教育改革セミナー 高校はどう変わるか ~次期学習指導要領・高大接続改革から~

元堀川高校校長(現大谷大学教授)荒瀬先生の講演会に参加してきました。

新テスト関係の情報を期待して参加したのですが、その意味では情報量は少なかったです。

ただ、新指導要領の文言解釈ではなく、「新指導要領が実施されるこれからの教育現場はどうあるべきか?」について校長としての経験を交えた組織変革論として、大変興味深くあっという間の2時間でした。お人柄の良さ、人間的魅力、行動力を感じさせるカリスマ性、などとても見習えるものではないですが、よい刺激を頂きました。

Active LearningとはActive Learnerを育てることである。

用語が独り歩きし、「活動あって学びなし」のALが流行する中、知識・技能習得の重要性を強調される荒瀬先生の教育論は、僭越ながら私がこのブログでこれまで何度も強調してきたこととつながっているので大きな共感を覚えました。また、「ICT教育」 <「書く学習」というアメリカの研究結果もご紹介され、従来型の教育を壊してしまった後に失われてしまうものにも十分注意しなければならないと感じました。

他にも多くの知的なお話がありましたが、私が最も心に残ったのは荒瀬先生がキャリア教育について触れられた時にお話になった次のことでした。

キャリア教育では、生徒の自己肯定感を重視した教育が強調されている。これは、生徒を叱るな、褒めろといった単純なことではない。ブラックな環境に置かれている教員が(ブラック環境は現場に甘えた管理職の怠慢でけしからんし、改善すべき問題ではあるけれども)それでも重い体に鞭を打ってでも出勤する時に、自らを支えているもの、「自己有用感」である。

言葉がストン、と心に落ちてきたというか、沁みこんできた瞬間でした。

荒瀬先生の凄さはそういうことなんだ、ということも改めて気づかされました。

人は自分が必要とされていると感じなければ生きていけない。

こんな当たり前のことを、自分自身見失っていなかったか?

管理職の中にも、「お前の代わりなどいくらでもいる」といった人たちが珍しくない最近の日本ですが、「堀川の奇跡」でリーダーを担ったカリスマ校長の神髄はここにあるんだなぁ。

生徒に接する時、同僚に接する時、今までの私にそれがもっともっとあれば…。

人との繋がりを大切にして生きていかなければと強く感じさせられた1日でした。

荒瀬先生、ありがとうございました。

日本人はペシミズムが好き? Critical Thinkingについて考える

吉川 洋著 「人口と日本経済」(中公新書)を読んだ。

「人口減少 ⇒ 労働力人口減少   ⇒ 日本の将来は暗い」
「AI進化 ⇒ AIによる労働代替 ⇒ 労働者の仕事剥奪 ⇒ 路頭に迷う労働者」

こうした短絡的な Causes & Effects を実証的に検証し反論を加えていく本書
からは学ぶべきことが多かった。

著者の主張が正しいのかどうかは、まだまだ勉強不足の私には
判断が出来ないが、少なくとも著者の提示する反証の妥当性を
否定出来ない間は、大きな説得力をもった主張として私には
魅力的に写る。(もちろん現段階でも幾つか疑問点はありますが)

さて、著者の思考姿勢はまさにCritical Thinkingそのものである。

だから Critical Thinkingの能力が必要だ。

それは正しい。

しかし、「人口減=経済縮小」「AI進化=就職難」といった
枠組みを主張する人々が、Critical Thinkingの訓練を受けていない人々で
Critical Thinkingの能力を有していないから短絡的なのだ、と言えるだろうか?

そもそもどちらが正しいかまだまだ分からない。

CTスキルはあくまで道具である。

大切なのはマインド・ハートではないか?

自分が正しいと思っていても、集団に埋もれ集団の力学に支配され
その場の損得を考えてしか行動出来なければ、CTスキルなど
何の役にも立たない。

人口問題やAI問題を悲観的に捉える人々やそれを無条件に支持する人々が多いのは
何もCTスキルの不足だけが原因ではあるまい。(悲観論者が間違いということではありません。鵜呑みにして支持する、あるいは支配される人々が多いということ)

要は、その説を信じたいのだ。
私も含めて、「明るい未来を信じて生きる」方が
厳しくエネルギーが要ることなのだから。

特に日本人は悲観論が好きな気がする。

明るい未来を信じて、バカだと呼ばれることを恐れず
1日1日を大切に生きよう!

それがなければCTなど宝の持ち腐れになってしまう。

「機械が奪う職業」を考える

「AIや機械が仕事を奪う」という脅しにも似た話が
センセーショナルに語られる。

19世紀イギリスで起こったラッダイト運動などと比較し
未来不安に拍車をかけているようにも見える。

ちなみに将来機械が代替し人間の仕事がなくなる可能性が高いと
話題の職業は以下の通り。
機械が奪う職業ランキング(米国)の上位15位を抜粋。
1. 小売店販売員
2. 会計士
3. 一番事務員
4. セールスマン
5. 一般秘書
6. 飲食カウンター接客係
7. 商店レジ打ち係や切符販売員
8. 箱詰め積み降ろしなどの作業員
9. 帳簿係などの金融取引記録保全員
10. 大型トラック・ローリー車の運転手
11. コールセンター案内係
12. 乗用車・タクシー・バンの運転手
13. 中央官庁職員など上級公務員
14. 調理人(料理人の下で働く人)
15. ビル管理人

引用:ダイヤモンドオンライン http://diamond.jp/articles/-/76895?page=2

作業手順を簡単にデータ化、マニュアル化出来る仕事は
AIや機械に奪われていくという予測だろうか。

進路指導を行う教員としとも
考えざるを得ないテーマだ。

私はもっと劇的な変化の可能性を予感している。

それは、人間の将来の可能性をビッグデータから
予想可能と認識しAIが人材選抜を行う未来。

例えば、プロ野球のスカウトや企業の人事採用へのAIの進出だ。

下手をすると入試の世界にもAIが用いられる可能性すらある。

これは同僚との雑談の中で閃いた。
どういうデータに当てはまる人材が
組織の利益を最大化するのか、または、利益を最小化するのか?

入試の結果が良くても伸びない学生

採用面接をマニュアルで乗り切り
入社後生産力が低い社員

人材選抜のあらゆる場で
AIが使われるとしたら?

スカウトが不要になる。

人事課が不要になりコストカット出来る。

もちろんDNAデータの入手などは
人権問題になるので困難(不可能ではない)
だろうが、あらゆるデータを集め
組織に加入後、大きな生産力を発揮する可能性が
高い人材をAIが選抜する未来。

機械には創造的思考力など測れない!

その通りだろうが、
創造的思考でないものは
排除出来る可能性がある。

その方法は、Googleの画像検索など
既に実現している。
それならAIに出来そうだ。

私が恐ろしいと思うのは

人間の能力や可能性が数値化される
ことよりも、数値化不能な要素が
たとえ存在したとしても、排除・疎外される世界が出現することだ。

仮にAIに見抜けない才能や可能性があったとしても、
それを見過ごすマイナスよりも、
人間の判断ミスの方が不利益が大きいと世界が判断したら…。

その先には人間のあらゆる営みがデータに基づいた判断に還元され
AIに任されるような未来があるのかもしれない。

人間に必要なのは?

思考力ではなく、選び生きる意志と勇気

そこにしか、「人間」の創造する「世界」はない。

量子論の世界では、人間の意識が「世界」を変える。
AIには「世界」を変える「意識」は持てない。

そこにしか希望がないように思う。

AMERICAN HOT TOPICS 番組に出演してきました!

iTunesポッドキャスト総合1位獲得!
月間リスナー数20万人突破

初めての経験でドキドキしましたが、お相手のアサシン先生
のお蔭で、楽しい時間を過ごすことが出来ました。

You TubeにUP されていますのでよろしければ
ご視聴下さい。

何歳になっても初めての経験は緊張しますが
何かにチャレンジ出来るうちは自分を変えることが出来るし
まだまだ生きていける気がしていいですね。

お相手頂いたアサシン先生、呼んで下さったコトバンクのKさんに心から感謝です!

 

「3の0乗は1」の話

ある生徒が、「3の0乗はなんで1なんだぁ」
と叫んでいた。

ふと、気になった。
私も訳が分からない。
なんで「3の0乗は1」なんだろう?

数学の先生に聞いてみた。

「何に3をかけたら3になりますか?」

1でしょ?

「だから3の0乗は1なんです」

訳分からない。

別の説明を受けた。

「3の1乗は3、2乗は9、3乗は27。
3乗⇒2乗⇒1乗での変化に対応して
それぞれ1/3になっている。だから、3の0乗は1」

なるほど!!すごい!分かった!!

ん?待てよ。ところで3の0乗って何しているの?

3を2回掛けるのが3の2乗。

3を0回掛けるってどういうこと?

すると、その数学の先生がボソリと一言。

「細胞分裂ですかねぇ・・・」

しばらく考えた。

● ⇒ ●●● ⇒ ●●● ●●● ●●●

なるほど!!!!今度こそ分かった。

1回分裂すれば=1乗 3、2回分裂すれば=2乗 9。

0回分裂すれば=1だぁ!!!!

だから、4個に分裂しようが、5個に分裂しようが
分裂回数0を意味する0乗は全て1になるのか!

ここで、恐ろしいことに気づいてしまった。

あれ?数学のこんな基本的な計算と細胞分裂の発見って
どちらが先だ???

数学・・・かな?

だとしたら、数字が作り上げる高度なゲーム的な世界が
表現するものが、自然界に既に存在しているということ!?

数学の学び方を間違えていたことに50歳近くになって
ようやく気づいた。

数学は現実世界の現象を説明するものではなく、
現実世界の現象に先行するもの?

数学世界が表現することが一体何を意味するのかなんて
数学が表現した時点では分かっていないことが多いのか?

数学を学んでこなかったことを後悔した。

「意味」が先にあって「動機」ではない。
「実践」が「動機」を生み、「意味」に繋がることもある。

数学を真剣に学んでいれば、「世界」に大きな「意味」を
見出せたことも別の角度からあったのかもしれない。

いつも生徒に言ってきたことだが、自分ができていない。
今からでも勉強しよう。「世界」に出会うために。

逆に怖い話。

経済の世界などで数学が高度に応用されていると聞く。

ならば、数学により構築される「経済学・理論」の世界は
まだ「現実」を表象できないレベルにあるはず。

ある数式や数学的表現によって表される世界に土台を置いた
経済学や経済理論というものが、「現実世界」に何を
もたらすのか分からないのだ。

もしかしたら、「破滅」を表現しているものなのかもしれない。

そう考えるとぞっとする。

答は出ない。

円周率は無限と思われる暗闇へと続いている。

「解なき時代」の教育?

最近よく耳にするのが
「解なき時代の教育」

従来型の教育では
「解なき時代」には対応出来ない。

本当にそうなのか?

そもそも、これまでの時代は「解がある時代」
だったのか?

人類は常に「解なき時代」を生き
「解」を創造し続けてきたのではないか?

「解」が明確であったのは
産業界に必要な人材像とか
国益に繋がる人材像とか
そういうものなのではなかったか?

経済界で有益な人材とは?が「問い」で
「前例踏襲をしっかり行える」が「解」であるような
そんな単純な世界の話ではないか?

たかが、と言えば傲慢であるが
そんな程度の変化を根拠に
教育の変革を訴える声には
どうしても懐疑的にならざるを得ない。

さて、「解なき問い」に対応する時に
必要なことは何か?

これまでも、同じだったのではないか?

つまり、先人達の問題意識や知識を十分に踏まえて
自分の「解」を創り出すこと。

「いま世界の哲学者が考えていること」(岡本 裕一朗 氏)

この本を読むと、世界の偉人たちが
「解のない」様々な分野で
必死に悪戦苦闘してきたこと、悪戦苦闘していることが伺える。

文理を問わず、洋の東西を問わず、人間とはそうやって
生きてきたのではないか?

突然「解なき世界」になり、
これまでとは違う教育や学びが必要だと言う時
「これまでの人類は解のある世界で生きてきた」
と考えるのなら、それは現代人の大きな傲慢であると
感じるのだが。

今を生きるということ

人生がつまらないと感じていた時期があった

昨日と同じ今日
今日と変わらないであろう明日

こんな日常が延々と続いて行く

うんざりだ。。。
そんな思いに支配されかかっていたある日

当時、非常勤で勤務されていた先生から1枚の写メが届いた

私が当時住んでいた近所の庭園の紅葉の写真

すぐに起きて、庭園に向かった

こんな近くに美しい景色はある
いつでも行けると思っていた

昨日と同じ今日があるのではない
今日と同じ明日が続くのではない

いつでも行ける
そう思う心が世界をそう見せているだけ

死を覚悟して生きよ
ハイデガーら実存主義者の言葉

激しく消耗する生ばかり定期的に繰り返してきた

そんな疲れた自分を救ってくれたのは1枚の写真

そして、何でもないところに答えはある

いつでも出来る
そう思っていることを大切に

いつでも出来る
そう思っていることを今やろう

2020年型の入試問題を作成してみました

石川一郎氏の「2020年の大学入試問題」(講談社現代新書)
で紹介されていた2015年順天堂大医学部の小論文の問題
を参考に、オリジナルで似たような問題を作成してみました。

2015年 順天堂大医学部小論文問題

キングスクロス駅の写真を見て、感じるところを
800字以内で述べる問題。

そして私が作成した問題

下の絵は1938年に描かれたサルバドール・ダリの「山の湖」(Mountain Lake)という作品です。あなたの感じるところを自由に述べなさい。

作成は簡単。
模範解答作成も簡単。
難しいのはどう採点するか?

論理的思考力はともかく、
批判的思考力、創造的思考力なるものは果たして
数値化可能なのだろうか?

まだまだ考えてみないと答えは出ない。

ちなみに私の作成した模範解答は以下の通り。
皆さんは、この絵から何を感じ、何を語りますか?

<模範解答>
日常生活の中で、あるいは自然という空間の中で、電話機と湖が混在する風景など世界中どこを探しても皆無であろう。そういう意味で、この絵は日常を超えた非日常的な、非現実的な空間を表現していると言える。しかし、不思議なことに、この絵は見る者の心になぜか日常的で現実的な大きな「悲哀」の感情を掻き立てるのではないだろうか。
絵の中央に表現されている電話の受話器は、電話機本体ではなく、地面に突き刺さった物干し台の棒のようなものに掛けられている。山の中の湖はかなり干上がっており、ゴツゴツとした醜いありのままの姿をさらけ出しているようにも見える。湖とともに描かれている山の風景の中にも、どこを探しても生き物の姿はなく、山の稜線は激しく尖り、絵の全体に殺伐とした空気が広がっている。私はこの絵の中に人間という存在が本質的に背負っている、どうしようもない孤独の悲哀を感じる。湖は他と断絶した地形的特徴から文学の世界では他者と繋がることが出来ない個の存在、つまり孤独の象徴として用いられることもあるが、この絵の中のかわいた湖も満たされることのない人間の深い孤独感を表現しているのではないか。人は一人で生まれ、一人で死んでいく孤独な存在である。多くの人と関わり、日常生活の様々な雑事に忙殺され、寂しさを忘れていたとしても、人間の存在そのものの入口と出口に、個として誕生し、個として死んでいくという宿命を背負っている限り、孤独ではない人間など存在しない。それでもこの絵の中の受話器と絵の外の世界を繋ぐ電線は外の世界へと通じている。電話機本体を持たないこの電話は機能しないのであろうか。この電線は絵の外の世界と繋がっているのであろうか。たとえ繋がっていたとしても、湖そのものが他者と交わることはないのかもしれない。湖という孤独な存在が他と繋がり満たされることはないのかもしれない。しかし、この風景の外へと伸びる電線に、他者との関わりを求める人間の根源的な渇望を感じざるを得ないのである。(830字)

<高3生へのメッセージ>
皆さんは、ダリの絵に何を感じましたか?芸術の鑑賞に様々なものを持ちこむのは正しいことではなく、絵は絵として映画は映画として、音楽はただ音楽としてそのまま感じればよいのだと思います。なので、今回のように芸術批評のようなことをするのはあまり好きではありませんし、そもそも言葉で絵の素晴らしさを表現出来るのであれば、作者自身が絵ではなく言葉で表現することを選んでいるはず(評論家どもは偉そうなこと言う前に自分で表現すればと思うので評論には興味ない)。ただ、「新しい時代の新しい学力(こんなものが何を実現するのかには私自身はかなり懐疑的なんですけどね)」なんてものを、意表をついて出題される君たち受験生は、自分の感情や意見を、論理的に創造的に表現することを求められますし、受験で問われなくとも、今後の人生ではあらゆる場面で「自分はどう考えるか?」が問われることになるでしょう。それが出来なければ、どんな言い訳をしたところで他者に流されてしまったり、情報に翻弄され社会全体の中で個を埋没させて生きてしまうことにだってなりかねません。

アドラー心理学

勉強したいけど、やる気が出ない・・・。

そうではなく、本当は勉強したくないから
やる気が出ないという理由を後から作って
自ら選択している。

今勉強したいと思ってたのに
お母さんが勉強しろというからやる気がなくなった。

そうではない。
お前の勉強したいはその程度で
本当はやらなくてよい理由を探しているだけだ!

人のせいにするな!
言い訳するな!

やる気があるからやるのではない!
自分の人生!
やるのもやらないのも自分で決めろ!
自分で決めた結果は自分で引き受けるしかない!

大学に入ってつまらない?
甘えるな!
つまらないのはお前だ!

いい加減目を覚ませ!

ESN災害時学習支援サイトに卒業生から学習アドバイスを頂きました。

http://esnenglish.world.coocan.jp/

ESN英語研究会 災害時学習支援サイトのコンテンツとして、昨年度の卒業生から、「学習についてのアドバイス」を頂きました。素晴らしい内容で感激しました!高校だけでなく、中学生にとってもよいアドバイスなるのではないかと思います。是非ご覧ください!
ファイルはPDF形式でまとめました!
http://esnenglish.world.coocan.jp/advice/advicetop.htm