女子教育研究会FEN 第3回オンライン学習会 内容報告

石井豊彦先生発表 2022/8/20

女子教育研究会第3回オンラインイベント
「私の女子教育の経験をご紹介する」(石井豊彦先生)

① 自己紹介

上智大学理工学部化学科卒業(1979年)
藤沢薬品(現アステラス製薬)(1979~81年)
公立中学校教諭(1981~1992年)
大阪府(1981~86年)香川県(86年~92年)
フランスパリ日本人学校(88~91年)
ベネッセコーポレーション(92~2004年)
進研模試編集を担当(98~2004年は編集長)
品川女子学院(2004~2020年)
教頭(2012~19年)、理事会監事(2021年~)
関西国際大学(2020~2022年 )
特任准教授、高大連携センター長、併設校副校長
客員准教授(2022年4月~)

② 石井先生の課題意識

女子校・男子校存続の危機(全国残存200前後)が日本の教育における多様性の危機になってしまうのではないか?多様な学校が選択肢としてあることが日本の教育にとって望ましいと考えるので、その点に大きな危機感を覚える。

③ 石井先生のキャリア:一般企業→公立中学→フランスパリ日本人学校
→ベネッセコーポレーション→品川女子学院→関西国際大学・神戸山手女子中学高等学校

一般企業、公立中学、海外の日本人学校、教育関連企業、私立女子中学高等学校、大学と多様なキャリアを経験出来たことが、多くの学校を多角的な視点から捉える視点につながっていることを感じました。

④ 公立の良さと私立の良さ

公立:最低品質の保証・高流動による教員の多様性・手作りの教育・教員による温度差がある・個人主義になりがち・女子にとっての阻害要因は多い?
私立:独自性・チームによる教育・私学のファン固定層による支持がある・女子にとっての阻害要因は少ない?

「公立だから、私立だから、男子校だから、女子校だから、共学だから」ではなく、性差を含めたそれぞれの学校の課題を考える必要があるというご発信に考えさせられることが多かったです。

⑤ 28プロジェクト:2002年から
  1)時代背景:1989年中等部に入った生徒が10数名 

  → 募集回復後にも安易な進学実績至上主義には行かなかった。
  2)理念:卒業生のWell-being
  3)各論:仕事=苦行ではなく楽しいものであるという意識改革<中2から6カ年教育の中で>
    ディズニーランドでのインタビュー体験→中学3年生での企業コラボ+デザイン思考を学ぶ(任天堂Wiiの例:スペック重視ではなく人の笑顔を目指す)→ 高校1年生ではリーダーシップ講座→高校文化祭での起業体験プログラムへ

  4) 最初は学年行事として→温度差への批判→学校の取り組みへの進化
  5) ロールモデル
  → 30代前後の女子社員(月に一回)39講座→ 企業にとっては研修として位置づけ
  6) 中高生にとってのPBL:会社や仕事の実情を生徒が知る機会 → 文化祭(9月)での起業体験プログラム=アントレプレナーシップを育む → 事後株主総会で配当図書券
  7) 教員の関わりのスタンス:「もめごとを経験させ失敗をさせる」(品川女子学院 漆校長による発信)
  8) 大学生や大学教員がクラスに入りデザイン思考・リーダーシップ教育を浸透
  9) 山手女子ではリーダーシップ教育を強調 
  10) 努力と結果の4象限マトリックス:愛徳学園・三好健二先生(中高女子校)による補足説明

進学実績向上を心配する内部の声もあったが、生徒の学力を右肩上がりの直線で捉えない見方を提唱。学力推移についての捉え方のUpdateとして「スクールバイオリズム」という考え方を採用した。

Q&A
 ※ スライドの写真は男性が多かったようですが、ロールモデルでは男女比は? → 多様であった
 ※ 教職員の流動性・多様性については? → 私立らしく低流動。他の私立と変わらない
 ※ 28プロジェクト・一期生の現在は?

  → 28歳になった卒業生が7割程度は学校をあげての同窓会に戻ってくる。

    資生堂の人事部長による品川女子学院の人材育成に高評価を頂いたが、それが28プロジェクト以降の卒業生であった。
 ※ 校内での意見統一について。難しかったのではないか?

 → 困難な点もあったが、利害調整よりも未来への意思統一を重視した。校長のリーダーシップが非常に強かった。
 ※ 28 プロジェクトについての具体的な質問: ファシリテーターへの謝礼は?(SGH以降 1回時給3,000円程度。特別講演会はほぼ交通費のみ)
 ※ ストーリー:他人に伝えたくなるストーリー:広報的な観点より

シチズンシップ教育はどうあるべきか?

選挙権が18歳に与えられるようになり、若者の投票率の低さや現在の民主主義の停滞とも思える現状に対する悲観的な発信が目に付くようになったと感じる。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65437760V21C20A0I10000/

日経新聞では自由民主主義が経済的豊かさを実現出来るとは限らないことから、世界の中で民主主義がマジョリティではなくなりつつある現状を『民主主義のパラドクス』として上記の記事で紹介している。 また、コロナ禍でも民主主義は他の政治システムに比べ脆弱さを露呈していることも以下のロイター通信の記事などで紹介されている。

https://jp.reuters.com/article/global-economy-trust-idJPKBN2JS0DJ

こうした状況の中で日本でも、世代人口の違いから生まれる若者軽視と思われる政策の優位を『シルバー民主主義』と称し、若者達の投票率の低さに理解を示す発信も目立つようになった。 最近人気のインフルエンサー成田氏の発信もかなりの説得力を持って支持されているように思える。

https://youtu.be/bBvGbCqRvWI

NHKでも、以下のような記事で若者達の低い投票率を課題としする発信を行っている。

https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-n12893146ddae

このNHKの記事の中では、若者の政治意識の低さを課題としつつも、若者が少数派であることから来る諦めへの一定の理解を示しつつ、投票率向上に向けたITの活用や学校での政治教育の充実を提示しているが、私個人から見ると、恐らくそれでは何も変わらないように思える。 何故か?

「民主主義=個々の利益や組織の利益の最大化を目指すシステム」 という理解が変わらなければ、恐らくどの世代、どの属性の投票率が上がったところで、分断は必ず起こり、社会の劣化は止まらないからだ。 組織票が力を持つ日本の民主主義の土壌では、民主主義本来の良さが発揮されることは恐らく永遠にないのではないか?

ジョンロールズの『無知のヴェール』 自分が誰であるのか分からない前提で考える。

自分は金持ちかも知れないし貧乏かも知れない。

自分は男かも知れないし女かも知れないし性的マイノリティかも知れない。

自分は老人かも知れないし子どもかも知れない。

自分は移民かも知れないし少数派民族かも知れないし多数派民族かも知れない。

必要なのは、子ども達へのシチズンシップ教育ではない。 大人も含めた民主主義への向き合い方のアップデートだと思う。 これが実現しない限り、芥川龍之介の描いた『蜘蛛の糸』の地獄絵図は、この日本だけでなく、世界で広がっていくようにしか思えない。

エマニュエル・トッドは最新作『第三次世界大戦は既に始まっている』の中で以下のような内容を述べている。 https://amzn.asia/d/5DSqTHd

現在の世界にあるのは、権威主義民主主義と寡頭民主主義の2つである。

誰であっても尊厳を持って生きていける世界へ向かうことはとてつもなく困難なことで、私のような小さな個人が何を考えても、何を発信しても変わらないだろう。 しかし、このままでは、明日にでも理不尽な暴力や理不尽な運命で人生を壊されるのは、自分や自分の大切な人なのかも知れないのだ。

若者の教育は大切。 しかし、問題の根は今のこの劣化民主主義社会を作り上げてきた我々大人達の方にある。 それを無視した上から目線の『和製シチズンシップ教育』などでは、分断は更に深まるしかない。

和製フレキシキュリティに向かって。まだまだ私自身が学ぶべきことも個人としてやれることも途方もなく多い。が、生きてる限りそこに一歩でも近づくような生き方をしたい。 現状ではとてもそんな壮大なことは言えませんが。でも、怠け者の自分を奮い立たせる為にも言っておこう。

教員免許は必要・不要?

教員免許は必要・不要?

2022/6/22に土佐の教育研究家の鈴木大裕さんがAbemaTVにご出演されました。

教育界に新風?人手不足に光?“副業先生”
https://abema.app/eiis

※ 見逃し配信用なので、URLの有効期限にご注意下さい。

番組の冒頭では「正規のルートで教員免許を取得していない方」が学校現場で授業を行うことについて、どちらかと言うと賛成派の意見が優勢だったように見えます。

□ 社会人経験の乏しい人間よりも実社会での経験値の高い人間が授業をする方がよい
□ プログラミングをはじめ、現場の教員にはそもそも教えることが出来ないものは特別免許交付で対応せざるを得ない

慎重派の意見としては

□ 教員としての適性が著しく低い人間を学校現場に招くことにならないか

といった声がありました。

鈴木大裕さんの主張は

特別免許交付による社会人活用には反対ではないが、特別免許交付が教員の人手不足の解消法として
考えられている点が大きな課題。
非正規拡大・労働環境劣悪化によって生まれた教員志望者の減少による教員の人手不足の解消は、このやり方では実現しない。

というものでした。

鈴木さんのご主張については、全く同じではないとは思いますが、教育研究家の妹尾昌俊さんのご主張の中で詳しく述べられています。

2022/6/23 東洋経済記事
約2割の小中学校で教員不足の可能性、「社会人採用」は切り札にならない訳
学級担任決まらない、一部の授業できない例も

番組を視聴した私の感想ですが、「特別免許交付を教員の人手不足」の文脈で論じることはお二人が問題視している通りだと思います。

その点を一切考えずに、「商品として高い付加価値のある授業コンテンツ」を提供出来る人材としての魅力ばかりが発信され、人手不足の問題解消として期待値を上げていくことは、現状の様々な教育現場の課題解決を大きく後退させることになりかねない、と私も思います。

ただ、この問題以上に、この議論そのものにモヤモヤしたした感情を抱かざるを得ません。
なぜか?
この議論そのものが、「公教育の再生」に繋がるようにはどうしても思えないからです。

以下、私自身のモヤモヤの正体について2つの点から論じてみたいと思います。

① 教員免許を持っている教員はそんなに立派なのか?

この点については鈴木さんも番組の中で「教員免許を持っている教員が偉いわけではない」と述べていらっしゃいますし、多くの方々が共有されている考えではないでしょうか?

鈴木さんが番組でご指摘になっているように、免許のみならず。現在の日本は教員がリスペクトされているとは言いがたい状況です。教員の資質についても教員免許についても、その価値を高く評価する国民は少数であるように思います。

では、なぜそのような現状が生まれているのか?


ここが議論の中で(限られた時間だったからでしょうが)全く触れられていなかったのが残念です。

そもそも、教員免許は、教員養成系の大学や学部で学ぶ学生を除けば、専門分野の単位に教職系の授業をいくつか取ればそれで取得出来ます。もちろん、30年以上前に私が取得した時代よりも、現在では特別支援学校での実習やその他の福祉施設での実習も必要になっていますし、教職系の授業も増えているのが現状です。

それでも、教員が現場で必要とする基本的なスキルや、そもそも教育関係の法規、教員の労働についてのコンプライアンスなどを十分に学べているでしょうか?
こうした学びの場を教員免許取得の前にも後にも充実すべきなのに、それが進んでいるとは思えない。

労基法すら読んだことがないという管理職も私の知る限り珍しくもなんともありません。
授業や生徒との面談においても、多くの先生方は恐らく我流で生徒達から多くを学びながら手探りで行っているのではないでしょうか?

また、仮に大学の4年間でどんなに勉強したとしても、時代は常に変化しています。
発達心理学や脳科学の進歩も日進月歩です。
免許を取得して現場に立った後でも、学ぶことは日々生まれていくのです。

要するに、リスペクトされるような教員を持つ国にしたいのであれば、免許を持ち続けることがそれなりの価値を持つような仕組みを作らなければならない。ならば、教員が学ぶ環境も含めて保証されなければならないと思います。

ところが現状は残念ながら、それらは保証などされていないことが多い。
学びを継続することが現場の一人一人の教員の努力として一方的に求められる。
教員免許状更新制度では、質の低い教材を購入させられた挙げ句、ロクなコンテンツではないものも
多い。それも自腹で受講を強要される。
苦労して書いたレポートにミミズが這ったような字でコメントにもならないコメントを返された時には、誰のための更新制度なのかと怒りを覚えました。

そもそも、既に疲弊しきっている現場教員には更にUpdateのための学びを求めることも酷でしょうし、
だからこそ自己肯定感を折られて辞めていく教員も後を絶たないし、新規の教員のなり手もドンドンいなくなってしまう。

そして、ここが一番言いたいのですが、これは何も教員に限ったことではない、ということが教員の苦境を訴える当事者の意識にも弱いのではないかと感じること、これがモヤモヤの大きな要因です。

② 大人が学ばない・学べない日本社会

日本のリカレント教育は世界最低!?
スウェーデン、デンマーク、中国に学ぶ21世紀の人材戦略 2019.02.01
https://www.bbt757.com/business/article/article/20190118-191319/

GDPに占める企業の能力開発費の割合の国際比較について
https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/roudou/18/backdata/2-1-13.html

日本社会は教育にお金を掛けずに優秀な教員、優秀な人材を欲しがる。
日本企業は教育にお金を掛けずに優秀な人材を欲しがる。

上記の国際比較の資料からもそれは明らかではないでしょうか?

しかし、教育現場が

教育だけにお金を掛ける、教員だけがリスペクトされる構造を再構成する

という発信をしても現実は変わるのか?

それは、もはや市民社会の支持を得ることは出来ないでしょう。

大学の先生方にも研究には無条件にお金をという方々がいらっしゃいますが、もちろん研究の社会的意義は十分に理解しますが、それが支持される社会状況に今の日本があるとは思えません。

芸術にお金を掛けろ、一次産業や二次産業に金を使っている場合か、という趣旨の発言が炎上しましたが、それも当然ではないでしょうか?

教育・研究・芸術がそれなりに存在意義を認められる社会を創ることは、それぞれのポジショントークや縄張り争いの先に行けなければ恐らく無理なのではないかと思います。

「自分の居場所にだけお金が投じられる」ことを求め「自分以外のどこかにお金が投じられること」に厳しく対応。


そうしたスタンスを我々大人が続けた結果、日本社会は「市民社会の支持」がどこにも成立しえないという社会にドンドン近づいているように思います。

そんな中では、資本主義の弱肉強食・自己責任が進むのは当たり前・・・。

誰もが学ぶ権利を、Updateし続けられる機会を得る権利を再配分の一部として享受出来る社会

その全体最適化なしに教員の問題だけを論じても恐らく変わらないのではないか?

このモヤモヤとはこの先も長く付き合うことになりそうです。

2022/6/11 女子教育研会FEN 第2回オンラインイベント 「中高女子の特性についての通説につて考える」概要

オンライン学習会:中高女子の特性についての通説について考える

ファシリテーター・資料提供と解説は私が努めました。

お忙しい中、女子校の先生方、共学校の先生方、数社のメディアの方々、女性起業家やジェンダー研究者の方々と多種多様な皆様にご参加頂きました。

まず、本研究会を発足させた時点での私の問題意識について共有させて頂きました。

① 女子校の存在意義以前に公教育の存在意義 
⇒ 新自由主義社会の中で教育のサービス化とともに崩壊
② 格差拡大 
⇒ 自分自身が行ってきたこと=「格差の再生産」
③ 搾取社会×ジェンダー課題大国
⇒ 正規酷使×非正規搾取= 日本型雇用の崩壊
⇒ 教え子達の将来への不安

今回扱ったのは以下の3つのテーマです。

①女子の自己肯定感は低いのか?
②女子は理系が苦手な子が多いのは本当なのか?
③女子は先行逃げ切り型、男子は追い込み型というのは本当なのか?

現場の感覚ではなく、論文や研究結果を紹介しながら、女子教育の現場にある教員が気をつけなければならないことや、Updateしなければならないこと、学校の問題ではなく社会構造そのものや家庭の課題と考えられるものなどについて、参加者の皆様と考えることが出来た有意義な時間でした。

スライド数は50枚弱。以前から少しずつ集めていた資料をまとめていましたのでそれらを整理しながら資料としてまとめて皆様に今後も考えて頂く資料としてご紹介しました。

【共有した資料】

【発表の概要】

①女子の自己肯定感は低いのか?

□ 「自己肯定感」についての議論の前提の確認:定義・測定可能かどうか・自己肯定感の高低と善悪・自己肯定感の向上が教育の課題ではなく、成長の阻害要因としての低い自己肯定感を課題とする。

□ 自己肯定感についての鮫島の定義:自己肯定感とは 未来に向かって変化を恐れず生きる力

今後吉野先生をお迎えした読書会でも議論を深めるために資料を多数共有しながら、自己肯定感について考えていく足がかりと出来たのではないかと思います。

特に思春期を迎えて低下する女子の自己肯定感については、女子校がそうした流れと無縁の場を提供出来ているのかどうかも含めて、丁寧に検証していく必要性を感じました。共学校の先生のご参加もありましたが、むしろ共学校で理系特進クラスで女子が優位というお話も頂き、女子校だから女子の成長に適した場を提供出来ているとは限らないということも改めて考えていく必要があると感じました。

また、Big5などの気質調査から、「生まれつき女子の自己肯定感を左右する因子がある」わけではなく後天的な要因が特に女子の自己肯定感を下げているのではないかという私の仮説を裏付ける資料も提供させて頂きました。


②女子は理系が苦手な子が多いのは本当なのか?

クロード・スティールのスティグマ除去実験の紹介から話を始め、PISAの結果、OECDの理系進学についてのデータ、おおたとしまさ さんの「21世紀の女の子の親たちへ」における仮説(イスラム圏で女性の数学・科学の学力が高いのは男女別学だから)の検証、Newsweekの記事、脳の性差における国内外の研究、男女共同参画局資料、東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構の横山教授のグループの研究などを通して、女子の理系適性についての通説についての検証を行いました。

イスラム圏の数学的リテラシー・科学的リテラシーで女子が男子の結果を上回っていることは男女別学というよりも成績による進路の強制振り分けが行われていることが要因として強いと思われること、最新の脳科学では性差はほとんど否定されていること、にも関わらず小数バイアスが女子の学力特性について無視出来ないバイアスを生み大きな阻害要因となりうることなどについて、参加者の体験やご意見も伺いながら、今後の議論に繋げていくキッカケとなったと思います。

今後の学習会では、ベネッセコーポレーション様のご協力も頂きながら、様々なデータからこの課題について考えていきたいと思っています。

③女子は先行逃げ切り型、男子は追い込み型というのは本当なのか?

MBTI,エニアグラム、ストレングスファインダーなどのタイプ別診断における性差についてデータを共有しながら考えることが出来ました。性差<個人差と判断出来るにも関わらず、「男女の共通部分」ではなく「男女の違い」が大きく強調されている点を現場の課題として共有することが出来ました。

また、ご家庭や地域にある社会規範やステレオタイプ、Hidden Curriculumとして「女性の管理職が少ない」「女性の理系担当教員の性に偏りがある:数物が少ないのではないか?」といった指摘もあり、今後の学習会で新たなテーマとなりそうな課題も出されました。

途中、子どもが乱入するなどトラブルもありながら、参加者の皆様に暖かく支えて頂き、第2回目のオンラインイベントを無事に終えることが出来ました。次回の登壇者の石井先生にバトンをお繋ぎしたいと思います。

2022/4/30 女子教育研究会 吉野先生をお迎えしての読書会 概要

『女の子の「自己肯定感」を高める育て方』(吉野明著 実務教育出版)【読書会】

日時:2022/4/30 18:00~20:00

① ご著書の背景

 経営が苦しくなる女子校が共学化する学校も増加している。女子校として継続していこうという学校も含めて、多くの学校では「進学実績向上・女子の強みを活かした進路指導・GMARCHや模試学力を学力保証に」といった学校運営が昔も今も多いように思える。そんな中、吉野先生がこの本の中でご紹介されている1980年代に女子教育の本質から学校を変えていこうとお考えになった背景を伺った。

(吉野先生の講話内容)

        □ 進路指導部長と広報部長の兼務:入口から出口までを、部分ではなく全体として見る。

         □ 対処療法では必ずどこかに歪みが出る。パターン思考ではなくシステム思考で。

              □ 人生の原点としての中高6年間

              □ バブルに向かう日本経済と日本人の内面の荒廃がそのまま荒れた学校と繋がった時代

              □ 教育相談室の開設:外部からカウンセラーを招きカウンセリングマインドを教育に導入

              □ 受験指導<キャリア教育の重視:6年間の内省支援(HRノート・自分史:ポートフォリオ)

              □ 「まるごと一人の私」の成長

              □ 四科総合入試の導入

              □ 「鷗友版自己同一 性理論」⇒ 自己肯定感が高まるまでの成長モデル

 今でこそ学校にカウンセラーがいることも、キャリア教育という言葉も珍しくなくなったが、今から40年近く前から、現在の教育改革に通じる発想を先取りし、生徒1人1人の成長に丁寧に向き合う数々の実践に取り組まれていたことに、参加者一同大きな感銘を受けた。一方で類似した実践例がなぜ上手く機能しないことが多いのかについても、なぜ単なる「形だけを真似る」改革もどきでは教育の場は変わらないということも痛切に考えさせられた。それぞれが対峙する現場で生徒1人1人を観察し、時間を掛けて「耕す」といったマインドが教員には必要だということだろう。「新しい教育」といった実態の伴わないものに踊らされてはならないことを改めて感じさせて頂いた講話であった。

② 自己肯定感というキーワードを巡って

 まず本研究会のスタンスとして、「様々な女子校の課題解決=自己肯定感向上」といった安易な図式で考えることはしないことを確認。吉野先生はご自身の生きてこられた時代の自校の課題に取り組まれ、様々な実践例をお持ちだが、私たち現場の教員が今日それぞれの現場で抱えている課題は、類似したものもあれば、違うものもあり、時代とともに変わっていないものもあれば、大きく変わっているものもある。吉野先生の実践例から真摯に学ぶ姿勢は持ちながらも、時代も変わり、社会も課題も変化し続けている現代という時代の中で、女子教育の何を課題とし、教育のUpdateに取り組まなければならないのかを考える機会としたい。

(Q1)そもそも、「自己肯定感」というKey Wordだけで先生の様々な実践を語るのも大変だったのでは?

(A1)著書として出版する際の限界として、発達段階の違い、傾向、グラデーションなどは捨象された。本の中で語り尽くせぬことは多々ある。

(Q2)「自己肯定感の低さ」は結果であり、要因は別のところにあるのかも知れないのではないか?

(A2)そう思う。乳酸は疲労の原因ではなく疲労を回復させる物質であるのと同じ。自己肯定感を高めることは自己肯定感を低くしている阻害要因を排除すること。

(Q3)「自己肯定感が低い」ということは、果たして成長期のどの段階においてもマイナスなのか?

(A3)他者理解が伴わず、自己肯定感が高いのは問題。しかし、低いと向上心もわかない?多分、人生の選択をしなければいけない時期は高い方が良い。運動会の後など、達成感が高い時期に選択科目の希望調査をするとすごく前向きになる。また、鴎友学園では中学2~3年の時期を「中だるみ」として問題視するのではなく、。独自性も社会性も低い状態、自己肯定感も低い状態であることを理解して「拡散期」とし、否定的な見方をしなかった。成長期の一時的な自己肯定感の低下は覚醒し変化していくためにも通らざるを得ない経験かも知れない。ただ、その自己肯定感が低いままその後も過ごしてしまうことは大きな問題。特に女子は男子に比べても強く「社会規範」の影響を受けることで自己肯定感が低下しがちな傾向がある。「女の子らしさ」「点数至上主義」を求められることで自己肯定感が大きく傷つけられることに対して、大人の側が強く意識して接する必要がある。

(Q4)日経の全面広告に対して、国連女性機関がジェンダー平等推進の一つとして「「アンステレオ タイプアライアンス」と呼ばれる取り組みをしていることでの正式な抗議がありました。いわゆ る女性らしさや女子の特性みたいな差異の強調がジェンダー平等の流れといかに整合するのかが 気になります。この点は今後加速度的にクローズアップされると予想されますが、その点はどう お考えでしょうか。(事前に集めた参加者からの質問)

(A4)広告や教科書など、ステレオタイプを広めようとする動きについては、まったくその通り、 正しいご意見だと思う。 しかし、Genderギャップ指数などでも明らかなように、社会の指導者層を中心にまだ「女のく せに」「女だから」「女なのに」という意識が現実問題として残り、それが小さい頃から刷り込まれ、思い込まされている状況がある。地方の学校で講演すると痛切にそれを感じることが多い。「なぜできない女子に教えるのか」「女には無理な分野だ」「教えてもムダ」「男子の進学実績を上げるために、女子は無視しました」などという教員が共学の高校の、特に理数の教員には まだたくさんいるのが現状。その結果として多くの女性が排除され、不利益を被っている。その現実こそ批判されるべきで、その現実を直視し、そういう状態を指摘して何とかしようという動きまで、男女に二分する のはステレオタイプだとして排除しようとするのは間違っていると思う。teaching paradigmからlearning paradigmへの転換、教師・教科中心主義から 学習者中心主義への転換が求められる時代。教員の意識改革が進めば、全国の学校が、教員が、男子・女子として生徒を見るのではなく、一人ひとりを「まるごと一人の私」として見ることがで きるようになれば、あるいは、集団としてこうあるべき生徒たちではなく、個人をそれぞれ個別 の個性ある個人として見ることができるようになれば、「女らしさ」という枠ではなく、一人ひとりの「あなたらしさ」が求められるようになり、世間の「女らしさ」を打ち破るためにがんばってきた女子校は必要なくなるかも知れない。しかしそれまでは、女子が被る不利益を解消するために、共学校では力を開発されない女子のために、女子校は必要だと思うし、まだまだ先は長いのではないかと感じている。

(Q5)女子中高大を卒業してリーダーシップを発揮しても、企業の不平等と不条理に直面します。その ヒントをいただきたいです。学校教育が変わっても、社会が変わらない限り、今後も日本社会のジェンダー課題は解決しないのではないか?相変わらず酷い日本社会を前提にこれまで女子教育は何をしてきたのか?も改めて問われる必要があるのではないか?(事前に集めた参加者からの質問)

(A5)私もまったくその通りだと思う。でも、50年前、40年前、30年前と比較すると、いろいろなところでいろいろな変化は起こってきているとも思う。あと一押しとは絶対に言えませんが、二押し、三押しくらいのところまで来ているのではないでしょうか。今の日本のこの酷い状況は、明治以来の男の枠組みによる教育によって作られてきた。しかし、教育が変わろうとしている。教員の意識改革が進み、一人ひとりを「まるごと一人の私」 と評価することができるようになれば、社会全体も変わっていくのではないかと思うのですが、甘いでしょうか?そういう意味で私は、手前味噌ではありますが、「女性である前にひとりの人間であれ」という教えに従い、男子の能力を伸ばすために作られたカリキュラムから離れ、人間の能力を伸ばすために作られたカリキュラムで学んだ鷗友の卒業生に期待している。 これから、さまざまなメディアに取り上げてもらうよう働きかけ、さまざまな形で発信していくことが大切ですし、学校からも発信する必要があると思います。 5月10日(火)『クローズアップ現代』はテーマが「女子の自己肯定感」となる予定。急な事件などが入ると変更されますが、鷗友の取り組みがちょっと紹介される予定。ぜひ宣伝してください。 また、受験雑誌ですので影響力は小さいのですが、『進学レーダー』で連載していただいている「世界の中で小さな声を聞く」では、小学生向けに4回にわたりジェンダーを特集します。 “男の子は女のくせにと言ってはいけない”とか、制服のスラックス採用などを出発点にLGBTQなども取り上げ、解説しています。

ここまでの内容で時間の関係で終了となった。この読書会は今回1回限りではなく、今後もご著書の内容に関連させながら継続する予定です。ご参加頂いた皆様、本当にありがとうございました。ご講演頂いた吉野先生には感謝しかありません。次回以降も是非よろしくお願い致します。

女子教育研究会発足のお知らせ

女子教育研究会発足のお知らせ

春の到来を感じる季節となりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

この度、女子教育研究会を有志とともに立ち上げることとなりましました。事務局代表は私、鮫島慶太が勤めさせて頂きます。

《 女子教育研究会 ホームページ 》

https://keitasfen.wixsite.com/my-site

この研究会は女子教育の現場にある者が学びたいことを自由に学び、発信し、交流出来る、女子教育に関わるあらゆる人達のためのプラットフォームです。個人が所属する組織の利益にとらわれない、教員・教育関係者の学習会を主な活動とします。会の規模拡大や自校広報を第一目標とせず、現場にある者が学びたいことを自由に学ぶこと、課題に向き合い考え、解決に向けて行動出来るようになることを目指して会の運営を行っていきたいと思っております。

【 第1回 オンラインイベント 】

鴎友学園女子中学高等学校元校長 吉野明先生をお招きし、先生のご著書『女の子の「自己肯定感」を高める育て方(実務教育出版)』を用いてお話いただきます。

申し込みは上記サイトから行うことが出来ます。

吉野先生に積極的に質疑応答をなさりたい方、お話を聞いてみたいという方は申し込みフォームにメッセージをご記入いただくこともできます。

皆様是非ご参加ください。(参加費用は無料です)

ESN英語教育研究会の活動はこれまで通り、微力ですが、継続させて頂きます。

イベントのご案内や告知をはじめ活動を応援して頂いているESN英語教育総合研究会の皆様には感謝しかありません。この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございます。

教員の多忙化解消の問題で見落とされていること 「部活動は教員の仕事からアウトソース化されるべきか?」

先ほどまで、コトバンク様主催のイベントに参加しました。

【教員のバーンアウトを防げ!】今すぐできる!マイナス2時間プロジェクト  

登壇者はカナダのマギル大学博士課程の緒方先生、ESN英語教育総合研究会の高瀬先生、コトバンクから司会で元教員の越智先生。

教員のバーンアウトをテーマに

① 教員の多忙の実情・教員の労務管理(変形労働制の是非を含めて)

② 教員の自己効用感

③ 教員の多忙化改善の具体策:会議・朝礼・担任制度・部活動

など、話題は多岐に渡りました。

90分という限られた時間でしたし、ウェビナー形式でしたので詳しいやり取りは出来なかったのですが

今回は、「部活動は教員の仕事からアウトソース化されるべきか?」について簡単に考えを述べたいと思います。

私自身は教員をスタートした1990年から、「部活動は教員の仕事ではない」という立場です。

30年前の新人から、回りの空気も読まずに、この考えを主張し続けてきたので以下のような記事を読むと、やっと時代がここまで来たのか?と思わざるを得ません。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6e9ea86e8dde844686bdb7543ce155652d6282f0

しかし、この問題、そう単純なことではないと今では思っています。

労働条件の観点からは、時間外を前提にした部活動業務は教員の業務から外し、専門家に任せるべきである、という考えは変わりません。そもそも現場の善意に甘え続けてきた学校という組織の管理職はその大きな犠牲に対して責任を感じるべきだし、変えようとしないのであれば、断罪されても仕方がないと思います。

一方で、「学校は部活動をやるところではない。勉強をするところだ」という考えについても、私は昔はそうでしたが、2022年の現在、これは改めて問われるべき重要なテーマだと思います。

「授業や勉強では大切なことは学べない。部活動こそ真の教育の場である」

この考えには今でも賛同しかねますし、部活動が顧問の聖域と化していたり、部活動の関わる様々な業務を教員に押し付けてきたのが他ならぬ、部活動に熱心な教員でもあることなどはすぐにでも改善されるべき課題だと思いますし、部活動に熱心で授業にいい加減なら本末転倒だという考えも変わりません。

しかし、「学校は進学に向けて、効率的に勉強を教え込む場」としてはもはや存在意義を持たないし、今後サステイナブルではないのは、現状の部活動だけでなく、現状の授業やカリキュラムも同じではないか?ということです。

「授業では大切なことは学べない」。これは、学校という場の存在意義をUpdateする上で我々が今真摯に向き合わなければならない声だと思います。確かに授業が上手い先生はいるし、生徒や保護者の満足度を考えても、それを求める声は根強くあるでしょう。しかし、それが学校という場でなければ出来ないのか?と言えば、今後ますますそうではなくなる状況が進行すると思います。

教員側がスタサプより上手く授業出来るかどうか?という単純な話ではありません。そもそも、クラスにせよ、学校にせよ、偶然作られた集団です。この集団が偏差値輪切りで同質化しすぎてしまうことは以前からすごく気になっていました。個人的には小学校の集団が一番勉強になったと思っています。

家を借りたり買ったり出来ないからオヤジがバラックみたいな家を作ったとか、遊びに行くときにお金の心配が避けられない友達がいるとか、施設から通う友達がいるとか・・・。中高大と進むにつれて、周りの人間はドンドン似たような環境で育った人達になる。それは社会人になってからも続く・・・。

こうした社会において、外国人も含めて様々な多様性を持つ集団で、教科書を学ぶのではなく、プロジェクト(学校行事など学内のものも学外のものも)を中心に様々な経験をする場としての学校。また、これは元品川女子の教頭である鈴木先生のビジョンですが、「主要5教科がサブになり音美工書体家などこそが主要教科になり協働的な学びの場になる(主要5教科はICT活用を進めればよい)」といった新しい学校の在り方も模索されるべき時期にきていると思います。

部活動がなければ、本来的な学びの場ではなくなってしまう学校が仮に現状あるとして(恐らくそういう学校や環境も少なくないと個人的には思います)、その学校から部活動を業務として引き算すれば学校がよくなるか?と言えばそうではない。

かといって部活動を継続すれば、現場はもたない。

ならば、学校そのものの在り方を変えるしかない。

途方もなく難しいことで、私個人の力ではとても出来ませんが、そもそも今のそれぞれの学校の存在意義が何なのかを、しっかりと議論してUpdateすべき時期がとっくに来ているのではないかと感じました。

イベントは様々な気付きを与えてくれます。緒方先生、高瀬先生、越智先生、ありがとうございました。Repeatalkの皆様にも感謝です。

2021/12/27 未来教育研究会

2021/12/27 未来教育研究会

【参加者】
発起人3名(鮫島含む)
新聞記者1名
政治家(元衆議院議員)1名
教員・教育関係者2名
教育関連企業2名
女性社会研究者1名

【登壇・発表】
※ 概要はあくまで私のまとめであり発表者の意図とずれている場合もあることをご容赦下さい。

A:「2000年安倍断層のスロースリップと日本沈没」―教育政策決定の仕組み(最新の動向)
<概要>
 現在の日本の教育政策の源流は2000年3月に出された経団連「グローバル化時代の人材育成について」(https://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2000/013/index.html)に全て見ることが出来る。
この提言で出された様々な教育政策の実現は、第一次安倍内閣誕生の2006年を契機に政治と経済の接近
に伴い加速度的に進んでいく。この流れの中で日本学術会議を中心とする「学術」は、現場のごく一部の大学人を除き、批判的立場から日本社会の成熟的進化を促すオルタナティヴを提示することはなかった。むしろ「新自由主義的な教育・学問」の市場化を受け入れ、その流れの加速に加担していくスタンスを取ってきた。日大の問題などはむしろこうした流れの中で「学術の腐敗」の象徴という文脈で捉えるべきである。政財界の動きに対して学術こそが市民社会の信頼を得るべく、批判的な視点で国民Orientedな政策提言などを行っていくべきである。また資本・財界は自らの経営能力の低下を教育に責任転嫁することなく、自らも高流動を受け入れ産業構造の転換をこそ積極的に進めるべきである。

B:「女性にインタビューして気づいた厄介な抑圧」
<概要>
 1990年代前半に社会に出た当時、1986年施行「男女(雇用)機会均等法」もあり、これからは「女性が輝く時代」であると言われた。が、現在の状況を見る限りそんな時代は来なかった。自身も総合職として大手電機メーカーに採用され、将来は管理職にと考え、周囲からの期待もありながら、その道を選ばなかった。それは、その道の先にWell-beingがあるとはとても思えなかったからである。なぜ、日本社会は女性の活用」に失敗し続けるのか?それは、制度の問題もさることながら、日本社会で根強い「規範意識」にこそ病因があるのではないか?この問題意識を出発点に、オンライン留学を通して研究をおこなった。研究手法はデータリサーチ的な「実証主義」ではなく、個々の事例を主にインタビューを通して拾い上げていく「解釈主義」をアプローチとして選び行っていった。家父長制が問題になることが多い日本社会であるが、それよりは「イエ」という概念に基づく規範意識こそが日本社会全体に浸透する「抑圧」を生み出す要因であり、これらにメスを入れることこそが、欧米に比べて女性活用で大きく遅れた日本社会を変えていく鍵になるのではないか。

【鮫島:私見】

発表者Aとはインターネットを通じてご縁を頂き、その後も別の研究会で仲間として活動しています。
この発信で特筆すべきは、発表者がインターネットを中心とした膨大な一次資料をピースとしてかき集め、それらを時系列、因果関係などたった1人の頭脳で読み解き、現在の教育を取り巻く日本社会の全体構造を明らかにしているところです。

これだけの壮大な全体構造の提示は、教育現場では「陰謀論」として受け取られ、教育政策の決定者を文科省やそこに癒着する教育産業と見る現場教員も少なからず存在します。

しかし、「陰謀論」と呼ぶべきは「文科省犯人説」「一部の教育産業の政官との癒着」の拡大解釈であり(もちろんそうした事象は個々にはあるでしょうが)、そうした狭い構図の中で対立構造を想定することそのものが非常に大きな害悪になりかねない、と私自身がここ数年感じてきました。

参加された政治家の方は、与党野党両方のご経験もあり、権力中枢に近いところにいらっしゃった
方ですが、自分の経験と照らし合わせても、間違いだと思われるところはほぼ見当たらないとのご評価でした。また、同じく参加された新聞記者の方からも、記者として複数の部に所属してきた経験からも、この話を聞いて腑に落ちることが多いとのご評価でした。

発表者の発表前に私自身、改めて2000年の経団連発信を見直しましたが、具体的な事例をいくつか拾っても、現在の教育政策のほぼ全ての根がこの提言にあることが分かります。

□ 大学入試における英語改革
<提言より>
3.大学入試と大学・大学院教育の改善
1.大学入試センター試験における英語のリスニングテストの実施
大学入試センター試験において、英語のリスニングテストをできるだけ早く実施すべきである。
リスニングテストの実施は、中学、高校において会話重視の英語教育を行なう大きなインセンティブ
になると考えられる。また、各大学が個別に実施する入学試験においても、英語のコミュニケーション
能力を重視することが重要である。

⇒ 2006年センター試験の実施の6年前に既に経団連がこの発信を行っています。

□ 海外留学・研修制度の導入
1年間程度の海外留学、数週間程度の海外研修等の制度の導入、充実・強化を図り、英語力、
コミュニケーション能力、異文化理解力の向上・強化を図る必要がある。

⇒ 在学中に1年間の海外留学を早稲田大学国際教養学部が設置されたのが2004年。
  同じくAIU(国際教養大学)が設置されたのも2004年。
  その後2008年には立教大学・異文化コミュニケーション学部が設置。
  
  よく、「企業から評価の高い大学・学部ランキング」が話題になりますが、上記の大学・学部
  が卒業生を一定数出し社会的活躍が評価出来る以前から、高い企業からの評価を得ている
  といった現象は、悪く言えば「マッチポンプ」だと個人的には感じます。
  自らの提言通りのコンセプトで設計された大学・学部や学内制度を企業が評価するのは
  当たり前と言えば当たり前ですから。

□ 小学校の英語教育
技能としての英語力の重要性
英語力は、グローバル化の進展のなかで、いまや読み書き算盤に匹敵するひとつの技能である。
まず、技能としての英語力が必要であるという認識を持つことが重要である。
即ち、難解な英語の文章を解読する能力を身につける前に、日常で使用する基本的な英語表現を
反復練習等によって身につけ、実用的な英語力を習得することに力点を置くべきである。
このため、小・中・高校においては、英会話を重視した英語教育に一層の力を入れるべきである。
その際、小人数指導、習熟度別学級、情報機器のハード、ソフト等を利用した教材、インターネット
による海外の学校との交流などを利用して、学習効果をあげるよう創意工夫をすべきである。
できるだけ幼少の時期から英語を聞き、発声することが英会話力を身につけるために有効であること
から、小学校においては、2002年度から始まる新学習指導要領によって設置される「総合的な学習の
時間」を活用して、英語に触れる機会をできるだけ創るべきである。

⇒ 小学校の英語教育は2011年から少5~6で外国語活動がスタート。2020年より小3~4で外国語活動
  に加え少5~6で教科化されました。
  2000年の経団連提言では「総合学習」での英語学習が触れられていますが、「総合学習」が
  段階的にスタートしたのは2000年ですから、この段階では「総合学習」を経団連が生んだ
  というよりは、既にあった「総合学習」が形になる段階で提言を行ったと解釈するのが
  妥当かも知れません。

上記の他にも、最新の教育改革で話題になる様々キーワードを拾うだけでも、この経団連提言が
現在の教育改革でどのように実現しているかが実感出来るのではないかと思います。

□ 主体性
□ 起業家精神
□ 高度な専門知識・最先端の知識
□ 採用方法のオープン化
□ 小中学校の通学区域の弾力化の推進
□ 大学の自由裁量の余地拡大と自由な学部・学科の設置
□ 大学教員の評価
□ 講義内容やシラバス公開
□ 産業界など大学教育・研究社の学外人材との交流推進
□ 国立大学教員の兼業規制の緩和
□ 学習指導要領の大綱化・弾力化、改訂頻度の短縮
□ 校長のリーダーシップの発揮

   ※ 元々、職員会議は単なる校長の補助機関ではないとする説が根強かったが、
     対立を繰り返し意思決定を困難にした場合もあったので、文部省(当時)の中央教育審議会
     が1998年9月に「今後の地方教育行政の在り方について」という答申の中で職員会議の
     ありかたについて提案し、文部省が2000年、学校教育法施行規則を改正し、職員会議の
     規定を盛り込んだ。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%B7%E5%93%A1%E4%BC%9A%E8%AD%B0)
□ 公立の中高一貫教育の推進

□ 家庭教育
   ※ この点については経団連提言は「父親の教育参加」を強く発信している。
     当日ご欠席だった新聞記者の方のご著書で問題提起されている「PTAを通した
     親学の浸透」とは直接的な関連は文言からは見られない。
     ただ、自らの提言を進めるための環境創りを企業が行ってきたかと言えば
     一定の変化は見られるものの、諸外国の実情と比較すれば不十分と言わざるを
     得ないことは、「女性管理職の登用」が進まない日本企業の実情やジェンダーギャップ
     国際ランキングを見ても明らかであろう。

□ 教育の情報化:学校のインターネット環境の早急な整備

さて、こうした話に対して、私が見てきた反応は主に以下の2つです。

① 「財界提言」の何が悪い?産業界が教育に要請を出すのは日本だけの話ではない。
② こんな話を聞いたところで現場に何が出来る?こうした構造を変える力は個々の教員にはない。

①については、「財界提言」そのものは是々非々ですし、「財界が教育に口を出すな」というのは
むしろ教育に携わる現場にいる者の傲慢でしかない、というのが私の意見です。そもそも、経団連教育政策の課題認識やまとめ、正直文科省や政治家、教育関係者より上手いかも知れません(笑)。

世の中の動きなどどこ吹く風で、自分が受けてきた教育や教員や学校がやりやすい教育にしか
意識が向かない教員は、私を含めて、残念ながら現場の大半だと感じることが多いです。

しかし、「財界」も「教育現場」も、本来は「市民社会」の方を向いて存在意義をきちんと
構築し続けていくべきものではないでしょうか?

「財界提言」には「企業の自己改革」という項目はあるものの、全体の分量からすると非常に少なく
それらがこの20年で実現しているかと言えば、甚だ疑問であると言わざるを得ません。

ちなみに、この2000年の経団連提言で経団連が企業の自己改革について述べた箇所は以下でほぼ
全てです。

□ 企業の自己改革

21世紀にふさわしい人材育成システムを社会全体として築いていくためには、まず企業自らが
行動しなければならない。経団連では、1996年以来、創造的な人材育成に向けて、多様な人材が
自らの目的意識に基づいて能力を最大限に発揮できる環境の整備に取り組み、これらは着実に
進展している。具体的には次の通りである。

採用面
採用方法のオープン化
企業は、多様な人材を広く受け入れるために、採用方法をオープン化する。
具体的には、ホームページ等において、各社の求める人材像・採用情報を提示するとともに、
インターネットを活用したメールエントリー制の導入、大学名不問の採用等を行なう
(経団連が1998年に会員企業を対象に行なった調査では、半数以上の企業が「大学名不問の採用」
を導入・導入予定)。

個人の能力を適切に評価できる採用
通年採用や秋期採用の実施により、経験者や帰国子女等多様な人材の就職機会を増やすとともに、
春の新卒一括採用では困難であった、時間をかけた丁寧な採用活動を行なう。また、これに関連して
、職種別採用や経験者(中途)採用等により、専門的で即戦力となる人材(プロ)を積極的に確保
する(上記調査では、約8割の企業が「通年採用」を導入・導入予定、約半数の企業が「秋期採用、
職種別採用」を導入・導入予定、ほとんどの企業が「経験者採用」を導入・導入予定)。

処遇面
能力・成果主義に基づく給与制度
年功序列・悪平等を是正し、個人の能力を十分に発揮させるため、能力主義・成果主義に基づいた
処遇体系への転換を進める。現在、大半の企業で能力給・業績給や年俸制の導入が拡大している
(上記調査では、ほとんどの企業が「能力給・業績給」を導入・導入予定)。

個人の選択を重視する人事システム
専門職制度や社内公募制等の活用により、従業員が自らの進路や職種を選択することで、個人の
意欲や目的意識を従来以上に尊重する組織運営に努める(上記調査では、約7割の企業が「専門職
制度」を導入・導入予定、ほとんどの企業が「社内公募制」を導入・導入予定)。

研修面
従来のように企業側の判断で一方的に教育するのではなく、自らのキャリア開発に必要な研修を
主体的に選択し受講できる研修制度(自己責任型教育)の拡充を進める。また、業務を遂行する
上で各自で業務遂行時間を管理できるフレックスタイム制、裁量労働制ならびに休暇取得促進等
により、より柔軟な勤労システムを構築し、自己啓発に対する支援を行なう(上記調査では、
約7割の企業が「フレックスタイム制」を導入・導入予定)。

いかがでしょうか?
課題として挙げていることも少ないですし、女性の活用もこの段階では述べられていません。
課題として挙げたことさえ、出来ていない企業が大半ではないでしょうか?

コロナ禍を経験しても古い体質から変われない企業・・・。そんな自らの存続のために必要な人材を求められても、若者には「そんな所に行くな」としか言えませんけど。

① 「財界提言」の何が悪い?産業界が教育に要請を出すのは日本だけの話ではない。

この発信が日本においては大いに間違いであり、企業・資本は自らの存続のみを強烈に志向し、停滞の原因を教育に責任転嫁しているに過ぎない、と言われても仕方が無いのではないでしょうか?

むしろ、日本の発展のためには、「駄目な企業」「経団連」「経済同友会」といった組織が
健全に淘汰され、流動していく社会的な構造転換をすることこそが必要なのではないでしょうか?

ちなみに、私自身が2018年の3月にESN英語教育研究会で指摘しましたが、「日本人の労働生産性」
は1970年代から国際ランキング20位前後で推移してきました。バブル期ですら、資本を支える労働者は十分にその恩恵を受けたとは言い難い。

付加価値を生み出せない企業こそ、速やかに退場する

米国のインデックスファンドのようなドンドン入れ替わるような産業界の設計の方がよほど教育にもいい影響を与えるのではないかと思います。

② こんな話を聞いたところで現場に何が出来る?こうした構造を変える力は個々の教員にはない。

これは私自身もよく襲われる無力感です。
ですので、今回のような発表を聞いて、そのような気持ちに襲われる気持ちはよく分かります。

しかし、例えば、こうした社会全体の動きを知らずに教育現場にいるものが教育を行えばどうなるでしょうか?
日本には戦前・戦中の苦い経験があります。
「国策」が教育現場にダイレクトに反映される社会構造の中で、教員が1人1人の教え子達のWell-beingではなく、「富国強兵」に奉仕する国民育成を行った結果どうなったのか?

令和の現在は「富資本・強社畜」になりかねません。

また、自らの学校の経営状況だけを心配し、それだけを考えてなんとかしようとしても所詮はゼロサムゲーム。パイの奪い合いが起こるだけです。

公教育の中での存在意義を認めて貰えるように自己改革を行っていくことが出来なければトレンドだけを追い、結果短期的な成果すら疲弊するばかりで出せず、結局は衰退していくことになる。

たとえば、私自身は女子校勤務ですが、女子校の存在意義を社会全体の中で認めて貰えなければ
現在女子校を選択してくれている層すら共学に流れる。
公立も含めて、日本の中で多様な教育、デンマークのように親でも学校を作れるような多様な教育を目指す文脈の中で自らの存在意義を認めて貰う姿勢がなければ、結局は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のような世界からは抜けられない。

また、仮に、市民社会に存在意義を認めて貰えないような組織であるならば、その組織を存続させることには何の正義もない。資本の流動が必要なように学校組織そのものの流動も不可避で必然ではないでしょうか?

問題は資本や教育機関そのものの流動性を心的安心安全を土台に実現出来るかどうか?

それが #フレキシキュリティ であることを改めて確認した機会でした。

発表者B 「女性にインタビューして気づいた厄介な抑圧」について

発表者BとはAを通してご縁を頂きました。実は、本校で私が書いている進路指導部通信Lighthouse
にもご執筆を頂いた方です。

発表者Aと共通しているのは、ご主張が自分のエゴやポジショントークではないこと。

Bさんは、最後に「30年後に日本社会を今度こそ変わったと言われる姿にしたい」と仰いました。
私自身とほぼ同世代ですが、こうしたライフミッションを意識した生き方には尊敬しかありません。

少し話はずれますが、組織の要職として働く人間が、組織の阻害要因になりながら組織に居続け
退職後には何もすることがない・・・。こんなパターンは嫌というほど見てきました。

私自身がそうならないように、属する組織のことしか頭にないような生き方はしないように
したいと思います。

話をBさんの発表に戻します。
実証主義的な研究ではないと仰っていましたが、発表にはデータも豊富で特に私が印象に残っているのは、「浦和高校」「浦和一女」の比較です。

高校受験段階でほぼ同じ基礎学力を持ちながら卒業後の進路の違いや主な著名人などのロールモデルの多様性の大きな違い。

この差を生むのが何なのか?という実体験に基づく問題意識はご自身の研究のあらゆるところにしっかりとした土台として通底していたように感じました。

また、現在の日本社会では「女子校の存在意義」>「共学の存在意義(特に男子優位の共学)」というお考えや女子校OGこそが阻害要因になりかねない現実といった指摘には女子校教員として大いに学ぶことが多かったです。

別のところでやっている「女子教育研究会」にも是非お呼びしたい素晴らしい方です。

またご自身はほとんど意識されていなかったのかも知れませんが最近の東大女子の写真などを材料に、「こんなんじゃ駄目だ」といった上から目線など微塵もなく、「こんな私たちの頃よりもシナを作ったような表情しかさせられなくてごめん」という台詞には、本当に感動しました。

経団連の皆様、教育関係者の皆様、読んで下さった全ての大人の皆様

私たち大人は子ども達に要求する前に、そうした姿勢こそまず持つべきではないでしょうか?

「自分1人には何も出来ない」

そんな意識しか持てない人間が、子ども達にあーでもない、こーでもないと言える資格など
ない。

こんな日本でごめんなさい。
少しでもよくなるように、邪魔をせず、自分に出来ることをしながら自分も頑張る

という意識を持たなければならないと改めて感じた素敵な時間でした。

ところで、最近のZoomって40分ごとに落ちるんですね(^^;)。

5回くらい落ちたと思いますが、4時間超に渡る研究会に最後までお付き合い頂いた参加者の皆様ありがとうございました。

もし未来教育研究会ご関心をお持ち頂ける方は keitaesn@gmail.com までご連絡下さい。

オンライン授業が問いかけるもの

大学では、

「オンライン授業が大半で学費は同じ。これは納得いかない」
という学生・保護者側の声

「オンライン授業準備で大学教員の仕事量はむしろ増えている。学費減額がないのは当然」
という大学側の主張

が対立しているように見える。

アメリカでの判例などを材料にどちらが正当なのか、といった議論も見かけるが
私自身は大きな違和感しかない。

中高でも生徒達はコロナ禍以来、従来の学校生活を十分に経験出来ていない。

学費を払って経験する学校生活が

授業+部活動+委員会+行事+交友関係

といった要素に分解され、それぞれが「通常」に比べてどの程度不足しているか?

という視点から考えられることが多い。
しかも大学では、それが「授業(講義・ゼミ)」といった要素にかなり偏って論じられる。

ただ、オンライン授業を受けている側も行っている側も、もう気づいているのではないだろうか?

そもそも、因数分解した部分の総和が学校生活ではない ということに。

同じ授業を受けて、時空を共有した経験を持つ人間と行事や部活動、委員会といった経験も
共有することに、学校生活の意味はある。

思春期の悩みと授業と一緒に食べるランチとサークルや体育会の活動の間に境界線はない。
それは自分の経験を振り返っても直観だが、強い確信を持って言える。

授業だけ行っても、部活動だけやっても、行事だけやっても
それはやはり何かが欠けた経験にしかならない。

それをオンラインで再構成しようとしても、なかなか上手くいかない。
オンラインで構築出来る世界はオンラインの創る世界でしかない。

もちろん、大きな魅力を持つ共同体をオンラインで創り上げることも可能かも知れないし
そういう実践を行っている場も既にあるだろう。
しかし、それは、「対面の経験の再現」ではなく、全く別のものとして創り上げられている
からこそ魅力を持つものなのではないか?

デンマークのフォルケホイスコーレ。
デジタルの真逆を行く共同生活を土台とした学校。

これはオンラインでは絶対に再現出来ない。

話はズレるが、社会人のリカレントやリスキリングについても
効率だけを考えればオンラインの活用はドンドン進めるべきだが
それだけでは不十分ではないか?
そうしたものとは別にフォルケのようなリカレントの場が今の日本には
絶対に必要な気がする。

社会で通用するスキルを学び直す、という目的に異論はないが
新しく構築される人間関係や人との出会いから得られる様々な刺激や学び
それらがあってこそのリカレントなのだと思う。

オンラインでしか実現出来ないものも絶対にあるはず。

ただ、年齢が低いほどそれは難しい気がする。

息子の幼稚園生活は毎日マスク着用で。
コロナ禍の子ども達は人の表情にどれだけ触れているのか?
それを考えるとゾッとする。

直観でしかなが、デジタルでそれを補完することは恐らく無理だろう。

話を元に戻す。
オンラインか対面か?の二項対立に欠けているもの。
それは、今の状況が考える機会をを与えてくれる様々な貴重な問いに向き合うことではないか?

それは学校とは何か?という根源的な問いに通じる。

対面授業とオンライン授業の学費が同じでよいか?といった特定の要素を巡る
議論には不毛な展開しか期待出来ない。

私たちは新しいステージに向かわなければならない。そう強く思う。

大学債(大学ファンド)をどう見る?

https://www.nikkei.com/article/DGXZQODE2315H0T20C21A7000000/

日本経済新聞2021年7月26日記事より

現場の教育とは無関係に思われるかも知れませんが、この問題が広く教育関係者を中心に国民的な議論にすらならない現状に大きな疑問を感じます。

ハーバード大学などの運用と比較し、日本の大学の資産運用の規模が小さいという点がしばしば強調されます。

私は「大学による資産運用」そのものは是々非々だと思っています。ただ、今回の大学債では以下の点がきちんと整理され説明され、議論にならないことがどうしても納得いきません。

① 国公立大学の行う資産運用である以上、原資は「税金」「国の資産」であり、国民的なコンセンサスが必要。

② 運用目的は「研究」「人件費」とされるが、それらの「公的意義」についての国民的なコンセンサスが不明。

まず1点目ですが、ハーバード大学は多額の学納金、寄付金で運営されるアメリカの私立大学です。当然ですが、資産運用に税金という公金を投入していません。更にポートフォリオを見ると、伝統的金融資産(株・債権)に加えてヘッジファンド、プライベイトエクイティなどが30%を占めます。不動産についても日本よりリセールバリューが案安定している欧米の状況からでしょうか、非常に高い割合で投資出来るのだと感じました。

運用益平均は20年間で9.5%。全米株式のS&P500や全世界株などのインデックス投資をはるかに凌ぐ信じられないほど高い水準。これは、ウォール街と通じているハーバードならではの運用だからなのかな、と勘ぐってしまいます。

日本に同じようなパフォーマンスが期待出来るのか?と言えば・・・。やはり難しいのではないか?と思います。

もちろん、ハーバード並の運用益を期待するのは酷でしょうし、現在の日本の経済状況を見れば、外国の株式などへの投資もやむを得ないとは思います。運用益は3~4%を想定しているでしょうが、リスクを考えるとそれも妥当な線だと思います。

問題は、「公費」を運用することの是非についてです。年金におけるGPIFについては、「将来の若年層の負担軽減」という「大義」がありますが、この大学債についてはどうでしょう?日経の記事には以下のようにあります。

社会的な課題の解決につながる事業に使途を限ったソーシャルボンド(社会貢献債)とし、大型研究施設や新型コロナウイルス対応のキャンパスの整備に使う考えだ。

この点について、具体的な内容は今後発信されるのかもしれませんが、「大学の社会的存在意義」=「短期で成果を出す研究」に限定されないか?という不安をまず感じました。もちろん、「大学の研究は尊いものであるから、成果などはあまりうるさく言わず、国費を惜しみなくつぎ込むべきである」といったノスタルジックな大学側の傲慢さ(あくまで私が感じているものですが)は市民社会の厳しい審判を受けるべきだと思います。が、これまでの大学に他する行政や経済界のスタンスを見ると、「イノベーションを含む短期で金になる事業を最優先せよ」という資本側の都合に大学が振り回されている状況は確実にあると思います。この点が「国民的なコンセンサス不在」と私が大学債を巡る問題で感じる大きな違和感です。国民Orientedではなく資本Orientedである点が税金を原資とする資産運用とマッチングしない。

ここからは2点目ですが、大学ファンドの運用目的が「社会的課題の解決=社会貢献」というのであれば、「公費を運用した利益」は、リカレント教育不足の改善(当該大学学生だけではなく国民の再教育を含む)、非正規教職員の待遇改善、SSW(ソーシャルワーカー)やカウンセラーなどのエッセンシャルワーカーの待遇改善などにも向けられるべきだと思います。端的に言えば、「広く国民に存在意義を認められた大学が、国民の利益を目指して行う活動について、コモンズとして発展することに繋がる運用益の活用」こそ必要だと思うのですが・・・。

また、そもそもハーバード大学にせよ、大学が資産運用を行う場合には、先に事業計画、研究計画があるべきで、それらが雑に後回しになっていることにも疑問を感じます。

皆さんはこの大学ファンド問題、どのようにお考えでしょうか?

低成長、高齢化、人口減少などの課題を抱える日本が、大学債に限らず、過去の資産を運用することについては、是々非々だと私は思います。もちろん、r>g (ピケティ)の指摘を無視する訳でも、新自由主義の暴走資本主義を肯定するわけでもありません。ただ、「国民全体の資産に手を付けるな」と言いつつ、閉じた大学がほんの一握りの内部の大学人にのみ独占されるような姿勢にも大きな疑問を感じています。ですから、大学が持つ資産を広く国民に還元する(直接的な還元でなくても研究を通じてでも)ということであれば、大学債による運用もよいと思います。

ただ、国民にどう還元されるのかが見えない=国民的コンセンサスなど不在という現状は明らかに異常だし、どうしても資本への隷属・貢献という図式が見えてしまう。であれば、資本が原資を投じるべきであり、国費を使うのは筋が違う、と感じざるを得ません。

それにしても、中高の現場でこうした話題が出るか?というと・・・。

大学だけではなく、中高の現場も「市民社会での存在意義」を突きつけられ、焼かれる日もそう遠くないのかも知れませんね。