B】

受験科目としては使わなかったので高校1年生の時に履修しただけです。素敵なお爺ちゃん先生の授業、眠くなることも多かったけど、戦時中の体験談など今でも覚えてるなぁ・・・。
世界史に比べると昔から歴史を学ぶ面白さなどを意識した問題はあったように思いますが、後半の問題は私でもあまり間違えなかったです。つまり、出されている資料や統計をよく見たり、背景を考えたりすれば史実についての細かい知識がなくても解答が出来る。
センター試験時代の地理Bなんかがそういう特徴ありました。原油を飛行機で運ばないよなぁとかそういうことを考えられれば知識がなくても解ける問題があってそれだけで6割取れてしまったり・・・。ただ、地理Bもそうだけど、年度による難易度差が大きく、むしろ求められる知識レベルが上がると平均が下がっていたことを考えると、今後は後半のコンセプトの問題が増えれば、丸暗記よりは、「なんで当時の人はこんなことをしたんだろう?」といったことを考える科目や授業になりそう。
試験から授業を変える発想は好きではないし、もう何度も言ってきてますが、「試験の精度や質の向上」では社会は良くならない。けど、こういう問題になることには私はいいなぁと個人的には思います。
で、何より嬉しかったのは、一遍上人また登場😊踊り念仏、好きなんですよね~。
佐久市のお寺にも2度ほどお邪魔して、祭りのために団子作ったり。40歳超えてたけど、「学生さん?」とか聞かれた。元気な80代や90代から見えれば私なんかただの小僧なんだなぁとくすぐったい気持ちになりました(笑)。

【地理B】

資料の読み取りや背景の考察でかなり取れると感じたのですが、案外平均点は伸び悩むのかな?意外です。
高校時代履修すらしなかった科目ですが田舎の地元公立中学入学当時は最も好きな科目でした。当時の地理の先生が、山登りが好きな先生で、授業中に見せてくれる写真が大好きだったことや、親戚が車でいろんなところに連れて行ってくれることが何よりの楽しみだったことから、中学時代までの自分がどれだけ恵まれた環境だったのか、改めて感じます。
天橋立は大好きな場所の一つで、高校時代の友人とも、家族とも、その他色々な人達とも何度か行ってます。ちなみに現高校3年生が本校に入学してきた年の中学入試の問題とほぼ同じという偶然。6年前の入試のことを生徒が覚えてたかは・・・。うん、きっと覚えてたと信じましょう(笑)。
地理って地名覚えるだけの科目ではなく、産業や歴史とも関連するし、地学とも当然リンクするし、何より行ってみたいというワクワク感も生みやすいし、学んでいて本当に楽しい科目だと思います。センター試験時代から実は解いていて一番楽しいのは地理だったりしますね。もちろん、知識を聞かれると知らなければどうにもならない訳ですが・・・。
地政学といった学問も注目されるようになってかなりたつけど、文系理系問わずに勉強しておいて損はない科目だと思います。もちろん、テストに向けて、ではなくて、体系的に学ばなくても、特定の地域を歴史、産業、人口動態などのデータ、地形、地政学など様々な観点から考えて学ぶだけでも、無茶苦茶勉強楽しくなる気がします。

【倫理】

今回平均点高そうですね。
もともと資料読解力や文章読解力があれば、知識がほとんど必要ない問題が最も多い科目だったと思いますが、今回は特にそのタイプの問題が多いことが平均点の高さに繋がるのではないかと思います。
2016年の倫理・政経の倫理分野の問題では、ハイデガーの思想についてかなり突っ込んだ「知識」が問われるような問題もあり、単純な人物ー書物名ーエッセンスといった勉強では対応が難しかった記憶があります。
学ぶ生徒目線が工夫されている点は新しいコンセプトを感じさせる問題ですが、うーーん。
テストとしての工夫という文脈の中でこうした努力は悪くはないと思うのですが、やはりテストはテストでしかないとも同時に感じます。
あ、と思ったことがあり、ちょっと追加。
ハイデッガーにしても、フッサールにしても、リオタールにせよ、分かりもしないものと必死で格闘した昔を思い出しながら解いていたのに、軽く友人同士の会話や先生との対話で日常に落とし込まれてることが私には気に入らなかったのかも😅
親しい友人や敬愛するアーチストを、かるーくパターンにはめ込んで理解した風なやり取りに、お前等に何が分かるんだあ~!と怒鳴りたくなる気持ちかぁ。なるほどね😅。
思春期に必死に格闘したことは、今の自分にどう役立ってるとか、そういうことでなく、混沌に向き合う経験そのものを若い子たちの日常にゆとりとして与えられる世の中になって欲しいと思います。

【政経】

これは大人の方が取り組みやすいですね。社会人としての経験値があれば、何も勉強しなくてもほぼ満点取れてしまう人も多いと思います。私は満点ではなかったですけど😅。
この科目、以前より明らかに「知識」確認タイプから、読解力や資料読み取り能力に変化していますね。「これしかないやろ」と全ての選択肢を確認しなくても正解に飛びつける問題が最も多かったです。
地理B、倫理、政経、日本史B,世界史Bを解いて思ったのですが、
「国語」という科目のコンセプトより、文系・理系を問わずこれらの科目の問題の中で、「知識」がほぼ不要の問題で総合的な科目を設置するくらいで十分に大学入学後の基礎学力としての読解力や資料読み取り能力は測定出来るのではないか?と感じたことです。
上記科目の横断科目を、「読解」とし、「現代文」「古典」「それぞれの地歴公民」「数学」「英語」「理科」は、志望する大学が個別で出題するなり、民間試験使うなりすれば十分では?
国文科志望の受験生も医学部志望の受験生も、同じ「現代文・評論&小説」を解いていること自体が本来は異常なのかなと思います。
幅広く中高生に学ぶことを求めたいなら、そっちの方がよいと思いますが、いかがでしょうか?
もちろん、反対意見も出るでしょうね。
ただ、大学入学適性試験程度のものとして、こういう変え方もありだと思います。どんなに丸暗記の知識を持っていても、グラフや資料や論理の基礎読解に難があるのなら、それは克服すべきものとして学べるようにすればよいと思いますし、そうなれば中高もリカレントの場として幅広い層を受け入れる場に変われるかも知れない。
駄目ですかね?
あと、『国語』という呼び方。もういい加減止めるべきかと。

【現代社会】

倫政は倫理と政経からの抜粋なので、現代社会を解き終わり文系科目は全て終了。
予想平均点が低い理由が分からない位、知識はほぼ不要の問題で、適当にしか課題文読まなくてもすぐに解答出来る問題が多い。けど、これも政経と同様に大人の経験があれば、なのかな?
そもそも私は中高一貫校に高校から入学、しかも10名しかいない高校入学組の1人なので、数学I、現代社会、理科Iという科目は教科書渡され、「勝手にやっといて」と言われた人間なので、この科目は習ってもいない。35年前でも中高一貫校ではそういう科目は中学3年生時に履修しているのが普通だったんですよね。高校の最初の数学の授業で春休み因数分解予習してた私が、「タンジェント・コサイン・サインの一部だけ残ってるから、さっとやってしまうぞ~」と言われた時に、「あれ?数学の先生じゃないの?」と疑問に感じたのは、実話です😅
今回の共通テスト・現代社会でもPBLが強く意識された問題設計になっていますね。ただ、結局、それもテストですから、資料と主張がロジカルに繋がっているか?といったことを読み取らせるだけの問題で、地頭がそれなりにある生徒なら勉強もPBLの経験もなくても軽く解くでしょう。昔の私も共通一次の現代社会、ノー勉で満点近く取れた記憶がある。これ、別に自慢ではなく、そういう試験だということだと思います。
今回の問題では、コンドルセのパラドックスが話題になってたけど、そういう知識を聞くのではなく、パラドクスの内容そのものを政治における意志決定という具体的な場面で考えさせる狙いがあって、試験問題というより、中高生には是非知っておいて欲しいなぁと感じました。

【今後の展望】
ここ数年サボってましたが、今回は色々理由があって、久々にやってみましたが、恐らく今後は以下のような展開になるのではないでしょうか?


① 試験の中身ではなく、スクリーニング機能が重視される。
② 来年度は共通テストコンセプトを更に重視する形式に。
③ 今年の平均点で難易度は隔年減少で調整される。


入試改革で教育が変わる、とは私には思えません。
教育変えるなら、社会が先か、少なくとも同時。
テストで授業を変える、という考えにはやはり同意出来ません。
数学・理科は眺めるだけしか出来ませんが、少しずつ・・・。
ただ本校の頼りになる仲間達の意見だと


① 化学は基礎を含め、理不尽に難しくセンスや「お釣りがある学力」がないと解けない。
② 生物は知識不要の問題が多すぎて、来年の反動が怖い。
③ 数学は上位はかなり苦労する。平均点が高くても上位層で差がつくかも。ただし、このテストで出来ること=数学が出来るとは思えない。


らしいです。


高校時代の同級生。ワンゲル部でしたが、「地学は趣味」と言ってました。そういう学びが出来る人は、こんな試験に右往左往しなくて済むということに尽きると思います。
見習わないと、と思いながらもなかなか出来なくて、楽しいところだけつまみ食い、を散々やってきたんですけど😅

まさかのドキドキ体験

昨日は日仏会館・フランス国立日本研究所(UMIFRE19 フランス外務省・国立科学研究センター)主催の日仏シンポジウム
『21世紀の働き方 日本とフランスの比較』に参加しました。
https://www.mfj.gr.jp/agenda/2020/11/28/colloque_travail/index_ja.php

14 : 00 – 16 : 00 パネルディスカッション3 性別職務分離の変容―日本的雇用システムの転換―司会:金井郁「ILOのジェンダー平等への取組み」 田口晶子(前ILO駐日代表)「コロナ危機と女性労働者」 大沢真知子(日本女子大学)「二つの国民:日本の二重構造と労働市場」 小熊英二「職場の男女不平等を削減する : ワークライフバ ラ ンス政策の役割」
エレーヌ・ペリヴィエ(パリ政治学院)

ジェンダー問題と労働市場問題の両方勉強出来る貴重な機会だったので。
Zoomウエビナーで参加したんですよ。実を言うと最近買ったiPadでベッドで横になって…。


そしたら…ウエビナーなのにですよ?
Q&Aに書き込んだ内容を見た司会者からまさかの指名😲!?それ、有り????
いきなりミュート解除され、『鮫島さん、どうぞ』って😅。心臓止まるかと思いました。小熊さんにはライブハウスでお会いしてご挨拶してますが、他の方々は面識ないし、そもそも、わい、パン一でした、実は😅

飛び起きて…
エレーヌ・ペリヴィエさんと小熊さんに質問をしました。

以下、私の質問。
フレキシキュリティについて興味を強く持っています。
フランスでは学歴による社会の硬直化が課題になっているという発表がありましたが、高流動高保障社会への転換は議論されてないのでしょうか?

エレーヌ先生の回答(講演内容含む)フランスは小さな政府を目指したセキュリティー不在の高流動が起こってる。ジェンダー問題解決の為に様々な政策が取られているが、そもそも財政緊縮の文脈で行われているため、育休期間の保障も最低賃金の半分から三分の一へと減らされ、期間も三年から二年として、女性の職場復帰を促す為に残り一年は男性が取るようにとしているが、特に女性の復帰の場合に元のキャリアが保証されない問題が起こっている。

小熊先生の回答
経営者、労働者ともに既得権の縮小をどこまで自浄作用として承認出来るかに掛かってると。ジェンダーギャップ解消とクラスギャップ解消の課題解決は必ずしも両立しえない場合もある。


私としては、小熊さんにはフランスの現状も踏まえて今後の日本の見通しを聞きたかったけどそこまでやり取りの時間はありませんでした。
ふぅ~。とりあえず画面まで解除されてパンイチで登場しなくてよかった~😱😱😱😱

新入社員に求められるのは「主体性」?

https://www.recruit-ms.co.jp/issue/column/0000000824/

経団連はじめ企業の発信を読むと、「主体性」を「求める資質」の上位に挙げる企業は多い。

でも、「主体性」を備えた人材をどう活かしているのか、という発信をする企業はほとんど見かけません。企業内のハイパフォーマーや役職者の美化されたサクセスストーリーの中で語られるものが、その企業の文化だとも思えないですし。「即戦力」=「OJTが限界」ということでもあるはずですが、現在企業が抱える人材のリカレントなどにどう取り組むのか?という発信もほとんど見ない。

要は「これからの未来に向けて企業も不安だし、育てる余裕もないから即戦力くれくれ」としているようにしか見えない。主体性の欠片も感じない。

もちろん、大学のみならず、小中高も「社会に貢献すべき組織」だと思うので、社会人として立派な人材を育てる義務があると思います。また、「公金」を、公立はもちろん、私立だって一部とは言え使っている限り、社会的存在意義について市民社会からの信頼が土台になければならない。その意味で、まだまだ自分を含めて、そのメタ認知や努力が不足しているとも思います。

しかし、経団連や同友会の提言を見ると、「社会に必要な人材」とやらが、特定企業の「即戦力」に見合う人材養成に矮小化されているように見えます。資本Orientedで、社会・国民Orientedではない。そしてその結果、「消費者」が育たず自分で自分の首を絞めているようにも感じます。