オンライン授業が問いかけるもの

大学では、

「オンライン授業が大半で学費は同じ。これは納得いかない」
という学生・保護者側の声

「オンライン授業準備で大学教員の仕事量はむしろ増えている。学費減額がないのは当然」
という大学側の主張

が対立しているように見える。

アメリカでの判例などを材料にどちらが正当なのか、といった議論も見かけるが
私自身は大きな違和感しかない。

中高でも生徒達はコロナ禍以来、従来の学校生活を十分に経験出来ていない。

学費を払って経験する学校生活が

授業+部活動+委員会+行事+交友関係

といった要素に分解され、それぞれが「通常」に比べてどの程度不足しているか?

という視点から考えられることが多い。
しかも大学では、それが「授業(講義・ゼミ)」といった要素にかなり偏って論じられる。

ただ、オンライン授業を受けている側も行っている側も、もう気づいているのではないだろうか?

そもそも、因数分解した部分の総和が学校生活ではない ということに。

同じ授業を受けて、時空を共有した経験を持つ人間と行事や部活動、委員会といった経験も
共有することに、学校生活の意味はある。

思春期の悩みと授業と一緒に食べるランチとサークルや体育会の活動の間に境界線はない。
それは自分の経験を振り返っても直観だが、強い確信を持って言える。

授業だけ行っても、部活動だけやっても、行事だけやっても
それはやはり何かが欠けた経験にしかならない。

それをオンラインで再構成しようとしても、なかなか上手くいかない。
オンラインで構築出来る世界はオンラインの創る世界でしかない。

もちろん、大きな魅力を持つ共同体をオンラインで創り上げることも可能かも知れないし
そういう実践を行っている場も既にあるだろう。
しかし、それは、「対面の経験の再現」ではなく、全く別のものとして創り上げられている
からこそ魅力を持つものなのではないか?

デンマークのフォルケホイスコーレ。
デジタルの真逆を行く共同生活を土台とした学校。

これはオンラインでは絶対に再現出来ない。

話はズレるが、社会人のリカレントやリスキリングについても
効率だけを考えればオンラインの活用はドンドン進めるべきだが
それだけでは不十分ではないか?
そうしたものとは別にフォルケのようなリカレントの場が今の日本には
絶対に必要な気がする。

社会で通用するスキルを学び直す、という目的に異論はないが
新しく構築される人間関係や人との出会いから得られる様々な刺激や学び
それらがあってこそのリカレントなのだと思う。

オンラインでしか実現出来ないものも絶対にあるはず。

ただ、年齢が低いほどそれは難しい気がする。

息子の幼稚園生活は毎日マスク着用で。
コロナ禍の子ども達は人の表情にどれだけ触れているのか?
それを考えるとゾッとする。

直観でしかなが、デジタルでそれを補完することは恐らく無理だろう。

話を元に戻す。
オンラインか対面か?の二項対立に欠けているもの。
それは、今の状況が考える機会をを与えてくれる様々な貴重な問いに向き合うことではないか?

それは学校とは何か?という根源的な問いに通じる。

対面授業とオンライン授業の学費が同じでよいか?といった特定の要素を巡る
議論には不毛な展開しか期待出来ない。

私たちは新しいステージに向かわなければならない。そう強く思う。

大学債(大学ファンド)をどう見る?

https://www.nikkei.com/article/DGXZQODE2315H0T20C21A7000000/

日本経済新聞2021年7月26日記事より

現場の教育とは無関係に思われるかも知れませんが、この問題が広く教育関係者を中心に国民的な議論にすらならない現状に大きな疑問を感じます。

ハーバード大学などの運用と比較し、日本の大学の資産運用の規模が小さいという点がしばしば強調されます。

私は「大学による資産運用」そのものは是々非々だと思っています。ただ、今回の大学債では以下の点がきちんと整理され説明され、議論にならないことがどうしても納得いきません。

① 国公立大学の行う資産運用である以上、原資は「税金」「国の資産」であり、国民的なコンセンサスが必要。

② 運用目的は「研究」「人件費」とされるが、それらの「公的意義」についての国民的なコンセンサスが不明。

まず1点目ですが、ハーバード大学は多額の学納金、寄付金で運営されるアメリカの私立大学です。当然ですが、資産運用に税金という公金を投入していません。更にポートフォリオを見ると、伝統的金融資産(株・債権)に加えてヘッジファンド、プライベイトエクイティなどが30%を占めます。不動産についても日本よりリセールバリューが案安定している欧米の状況からでしょうか、非常に高い割合で投資出来るのだと感じました。

運用益平均は20年間で9.5%。全米株式のS&P500や全世界株などのインデックス投資をはるかに凌ぐ信じられないほど高い水準。これは、ウォール街と通じているハーバードならではの運用だからなのかな、と勘ぐってしまいます。

日本に同じようなパフォーマンスが期待出来るのか?と言えば・・・。やはり難しいのではないか?と思います。

もちろん、ハーバード並の運用益を期待するのは酷でしょうし、現在の日本の経済状況を見れば、外国の株式などへの投資もやむを得ないとは思います。運用益は3~4%を想定しているでしょうが、リスクを考えるとそれも妥当な線だと思います。

問題は、「公費」を運用することの是非についてです。年金におけるGPIFについては、「将来の若年層の負担軽減」という「大義」がありますが、この大学債についてはどうでしょう?日経の記事には以下のようにあります。

社会的な課題の解決につながる事業に使途を限ったソーシャルボンド(社会貢献債)とし、大型研究施設や新型コロナウイルス対応のキャンパスの整備に使う考えだ。

この点について、具体的な内容は今後発信されるのかもしれませんが、「大学の社会的存在意義」=「短期で成果を出す研究」に限定されないか?という不安をまず感じました。もちろん、「大学の研究は尊いものであるから、成果などはあまりうるさく言わず、国費を惜しみなくつぎ込むべきである」といったノスタルジックな大学側の傲慢さ(あくまで私が感じているものですが)は市民社会の厳しい審判を受けるべきだと思います。が、これまでの大学に他する行政や経済界のスタンスを見ると、「イノベーションを含む短期で金になる事業を最優先せよ」という資本側の都合に大学が振り回されている状況は確実にあると思います。この点が「国民的なコンセンサス不在」と私が大学債を巡る問題で感じる大きな違和感です。国民Orientedではなく資本Orientedである点が税金を原資とする資産運用とマッチングしない。

ここからは2点目ですが、大学ファンドの運用目的が「社会的課題の解決=社会貢献」というのであれば、「公費を運用した利益」は、リカレント教育不足の改善(当該大学学生だけではなく国民の再教育を含む)、非正規教職員の待遇改善、SSW(ソーシャルワーカー)やカウンセラーなどのエッセンシャルワーカーの待遇改善などにも向けられるべきだと思います。端的に言えば、「広く国民に存在意義を認められた大学が、国民の利益を目指して行う活動について、コモンズとして発展することに繋がる運用益の活用」こそ必要だと思うのですが・・・。

また、そもそもハーバード大学にせよ、大学が資産運用を行う場合には、先に事業計画、研究計画があるべきで、それらが雑に後回しになっていることにも疑問を感じます。

皆さんはこの大学ファンド問題、どのようにお考えでしょうか?

低成長、高齢化、人口減少などの課題を抱える日本が、大学債に限らず、過去の資産を運用することについては、是々非々だと私は思います。もちろん、r>g (ピケティ)の指摘を無視する訳でも、新自由主義の暴走資本主義を肯定するわけでもありません。ただ、「国民全体の資産に手を付けるな」と言いつつ、閉じた大学がほんの一握りの内部の大学人にのみ独占されるような姿勢にも大きな疑問を感じています。ですから、大学が持つ資産を広く国民に還元する(直接的な還元でなくても研究を通じてでも)ということであれば、大学債による運用もよいと思います。

ただ、国民にどう還元されるのかが見えない=国民的コンセンサスなど不在という現状は明らかに異常だし、どうしても資本への隷属・貢献という図式が見えてしまう。であれば、資本が原資を投じるべきであり、国費を使うのは筋が違う、と感じざるを得ません。

それにしても、中高の現場でこうした話題が出るか?というと・・・。

大学だけではなく、中高の現場も「市民社会での存在意義」を突きつけられ、焼かれる日もそう遠くないのかも知れませんね。

共通テスト Fact Opinion 識別問題の大きな問題点

以前のブログでも試行問題段階で取り上げましたが、この問題コンセプトそのものにかなり問題があると思います。試験の設計としても、今回の共通テスト第一日程、第二日程では大きな課題が見られました。以下、順を追って説明したいと思います。
【問題点①】 共通テストの問題には fact / opinion の定義すらない。
そもそもFact / Opinion とは何なのでしょうか?https://www.bbc.co.uk/bitesize/topics/zs44jxs/articles/z3wgqhv
BBCの上記のサイトにはfact, opinion の定義が以下のように掲載されています。

Facts:

  • Facts are definitely true.
  • They can be backed up with evidence.
  • For example, ‘the Prime Minister is giving a speech.’

Opinions:

  • Your opinion is how you feel.
  • Other people might think differently, they have a different opinion.
  • For example, ‘having a teenager as Prime Minister is a terrible idea.’

実は後述しますが、BBCのサイトもこれらの定義については恐らく最近Updateを掛けていますが、PISAのテストにせよ、共通テストにせよ、上記レベルの定義の2分法を前提にしていると思われます。このこと自体が問題としての大きな課題であることは言うまでもありません。なぜなら、解答者は定義が明確でないものでの2分法を迫られることになるからです。


【問題点②】 共通テストの問題には本文を見る必要がない選択肢が多くなる。
何をもってfact, 何をもってopinionと識別するかが分からない状態で、受験生は、fact=事実(客観) opinion=意見(主観)というレベルの意識で解くでしょう。そして、これは出題者側の意識レベルも同じだということが問題から分かります。以下、第一日程、第二日程で出された計8題のfact, opinion の二分法の問題の選択肢を全て見ていきましょう。
選択肢だけを見た場合の解法はシンプルです。
① 感情の助動詞(should/need/must/ have to)などを含む選択肢はopinion

② 判断を含む形容詞(many / few / little / much など)や副詞( well / fortunately)などはopinion

第一日程
第2問A 問3・問4

【解答】 問3=1 問4=3

【解法】 

問3 ②はneed to で、③はvery wellで、④はpromising でopinion確定。よって読まなくても解答は①

問4 ①はスコア=数値。本文とあってれば問題なくfact。合ってなければfalse。 ②も本文・資料から判断 ④も本文・資料から判断。   ③はreally connected with が主観的表現。そもそも①~③は事実確認出来るので③しか残らない。

第2問B 問2・問4

【解答】 問2=4 問4=2

【解法】

問2 ①はis needed より、②はimproveしたかかどうかは何をevidenceにしてるか不明なことより、③はshouldより opinion確定。よって資料から念のため確認し正解は④。

問4 ①はimportant / earlyより ③はhas to より ④はneed より全てopinion。よって読まなくても②しかない。

第二日程第2問A 問3・問4

【解答】 問3=3 問4=1

【解法】

問3 ③のa lot of より、④のa long time より opinionの可能性があるのは2つ。あとは本文確認。

問4 ②はconveninentより、③lightより(carry aroundの意味上の主語があれば別ですが)、④not too expensive より(これもbuyの意味上の主語次第では別ですが)   opinion確定。よって解答は①しかない。

第2問B 問3・問4

【解答】 問3=3 問4=1

【解法】

問3 ①はgoodより、②はniceより、④はchallengingよりopinion。よって③しかない。

問4 ①はdifficultより、②はmostより opinionの可能性があり、③④は主観がないのでopinionにならない。よって①か②かを本文で確認。
解法により選択肢のみの確認で正解が確定する問題が6/8でしたね。


【問題点③】 共通テストで出題すべきかどうか、の前にこの2分法そのものに何の意味があるのか?
私の授業では、fact / opinionの二分法そのものが抱える問題点を以下のようにまず生徒に説明しています。


A)ディズニーランドの昨日の入場者数は多かった。

B)ディズニーランドの昨日の入場者数は3名だった。


生徒にfact or opinionを質問すると、A)=opinion B)= fact という回答がすぐに帰ってきます。「正解」と言った後、「でもさ、ディズニーランドに昨日3名しかいかなったって本当?」と聞くと、「あ!?」という顔をします。
definitely true かどうかは、分からない訳ですから、factとすることへの違和感と、fact=truthとは限らないという気づきが生まれます。


factかopinionかということを考えさせることに意味があるとしたら、それはCritical Thinking、つまり、書かれていることが正しいのかどうかを自分の頭で考えて、様々な資料を確認して真偽を見極める能力を養うこと、それしかありません。しかし、fact / opinionの2分法は、単なる情報の選別にしかなりません。先の学びが生まれない。


私の授業では、Auburn Universityの研究者の提唱する4分法を使っています。
fact = sourceがハッキリしているもの

false claim = 明らかな間違い

untested claim = sourceが明確でなく確認が必要なもの

opinion =sourceが不明確で、かつ話者・書き手の主観


4分法を使えば、A)=opinion B)= untested claim となります。B)は主催者発表なのか、それとも入場者が見渡した結果の言葉なのか、sourceが明らかではなく真偽が判断出来ません。よって、oipinionともfactともfalse claimとも判別が付かないことになり、untested claimとなります。
untested claimは特に報道では出来るだけ避けるべき、という前提が海外の先進国のメディアでは常識ですが、日本ではopinionの垂れ流しや「関係者筋によると」といった曖昧な表現が本当に目立ちますよね。Critical Thinking Skillをつけたいのなら、まずは大人から、です。


蛇足ですが、実は、 There were many people in Tokyo Disneyland. がopinion という判断も実は正しいとは言い切れません。なぜなら、sourceが提示されていれば、基本的にはfact になるからです。
これを言えば元も子もないですが、共通テストで出してはいけないと言う理由お分かりになりますよね?本文というsourceがある以上、opinionとは言い切れません。こうなると【解法】云々ではなく、選択肢は2分法で言えば、全てfactになりますし、fact=truthとは限らない訳ですからfact=falseでも構わないということになりますので、本文に記述があれば全てfactとなります。
だから、やめるべきだと試行問題の段階から発信したのですけど・・・。私の言うことなど、世の中を変える力はありませんね(笑)。

2021 共通テスト 文系科目単なる感想

Facebookで1科目ずつコメントしていったのですが、文系科目は全て解いてみたので、感想をここで投稿をまとめてみます。英語については後日詳しくコメントするかもしれませんが、とりあえずの投稿です。

【英語Reading】

共通テストのfact, opinion 問題。本文読まないで解けてしまうやん😅
コンセプト自体がアカンと言うてきたのに…。詳しくはまたブログで書きますが(というか以前試行問題の時に課題として発信したのですが)。難化と言うてる予備校の判断も表面的な予感が😅。

分量の多さに惑わされなければ、センターよりむしろ満点取りやすいというのが私の感想です。
Fact,Opinion の問題はコンセプトに難ありは既に投稿した通り。
さて、ただ一問。
うちの生徒のマインドから心配な問題が一つ。
17:00にお土産屋に到着。約1時間の購入時間と指示される。ホテルの食事は18:30スタート。お土産屋の最寄りの駅から乗るべき電車はどっち?
17:40発18:02着の電車で徒歩数分でホテル 
か 
18:00発で18:22着の電車で徒歩数分のホテル
真面目なうちの生徒なら、お土産屋購入時間切り上げ、電車が遅れる可能性も考えて、5分前集合を考えて、部屋でお土産置いて戻る時間も考えてしまいかねない😅
嫌な予感するなぁ😰
だから私はギリギリまで見学も遊びもやって来いと言ってきたんだけど…。
いや、『だから』は違うけど😅

【英語Listening】

うちの学校はZ会のリスニング問題集を使用してますがほぼ難易度的にも同じであっただけでなく出題ミスとしか思えない聞かなくても解けるグラフ問題までまさか本番で出るとは!?ビックリ😳
デンマークの幸福度の問題は最近話してた雑談的な話とリンクしてたけど、まぁそういうことはよくあること。
今年の生徒は一回読みだけでなく、配点が大きい設問があることに苦しむかな。
これは例年の国語と同じで上位層で差を生みやすい。もちろん、どこまでを上位層とするのか?にもよるけど。
ところで、せっかくデンマークの幸福度の問題出すなら、このコロナ禍で入試だけはどうしても、というシステム変えればいいのに…。

【現代文】

英語と違って漢字の知識を問う問題、これ本文ほぼ読まなくても出来るレベルで従来とあまり変わらない。
評論の問題の選択肢の長さもセンター試験から変わらず。
解答では確実に間違いを含む記述さえ弾ければ正解に辿り着くのは難しくない。小林秀雄ショックの年も基本的に問題自体は難しくない。生徒目線で見れば、本文の言ってることがサッパリ理解できないレベルなのか、なんとなくでも自分の中で引っ掛かるものがあるのか次第で解きやすさは変わるでしょうね。今回はそれほど厳しいテーマではないかな。妖怪ではなく鬼がテーマだったら更に解きやすかったかもだけど。
小説も本文、批評①、①への反論と、小説のようなタイプの文章の読み方や解釈の多様性というコンセプト以外は、従来型とあまり変わらないし、解き方も実は評論と同じ。根拠は本文にしかない。本文に書かれてない余計な情報を含む選択肢を除外できれば、正解へのアクセスは可能。選んだ選択肢の妥当性にこだわりすぎると迷うでしょうけどね。
で、新傾向、どこ行った?😅
試行問題と題材が違いすぎでは?というか、止めるなら今後も止めれば?受験生への配慮なのか、今後もなのか、
これでまた来年も受験だけにフォーカスする人達は疑心暗鬼になりそう…。

【世界史B】

もう知識はほとんど脳から消えてる自分がどう感じたのか、レベルの発信です。昔読んだ漫画のストーリーすら記憶から飛ぶ今日この頃ですから、コメントはそういう奴のレベルの発信だとお読みください(笑)。
まず、資料の改竄や言論弾圧を所々でテーマにしてる🤣
歴史に学べというメッセージとして受け取りました😅
次にセンター試験の世界史ほどひどい試験はない、とずっと言ってきましたが、今回改善されてると感じました。
少なくとも様々な出来事、背景などの因果関係として歴史を考えさせるスタンスは感じました。
ただ、これ、グラフ何の意味あるの?という使い方は今後改善して欲しいです。
形式だけ繕っても意味はないから。
用語集ボロボロにしてきた受験生には食い足りなさやかなりの浅さを感じたかもしれませんが意味も分からず、受験終われば忘れるような知識問題よりはずっとコンセプトはいいと思いました。

【日本史B】

受験科目としては使わなかったので高校1年生の時に履修しただけです。素敵なお爺ちゃん先生の授業、眠くなることも多かったけど、戦時中の体験談など今でも覚えてるなぁ・・・。
世界史に比べると昔から歴史を学ぶ面白さなどを意識した問題はあったように思いますが、後半の問題は私でもあまり間違えなかったです。つまり、出されている資料や統計をよく見たり、背景を考えたりすれば史実についての細かい知識がなくても解答が出来る。
センター試験時代の地理Bなんかがそういう特徴ありました。原油を飛行機で運ばないよなぁとかそういうことを考えられれば知識がなくても解ける問題があってそれだけで6割取れてしまったり・・・。ただ、地理Bもそうだけど、年度による難易度差が大きく、むしろ求められる知識レベルが上がると平均が下がっていたことを考えると、今後は後半のコンセプトの問題が増えれば、丸暗記よりは、「なんで当時の人はこんなことをしたんだろう?」といったことを考える科目や授業になりそう。
試験から授業を変える発想は好きではないし、もう何度も言ってきてますが、「試験の精度や質の向上」では社会は良くならない。けど、こういう問題になることには私はいいなぁと個人的には思います。
で、何より嬉しかったのは、一遍上人また登場😊踊り念仏、好きなんですよね~。
佐久市のお寺にも2度ほどお邪魔して、祭りのために団子作ったり。40歳超えてたけど、「学生さん?」とか聞かれた。元気な80代や90代から見えれば私なんかただの小僧なんだなぁとくすぐったい気持ちになりました(笑)。

【地理B】

資料の読み取りや背景の考察でかなり取れると感じたのですが、案外平均点は伸び悩むのかな?意外です。
高校時代履修すらしなかった科目ですが田舎の地元公立中学入学当時は最も好きな科目でした。当時の地理の先生が、山登りが好きな先生で、授業中に見せてくれる写真が大好きだったことや、親戚が車でいろんなところに連れて行ってくれることが何よりの楽しみだったことから、中学時代までの自分がどれだけ恵まれた環境だったのか、改めて感じます。
天橋立は大好きな場所の一つで、高校時代の友人とも、家族とも、その他色々な人達とも何度か行ってます。ちなみに現高校3年生が本校に入学してきた年の中学入試の問題とほぼ同じという偶然。6年前の入試のことを生徒が覚えてたかは・・・。うん、きっと覚えてたと信じましょう(笑)。
地理って地名覚えるだけの科目ではなく、産業や歴史とも関連するし、地学とも当然リンクするし、何より行ってみたいというワクワク感も生みやすいし、学んでいて本当に楽しい科目だと思います。センター試験時代から実は解いていて一番楽しいのは地理だったりしますね。もちろん、知識を聞かれると知らなければどうにもならない訳ですが・・・。
地政学といった学問も注目されるようになってかなりたつけど、文系理系問わずに勉強しておいて損はない科目だと思います。もちろん、テストに向けて、ではなくて、体系的に学ばなくても、特定の地域を歴史、産業、人口動態などのデータ、地形、地政学など様々な観点から考えて学ぶだけでも、無茶苦茶勉強楽しくなる気がします。

【倫理】

今回平均点高そうですね。
もともと資料読解力や文章読解力があれば、知識がほとんど必要ない問題が最も多い科目だったと思いますが、今回は特にそのタイプの問題が多いことが平均点の高さに繋がるのではないかと思います。
2016年の倫理・政経の倫理分野の問題では、ハイデガーの思想についてかなり突っ込んだ「知識」が問われるような問題もあり、単純な人物ー書物名ーエッセンスといった勉強では対応が難しかった記憶があります。
学ぶ生徒目線が工夫されている点は新しいコンセプトを感じさせる問題ですが、うーーん。
テストとしての工夫という文脈の中でこうした努力は悪くはないと思うのですが、やはりテストはテストでしかないとも同時に感じます。
あ、と思ったことがあり、ちょっと追加。
ハイデッガーにしても、フッサールにしても、リオタールにせよ、分かりもしないものと必死で格闘した昔を思い出しながら解いていたのに、軽く友人同士の会話や先生との対話で日常に落とし込まれてることが私には気に入らなかったのかも😅
親しい友人や敬愛するアーチストを、かるーくパターンにはめ込んで理解した風なやり取りに、お前等に何が分かるんだあ~!と怒鳴りたくなる気持ちかぁ。なるほどね😅。
思春期に必死に格闘したことは、今の自分にどう役立ってるとか、そういうことでなく、混沌に向き合う経験そのものを若い子たちの日常にゆとりとして与えられる世の中になって欲しいと思います。

【政経】

これは大人の方が取り組みやすいですね。社会人としての経験値があれば、何も勉強しなくてもほぼ満点取れてしまう人も多いと思います。私は満点ではなかったですけど😅。
この科目、以前より明らかに「知識」確認タイプから、読解力や資料読み取り能力に変化していますね。「これしかないやろ」と全ての選択肢を確認しなくても正解に飛びつける問題が最も多かったです。
地理B、倫理、政経、日本史B,世界史Bを解いて思ったのですが、
「国語」という科目のコンセプトより、文系・理系を問わずこれらの科目の問題の中で、「知識」がほぼ不要の問題で総合的な科目を設置するくらいで十分に大学入学後の基礎学力としての読解力や資料読み取り能力は測定出来るのではないか?と感じたことです。
上記科目の横断科目を、「読解」とし、「現代文」「古典」「それぞれの地歴公民」「数学」「英語」「理科」は、志望する大学が個別で出題するなり、民間試験使うなりすれば十分では?
国文科志望の受験生も医学部志望の受験生も、同じ「現代文・評論&小説」を解いていること自体が本来は異常なのかなと思います。
幅広く中高生に学ぶことを求めたいなら、そっちの方がよいと思いますが、いかがでしょうか?
もちろん、反対意見も出るでしょうね。
ただ、大学入学適性試験程度のものとして、こういう変え方もありだと思います。どんなに丸暗記の知識を持っていても、グラフや資料や論理の基礎読解に難があるのなら、それは克服すべきものとして学べるようにすればよいと思いますし、そうなれば中高もリカレントの場として幅広い層を受け入れる場に変われるかも知れない。
駄目ですかね?
あと、『国語』という呼び方。もういい加減止めるべきかと。

【現代社会】

倫政は倫理と政経からの抜粋なので、現代社会を解き終わり文系科目は全て終了。
予想平均点が低い理由が分からない位、知識はほぼ不要の問題で、適当にしか課題文読まなくてもすぐに解答出来る問題が多い。けど、これも政経と同様に大人の経験があれば、なのかな?
そもそも私は中高一貫校に高校から入学、しかも10名しかいない高校入学組の1人なので、数学I、現代社会、理科Iという科目は教科書渡され、「勝手にやっといて」と言われた人間なので、この科目は習ってもいない。35年前でも中高一貫校ではそういう科目は中学3年生時に履修しているのが普通だったんですよね。高校の最初の数学の授業で春休み因数分解予習してた私が、「タンジェント・コサイン・サインの一部だけ残ってるから、さっとやってしまうぞ~」と言われた時に、「あれ?数学の先生じゃないの?」と疑問に感じたのは、実話です😅
今回の共通テスト・現代社会でもPBLが強く意識された問題設計になっていますね。ただ、結局、それもテストですから、資料と主張がロジカルに繋がっているか?といったことを読み取らせるだけの問題で、地頭がそれなりにある生徒なら勉強もPBLの経験もなくても軽く解くでしょう。昔の私も共通一次の現代社会、ノー勉で満点近く取れた記憶がある。これ、別に自慢ではなく、そういう試験だということだと思います。
今回の問題では、コンドルセのパラドックスが話題になってたけど、そういう知識を聞くのではなく、パラドクスの内容そのものを政治における意志決定という具体的な場面で考えさせる狙いがあって、試験問題というより、中高生には是非知っておいて欲しいなぁと感じました。

【今後の展望】
ここ数年サボってましたが、今回は色々理由があって、久々にやってみましたが、恐らく今後は以下のような展開になるのではないでしょうか?


① 試験の中身ではなく、スクリーニング機能が重視される。
② 来年度は共通テストコンセプトを更に重視する形式に。
③ 今年の平均点で難易度は隔年減少で調整される。


入試改革で教育が変わる、とは私には思えません。
教育変えるなら、社会が先か、少なくとも同時。
テストで授業を変える、という考えにはやはり同意出来ません。
数学・理科は眺めるだけしか出来ませんが、少しずつ・・・。
ただ本校の頼りになる仲間達の意見だと


① 化学は基礎を含め、理不尽に難しくセンスや「お釣りがある学力」がないと解けない。
② 生物は知識不要の問題が多すぎて、来年の反動が怖い。
③ 数学は上位はかなり苦労する。平均点が高くても上位層で差がつくかも。ただし、このテストで出来ること=数学が出来るとは思えない。


らしいです。


高校時代の同級生。ワンゲル部でしたが、「地学は趣味」と言ってました。そういう学びが出来る人は、こんな試験に右往左往しなくて済むということに尽きると思います。
見習わないと、と思いながらもなかなか出来なくて、楽しいところだけつまみ食い、を散々やってきたんですけど😅

まさかのドキドキ体験

昨日は日仏会館・フランス国立日本研究所(UMIFRE19 フランス外務省・国立科学研究センター)主催の日仏シンポジウム
『21世紀の働き方 日本とフランスの比較』に参加しました。
https://www.mfj.gr.jp/agenda/2020/11/28/colloque_travail/index_ja.php

14 : 00 – 16 : 00 パネルディスカッション3 性別職務分離の変容―日本的雇用システムの転換―司会:金井郁「ILOのジェンダー平等への取組み」 田口晶子(前ILO駐日代表)「コロナ危機と女性労働者」 大沢真知子(日本女子大学)「二つの国民:日本の二重構造と労働市場」 小熊英二「職場の男女不平等を削減する : ワークライフバ ラ ンス政策の役割」
エレーヌ・ペリヴィエ(パリ政治学院)

ジェンダー問題と労働市場問題の両方勉強出来る貴重な機会だったので。
Zoomウエビナーで参加したんですよ。実を言うと最近買ったiPadでベッドで横になって…。


そしたら…ウエビナーなのにですよ?
Q&Aに書き込んだ内容を見た司会者からまさかの指名😲!?それ、有り????
いきなりミュート解除され、『鮫島さん、どうぞ』って😅。心臓止まるかと思いました。小熊さんにはライブハウスでお会いしてご挨拶してますが、他の方々は面識ないし、そもそも、わい、パン一でした、実は😅

飛び起きて…
エレーヌ・ペリヴィエさんと小熊さんに質問をしました。

以下、私の質問。
フレキシキュリティについて興味を強く持っています。
フランスでは学歴による社会の硬直化が課題になっているという発表がありましたが、高流動高保障社会への転換は議論されてないのでしょうか?

エレーヌ先生の回答(講演内容含む)フランスは小さな政府を目指したセキュリティー不在の高流動が起こってる。ジェンダー問題解決の為に様々な政策が取られているが、そもそも財政緊縮の文脈で行われているため、育休期間の保障も最低賃金の半分から三分の一へと減らされ、期間も三年から二年として、女性の職場復帰を促す為に残り一年は男性が取るようにとしているが、特に女性の復帰の場合に元のキャリアが保証されない問題が起こっている。

小熊先生の回答
経営者、労働者ともに既得権の縮小をどこまで自浄作用として承認出来るかに掛かってると。ジェンダーギャップ解消とクラスギャップ解消の課題解決は必ずしも両立しえない場合もある。


私としては、小熊さんにはフランスの現状も踏まえて今後の日本の見通しを聞きたかったけどそこまでやり取りの時間はありませんでした。
ふぅ~。とりあえず画面まで解除されてパンイチで登場しなくてよかった~😱😱😱😱

新入社員に求められるのは「主体性」?

https://www.recruit-ms.co.jp/issue/column/0000000824/

経団連はじめ企業の発信を読むと、「主体性」を「求める資質」の上位に挙げる企業は多い。

でも、「主体性」を備えた人材をどう活かしているのか、という発信をする企業はほとんど見かけません。企業内のハイパフォーマーや役職者の美化されたサクセスストーリーの中で語られるものが、その企業の文化だとも思えないですし。「即戦力」=「OJTが限界」ということでもあるはずですが、現在企業が抱える人材のリカレントなどにどう取り組むのか?という発信もほとんど見ない。

要は「これからの未来に向けて企業も不安だし、育てる余裕もないから即戦力くれくれ」としているようにしか見えない。主体性の欠片も感じない。

もちろん、大学のみならず、小中高も「社会に貢献すべき組織」だと思うので、社会人として立派な人材を育てる義務があると思います。また、「公金」を、公立はもちろん、私立だって一部とは言え使っている限り、社会的存在意義について市民社会からの信頼が土台になければならない。その意味で、まだまだ自分を含めて、そのメタ認知や努力が不足しているとも思います。

しかし、経団連や同友会の提言を見ると、「社会に必要な人材」とやらが、特定企業の「即戦力」に見合う人材養成に矮小化されているように見えます。資本Orientedで、社会・国民Orientedではない。そしてその結果、「消費者」が育たず自分で自分の首を絞めているようにも感じます。

資本に隷属する人材育成ではなく、社会貢献する資本と人材育成へ

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65696690Q0A031C2DTB000/?fbclid=IwAR1TZCs4VY-S8xjcXg3RBdniqP9G5xGqyjjzWQJp1GekobSRNfiOGxFq-tg

再エネルギー大手に資金が集まる世界的な流れ。

逆に日本は電力10社の時価総額、デンマークの風力大手に及ばず・・・。

OJTが限界の日本企業では即戦力が必要!だからその育成という役割を教育は果たせ!

そういう文脈で教育改革も語られてしまったからこそ、上手くいかなかったのでは?

まず、大人が社会貢献を。自分を含めて変わらなければならないのは大人の方だと強く思います。

Audrey Tangさんから学ぶ

「私は、プログラミング教育よりも「素養」(教養)を涵養するような教育を重視すべきだと考えています。台湾ではこれまで「競争力」を重視するかのような教育が行われてきましたが、現在では「素養」を重視するように教育方針が変わりました。自発的で、ともに助け合い、共通の利益を求めるという3つの要素を重視する教育への転換です。日本の教育政策の方向性は正しいと思いますが、台湾ほどのエネルギーは発していないかもしれません。」(以上、引用)

私が先日のイベント(イノベーション・ガーデン)で質問した内容についての答がまさにこれでした。

「どう勝つか?」

財界主導の教育改革も、海外への活路も、私にはそれしか見えていないように思えます。もちろん、今の教育も、もう随分と賞味期限切れの「科挙一発選抜と正規勝ち組維持路線」を継続している。

「クビに出来ない社員などもう雇えない。だから派遣」とかいう新自由主義的なインフルエンサーがいますが、それには反対しても現行の教育も科挙も保守して守ろうとするのでは、何も変わらないどころか、結局弱者への犠牲、搾取を止められないでしょう。

そんな社会構造から抜け出す流れが、コロナ禍をキッカケに、台湾での教育でもさらに見られるようになったと彼女は語ってくれました。

彼女にはとてもとても追いつけないけど、自分が見てる方向のはるか先に彼女がいる。

非正規搾取と正規既得権の終焉?キャリア教育はどこへ向かうべきか?

望む、望まない、に関わらず当然の変化になるでしょう。小熊英二さんの指摘を借りれば、今までよくもたせてきた、と言えるのかも知れない。その時、それぞれの個人間での既得権争いになれば結果として資本が太るだけになる。狭い組織内で我が身可愛さに流れされれば、芥川龍之介の蜘蛛の糸の世界になる…。こういう組織もドンドン腐るんだろうなぁ。分配側に回って偉そうな顔してるだけの無能。でも、いつまで無事でいられるのかな…。

もちろん、太るどころか、支える体力のない企業は潰れ失業率が上がれば社会全体が壊れる。というか、壊れているものを差別的搾取構造で必死に支えてきただけなのかも知れない。そもそも、心的安心安全がごく一部にしか保証されない新自由主義的な社会では、生産性も向上が見込めない。だからこそ#フレキシキュリティ しかないのかな。

怖い記事ですが、全体最適化から個別最適化を考えてコンセンサス構築が必要な時代になったのだと思います。

さて、こうした時代に、『勝ち方』『ライフハック』などのキャリア教育にはドンドン意味がなくなるように思います。アイデンティティをしっかりと考えさせると従来の進路指導は当然継続するとして、環境の変化にどれだけ自分を合わせていけるのか、といったマインドや経験値を身につけて貰うことを具体的にやっていかなければならないと思っています。

いや、その前に、大人が学び変化する、それを子ども達に感じて貰えなければ話が始まらないこともあるでしょうし、そもそも教員ももう「一段高いところからしか安心して発信出来ない」といったスタンスを止めるべき時期、いやとっくにそれが必要なんだと思うのですけど、自分も含めてまだまだ実践できていないなぁと思う今日この頃です。

人間に近いアンドロイドを追究すれば、人間理解が進む!?

https://forbesjapan.com/articles/detail/23573?fbclid=IwAR0dHenkqLQ3TcW4Cnn-znf6u06HlGbWB6Y9vOolYYZsEmCv3fOi0Jgw-BU

あるイベントで、大阪大学石黒先生を知ってしまったことで最近、アンドロイドと人間というテーマで考えることが多くなりました。こうやって新しいことを知って考えたり学んだりすることが楽しいうちは、生きているのかな?と思うことにしています(笑)。

上記のリンクの記事も面白い。

先日の宗教家との対話でも話題になってました。テクノロジーの進化が人間観をドンドン変えていくというお話。

ただ、一つだけ疑問が生まれた。石黒先生のおっしゃることへの疑問ではなく私の中でふと生まれた疑問。

私達の『経験(生きていることそのもの)』『記憶』『データ・記録』は果たして同一のものなのか?写真や映像を見て、それを経験と同一視する人はいないと思います。『経験』とは決して定着出来ないもの。そして全体として部分に還元出来ないもの。

昔好きだった福永武彦の『草の花』の中にもあったように記憶してますが、定着不可能なものを必死で定着させようとする人の心の哀しさ。しかし、記録媒体の多くが進化していけば、更に純度の高い『データ・記録』は可能になるでしょう。それらは、『記憶』と、もしかしたら区別が出来ないものにまで高まるのかも知れません。いや、間違いなく「記録」の方が「記憶」を質で凌駕するでしょうね。

そうした『データ』を内在化したアンドロイドが誕生した時、果たしてそのアンドロイドとオリジナルは同一のものと言えるのかどうか?自己中心性(自分の内部から生きていること)の問題もそうですが、私の中では考え始めると眠れなくなる疑問が一つ増えました。しかし、石黒先生って面白い方だなぁと思います。

人間が生きていくうちに「記憶」の方はドンドン消えていったりします。少なくとも走馬灯を見るまでは日常の生活で見えるところからは消えているのかな?

その忘却が生物に必要ということから考えると、『経験(生きていることそのもの』は『記憶』『記録』の軸に向かう物ではないものなのかも知れませんね。