中教審答申(2014年12月22日)と2020年7月14日経団連「Society 5.0に向けて求められる初等中等教育改革 第一次提言」についての 勉強会

昨日は最近の教育改革について、2000年あたりからの経団連・経済同友会などの提言、中教審答申などの勉強会に参加しました。少人数の非公式の勉強会なのですが、個人的には非常に勉強になりました。その中で平成26年(2014年)の中教審答申と経団連の最近の発信が話題になったので備忘録としてまとめてみます。

① 2014年12月22日 中教審答申

新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について(答申)

この資料、改めて読み直してみると、「教育改革についての方向性」について個人的には賛同出来る部分が非常に多かったことに驚きました。

(4)高大接続改革を推進するに当たって留意すべき点
「高大接続」とは、高校生の全てを大学教育に接続するということではない。(中略)高大接続を議論する際には、高等学校卒業生の多様な進路を踏まえ、国家及び社会の責任ある形成者として、自立して生きる力を高等学校教育において確実に育むという視点が重要である。
あわせて、高等学校卒業後、生徒がどのような進路を選択するにせよ、経済的な理由
のみによりそれが左右されることのないような配慮も必要である。

⇒ ここでは、高大接続改革の本質が、高校教育から大学教育への準備に限定されるものではなく、高等学校の教育そのものがまず独立したものとして、社会に出て行く子ども達の成長のためのものであることが述べられている。授業だけでなく学校生活そのものが自己目的的なものではなく、様々な活動を通して生徒が成長出来る機会・環境を高校が準備するものであるべき、という公教育の意義がきちんと発信されている。だからこそ、答申は次のように続く。

また、「高大接続」の改革は、「大学入試」のみの改革ではない。その目標は、「大学入
試」の改革を一部に含むものではあるが、高等学校教育と大学教育において、十分な知
識・技能、十分な思考力・判断力・表現力、及び主体性を持って多様な人々と協働する
力の育成を最大限に行う場と方法の実現をもたらすことにある。

⇒ しかし、実際の高大接続は「民間英語試験導入」「センター試験から共通テスト」「共通テストにおける記述式導入」「1点刻みではない入試」といった方向に進んだように見える。なぜ、この教育改革がそこにフォーカスされてしまったのか?それは「現在の教育の実態」を踏まえた具体的改善策の不在が大きいのではないかと考える。

つまり、「どこの大学に入学出来る学力をつけたか?」という入試学力という観点から現場の学校教員も保護者も学校の価値を評価する流れが大勢であることを前提に、それをどう変えるのか?についての具体的な方策についての発信がない。そもそも、スクリーニング機能としての入試とその先の社会という路線、資本を含む大人の在り方や社会との関わりについても論じられることがない。「高い進学実績・英語教育・グローバル教育・ICT」といったものが教育市場で売れてしまっている現実があり、そんな中で高等学校における教育が「社会に出て一人前になる資質をどうつけているのか?」について、教育現場からの自画自賛的な発信があっても、そんなものに説得力を感じて貰えるとは到底思えない。また、学校の外から学校の課題を批判するだけの人達に、大田堯先生のような深い教育観を感じることもほぼ皆無である。

分かりやすく言えば、学校内からは「これまでの学校教育の否定を受け付けない、変わりたくない、今売れているものを手放せない」という膠着を感じるし、学校外からは「社会に出て役に立たなければ意味がないんだよ」と今社会で停滞している自分を棚に上げた無責任な教育への一方的な押し付けを感じる。

授業・家庭学習の学びを通して高校の3年間でどのように成長したのか?

行事・部活動・委員会・生徒会活動を通して高校3年間でどのように成長したのか?

高校という環境が子ども達の成長にどのような成長を促す仕組みになっているのか?

これらは、簡単に口で説明して理解して貰えるものではない。にも関わらず、学校の発信はホームページ、通信その他を通した一方的発信が中心であるように思える。そしてその発信は高大を問わず、ますます画一化しているのも以前指摘した通りである。

ここにあるのは閉じたムラ社会化した学校と、新自由主義的な価値観の中で分かりやすい「成果」を求める「お客様意識」のマインドだけではないか。また、正直個人的にはどうでもいいけど、「教育が変わらなければ」と改革を振り回すだけに見える焼き畑農業のようなどこに根があるのか、どこに向かっているのか分からないような大人のマインドもあるかも知れない。

学校は子ども達の成長のための場であるはずであるが、教員というムラ社会の大人の管理の都合から仕組みが出来ており、そこが変われていない部分も多い。また、一方でその学校を外側からPBL(Problemの方ね)の対象とばかりに糾弾し、学校そのものを壊そうとするだけの大人もいる。その動きで解放される子どもは全体のどの程度いるのか?

学校を共同体として再生する努力なしに内からも外からも変わるはずはないわけだけど、その学校が「外」と接する場としての「大学入試」に、この改革がフォーカスされてしまったのは必然のように思える。

(3)高大接続改革の意義
特に、18歳頃における一度限りの一斉受験という特殊な行事が、長い人生航路における最大の分岐点であり目標であるとする、我が国の社会全体に深く根を張った従来型の「大学入試」や、その背景にある、画一的な一斉試験で正答に関する知識の再生を一点刻みに問い、その結果の点数のみに依拠した選抜を行うことが公平であるとする、「公平性」の観念という桎梏
しっこくは断ち切らなければならない。大学入学者選抜は、一時点の学力検査によってその後の人生を決定させるためのものではない。先を見通すことの難しい時代において、生涯を通じて不断に学び、考え、予想外の事態を乗り越えながら、自らの人生を切り拓ひらき、より良い社会づくりに貢献していくことのできる人間を育てることが高等学校教育及び大学教育の使命であり、これからの大学入学者選抜は、若者の学びを支援する観点に立って、それぞれが夢や目標を持ち、その実現に必要な能力を身に付けることができるよう、高等学校教育と大学教育とを円滑に結び付けていく観点から実施される必要がある。
そのためには、既存の「大学入試」と「公平性」に関する意識を改革し、年齢、性別、
国籍、文化、障害の有無、地域の違い、家庭環境等の多様な背景を持つ一人ひとりが、
高等学校までに積み上げてきた多様な力を、多様な方法で「公正」に評価し選抜すると
いう意識に立たなければならない。

⇒ ここで述べられている高大接続改革の意義には大賛成である。「従来型の選抜=公平とする」考えを全否定し、「従来型選抜=科挙=公平・公正ではない」とする改革のコンセプトを力強く訴えている。で、やっぱり、同じ疑問が生まれるんですよね・・・。それなら、なぜ「センター試験⇒共通テスト+記述式+民間英語試験」という議論に矮小化されたのか?

恐らく、現行の試験の課題にフォーカスするあまり、「18歳頃における一度限りの一斉受験という特殊な行事」の異常さよりも、「現行の試験問題をどう進化させるのか?」という方向に議論がずれてしまったように思えます。この点については、中教審の中にいるわけではないのでどういう議論でこうなってしまったのかは私などには分かりませんが、「18歳一発選抜・科挙」という課題の解決は、「高大接続」という視点ではなく、社会のグランドデザインの変更による無効化であるべきだったと思います。どんなに優秀な大学を出ても、使えない人材は切られる(高流動)。しかし、人材としてリカレントの場が保障される(高保障)。つまり解決は試験の変更ではなく、現在の社会をフレキシキュリティの方向へ持って行くこと。

正規・非正規による分断が進み膠着している社会が高流動になれば、そもそも、「学歴そのもの」が無効化される可能性も高い。当然、社会的混乱が生まれるから「高流動」と同時に「高保障」として「生涯の学び」が保障される必要がある。教育の問題を教育だけで解決しようとすることは無意味であるばかりか、非常に非生産的な結果になってしまうのではないか?

ちなみに、仮に日本がフレキシキュリティに向かうとしたら

1)低流動低保障⇒高流動低保障⇒高流動高保障

2)低流動低保障⇒低流動高保障⇒高流動高保障

3)低流動低保障⇒高流動高保障

のどのルートになるのか?ということも話題になりました。

1)の可能性が最も高い、という意見で一致してしまいました。多くの差別的構造が崩壊するには・・・。なんだかやり切れない思いです。

② 2020年7月14日 Society 5.0に向けて求められる初等中等教育改革 第一次提言(経団連)

Society 5.0に向けて求められる初等中等教育改革 第一次提言

まず、財界発信=悪とする考え方は、「民間 vs 公教育」という安易な二項対立にしかならないし、現在の「公教育」においても、学校は多くの民間企業やNPOなどに支えられて存在しているものだという点が話題になりました。

1976年の文科省発信(http://ur0.work/jdZV 中学校に宛てた通達です。高校は含まれていません)には

①進路指導 や学習指導 が模試などの材料に過度に依存した受験指導に偏ってはいけない。
②模試などの業者テストを授業内で扱うのは問題である。
③業者の商行為に教員が関わることはあってはならない。

といった項目が並びます。しかし、現在の多くの学校で「民間」の力を全く頼りにせずにやっていけるのか、を考えると明らかにそうとは言えないのが現状だと思います。模擬試験の校内行事化、センター試験後のデータリサーチといった受験産業活用のみならず、様々な民間の力を借りて学校教育は成り立っています。確かに、教育そのものの「民営化」は教育をpublicなものからprivateなものに変え、新自由主義的な自己責任論を土台に、教育の再配分機能を疎外することは間違いないと思います。そこにはpersonalなものを大切にする視点はない。しかし、かといって、学校の側が「民間」を「業者」と下に見る傲慢な態度もそもそもpublicの存在としての学校から逸脱している思い上がりだと私は感じています。子ども達の教育に関わるべきは学校の教員だけだという特権意識がまだまだ残っているから、「教員免許?なんぼのもんじゃい」という声も時には説得力を持ってしまうようにすら思えます。教員よりもスキルがはるかに高い方々は社会に沢山いるのですから。

私自身は多くの教育関連企業の方々や企業、NPOの方々、時には大学生からも学ぶことも多いし、進路通信やイベントなど助けて頂くことが非常に多く感謝しています。「学校に穴を空ける」ことは、一部「浮きこぼれ」と言われる生徒達の解放のためだけでなく、私たちのような学校現場という狭い世間に生きている大人以外との繋がりを子ども達に持って貰うためにも絶対に必要なことだと思っています。

ですから、Society 5.0という訳の分からないものをもちろん鵜呑みには出来ませんが、経済界から発信される内容についても、まず真摯に向き合った上で、それぞれの課題を発信出来るような姿勢を持つべきだということが話題になりました。

そういう視点で見てみると、

1)中教審・文科省の発信のソースは、経済界である場合が多く、官邸(再生会議)・国大協などの合意の上で「国策化」されていること。

2)その内容については、現代の日本社会が抱えている課題を経済界のみならず多様な有識者の知見も取り入れ見事にまとめていること。

3)「大学において求められる能力からバックキャストして」とあるが、「資本側が求める能力からバックキャストしている」こと。つまり経済界があくまで自己の存在を「教育の外」に置いている点が課題ではないか?ということ。

4)結果、社会の抱えている課題の要因を教育の課題と同一視し改善を求めていること。

5)財界の提示している教育の課題や改善案には「対面」と「オンライン」のハイブリッドも含め学校現場が取り組む価値があるものも少なくないこと。

といったことがあげられます。ここでも、学校は学校として「聖域であるべき」という考えはもちろん大きな間違いですし、かといって「日本社会の課題を子ども達がなんとかしろ」というのはよいとしても(よくないですが)、では「経済界はどう変わるの?停滞の責任、誰にあるの?」「要するに子ども達に変われと言ってる大人はどう変わるの?」「そもそもQOL高めるような人生観は子どもだけでなく私たち大人の側にも必要では?」といったことについては非常に鈍感というか、自分達の存在意義を過大評価してない?という見方も出来るように思います。

私自身まだまだ勉強不足なのでついていけていないことも多いのですが、こうした視点を与えてくれる機会を持てること自体が私は運が良いと思いますし、自分の日常にこうした学びの成果をどう活かすのかに繋げなければと改めて考えさせられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学校活動の規制緩和の判断は何を根拠に行うべきか?

学校活動の規制緩和の判断は何を根拠に行うべきか?
非常事態宣言、一斉休校要請により3月~5月の学校活動がほぼ停止した。この判断が正しいのか間違いなのかは分からない。後出しじゃんけんで「必要なかったのでは?」という主張も見られるが安易には賛同出来ないし、かといって、小中高大と一律に休校に踏み切った判断について疑問がないわけではない。特に低学年の子達にとって、「成長の場」そのものが失われたことは重い。いずれにしても、私などは社会の中から見たら、少なくともこの件については(この件だけではないですが)、「飲み屋の素人プロ野球評論」程度のことしか出来ない人間だ。感染症の専門家が出した判断は今後検証されるのだろうが、大きな重圧の中で様々な努力をして下さった方々には敬意しかない。もちろん、科学は常に「反証可能性」について開かれたものであるべきだし、当然結果責任も伴う。未来のためには徹底した検証は期待したい。
6月の再開後、感染者が減少する流れで再開した学校活動は分散登校という段階を経て、中旬以降は規制緩和の方向で動いてきた。
その中で、『学校』から『授業の遅れ』が時間的観点から抽出され夏休みが縮小、オンライン授業も『学びを止めるな、取り戻せ』というスローガンで、『授業の遅れ』を取り戻すことを目的の中心としたものが多かったように思う。
そのことについての議論、反省、改善は今回は一旦置くとして、再び感染者が増加する7月上旬の現在の流れの中で様々な声が挙がっている。
この新規感染者数は4月とは違う。
軽傷者が多く、深刻な医療崩壊は起きない。
今度は学びを犠牲にしてはいけない。
感染者数増加は深刻に受け止め再度学校は休校に備えるべき。いつ一斉休校になってもおかしくないし、学校はオンラインでも動く、いや動くようにしなければならない。
私にはどちらが正しいのか分からない。
ただ、今回は都も国も、3月の時のような要請を今現在行っていない。
このことに不安を抱く子ども達も多いと思うし、大人も同じだ。
「本当に大丈夫なのか?」そういう不安は日を追うごとに大きくなっているように感じる。
こんな中で、果たして、私達は何を根拠に緩和や規制強化の判断をすべきなのか?
楽なんですよね、誰かが指示してくれれば。
けど、子どもの主体性を求める割には、どこのリーダーも『関係者の安全』を方針として口にするけど、周りを見る。それは仕方ないことかもしれない。
判断出来る根拠だって簡単にその辺に転がっているわけではないのだから。
そもそも自分だったらどうするんだ?
学校を休校にすべきなのか、現状を継続すべきなのか、縮小すべきなのか、緩和すべきなのか?
そもそもそれを各学校単位で決定してよいのか、それともそうした情報をもっと持っている国や都の判断を待つべきなのか?
学校でなくとも、組織には人がいて、そこには家族がいて、様々な事情があって・・・。
そうしたことを背負ってリーダーは決断しなければならない。
そう思いながらもグチャグチャと考えてみる。考えなければならないポイントは幾つかある。まず、一口に学校と言っても、小学校と中高では違う。私立と都立ではアクセスも違う。社会全体の中で何が優先順位が高い対面なのかを考えることも必要。その意味で、受験などに特化した観点からの議論はやはり視野狭窄に感じる。受験生も大切。けど、社会全体の中でこの『禍』の中でプライオリティが高いかと言えば、私にはそうとは思えない。もちろん、会社の飲み会とか若者のパーティよりは優先順位は高いと思うけど。
更に、根拠どすべき指標をどうする?
100名超えれば危険、という根拠もない。というか200名超えてるけど大丈夫??
政治的判断に従うということでは、その結果責任はもちろん政策担当者にあるが、それに従ったリーダーにも当然ある。もちろん、この国はそもそもそういう責任を自覚する仕組みになってるかも怪しいけど。
専門家の意見も割れてる。専門家も利用される。責任を負わされるために・・・。たまらないが、その覚悟を持って頑張っている方々は本当に凄いと思う。が、いろんな声が聞こえる。
誰を信じて何を拠り所にするか、それも決断をするリーダーは責任を負わなければならない。
そんな状況の中で、何らかの決断をして、しかもそれを説明し、納得してもらうように努力し、理解されなくても組織を動かさなければならない。
実は、ここ。この「説明し、納得して貰う努力」が最も必要だが、最も難しい。
誰だ、これからの時代は「コミュニケーション能力が重要」とか言ってた奴らは?
今の日本の大半の大人にないことが今回のコロナ禍でバレバレやけど?
私なら、今日、2020年7月10日の段階でなら、とっと、これは流石に書けない(笑)。
ただ、こうした状況での決断や方針転換をスムーズに行うには
□ 最悪の事態を想定し、最低限の実行すべきことが出来る準備
□ 組織内の様々な現場にいる人間との意思疎通が円滑に出来る環境整備
□ 組織内外のあらゆるリソースを活かせる環境整備
□ PDCAではなくOODAで短期的に方針転換が可能なスキーマで動く
といったことが必要。
これが、日本の組織ではなかなか難しいことが多いように感じる。
現場が見えていないリーダーが、現場を知る人間を活用出来ず、訳の分からない使命感なのか
プライドなのか知らんけど、そういうものでトップダウンでことを運ぶ。
多分そんなところが多いんだろうなぁ・・・。
結果責任?一億艘懺悔。繰り返しません、過ちは、で終わり。
圧倒的に少ないリソースで現場を酷使し、酷なパフォーマンスを求める割に、こういうアホなワンマンにめちゃくちゃ甘いのが日本の深刻な病理。
大赤字出しておいて責任もとらず居座りながら、高流動を平気で口に出来る誰かさんが代表かな。偉いんだからお前らとは違うという意識。こうなると老害通り越してクズやな。
あれ?何の話だっけ?
やはり日本社会は、大人の側からきちんと変わらなければならない。
改めてそう思う。
opinionだらけの勝手な言いたい放題でした。
皆様、くれぐれもご自愛下さい。

格差・公平・公正について考える

英語民間試験が共通テストの代替として導入される、というテーマで大騒ぎになった時に、民間試験採用により、「入試の公平・公正」が脅かされ「入試に向かう格差」が拡大する、という声が多く聞かれた。

これは、間違いなく事実としてそうだと今でも思う。共通IDを用いて高校3年生の1年間で2回しか受験出来ないし、そのスコアしか使えないとは言え、高校3年生になる以前の時期には、親の収入により受けられる民間試験の回数は当然変わるし、練習が出来る方が有利に決まっている。

ただ、今年のコロナ危機で、特に各私立大学の入試の発信を見ていると、「格差」「公平・公正」を理由に民間試験反対を叫んでいた人達も含めて、およそ「格差」「公平・公正」を重視しているとはとても思えない。

□ 今年に限り2年間有効スコアのルールを高校1年生を含む3年間と配慮する。

⇒ は?早期に基準クリア出来る生徒はかなり恵まれたアドバンテージを英語学習に対して持っている生徒に限定されますけど?

□ 本年度については、広く民間試験資格も認める。

⇒ は?公平・公正な環境が試験に必要、はどこ行った?自前の試験が出来ない場合の保険?

□ 英語民間試験の資格を持っている生徒については評定がなくても出願資格とする。

⇒ 学校の評定よりも民間試験重視?Affirmative Actionとか関係なし?

□ TOEFL iBT Home Editionの利用を本年度は認める。

⇒ え?それかなりハードル高いけど・・・。

□ オンライン入試実施予定であるが、環境については各家庭で整備を。

⇒ 一次審査は家庭の通信環境ですか?

4月に各所に向かって声を挙げた件については

1)郵便物のデジタル化 ⇒ 一部大学には大変改善頂きました。が、残念ながら一部です。

2)民間英語試験利用中止 ⇒ 文科省が悪いという話をしつつ、自分達で決めたまま変更の可能性やその場合の対応についての発信はしてません。文科省が5/14に求めた配慮についても知らん顔に見える大学様が多いのですが・・・。これで、「文科省があああ」とは言えないのでは?

3)高校3年次の評価・評定・調査書不要 ⇒ 東洋大学など本当に現場に配慮した対応をする大学もある一方で主体性評価についての発信も変えない大学が多いこと・・・。

英語民間試験採用反対派の中には、大学の先生も多数いたと思うのですが、「格差」「公平・公正」の話はどこ行ったのでしょう?

また、自分も含めて本当に視野狭窄だと反省していますが、今回のコロナで困ったのは地方よりも「東京」であることもこれまでと違う点かもしれません。過去の震災で多くの地方の受験生が困った時には、果たして「配慮」がこれほど話題になったかと言えば、残念ながらそうとは言えないように思います。

今回はソースを示してFactとして論じると特定の大学への批判になるのでやりませんが、そもそも、何のために大学入試をテーマに、「格差拡大阻止」「公平・公正を」という正義を叫ぶのか?

入試だけにそんなものを求めても、「公平・公正」な社会は実現せず、「格差社会」もなくならない。もう入試をそんなに大事する価値があるのか?それを守って何が守れるのか?何を守りたいのか?それを守って全体が壊れたら、本当に守れるのか?

結局、入試の公平・公正を守ったところで、この社会自体が保たないのであれば、社会がよくなる仕組みから考える必要があるのではないか?そもそも、一般入試で大学に入る人達が8割を超えていた時代と今とでは大違い。付属校から、推薦、AOから、それが悪い訳ではないけどそれで「ブランド」手に入れて、そのブランド、本当に価値あるの?今の日本でそんなもの保ってて何か得するの?

少し感傷的に今回は書きましたが、Flexicurityに向かうには、社会全体のコンセンサス構築が必要、これは小熊英二さんの受け売りですが、本当にそう思います。が、そんな動きは微塵もないように見える。MMTも結構、21世紀型なんちゃらも結構、未来のなんちゃらも結構。けど、それで本当にどれだけの人がハッピーになるんだ?

リソースとして広く人材を活かすには、科挙はもう時代遅れでしょ、とっくに。

うちの職場でもいますよ、高学歴の老害。学歴なんかたいしたことなくても頑張って凄まじい生産性を発揮してる人材。しかも、仕事や社会で必要なことは常にアップデートしていく。そんな中で、属性でマウント取るしか能が無い連中にもウンザリ。そういう人間の存在が周りの人間の生産性をことごとく潰していくから。

さて、仕事しよ。

 

 

 

 

 

 

 

ウィズコロナからアフターコロナへ

このブログでも発信しましたが、3月に直感したのは
①「未来の教室」コンテンツの類は一部のずば抜けたコンテンツと一部の生徒にしか機能しない。
②比較は不可避。教室の中、教員の力量が可視化され比較対象になる。
の2つ。これらは2015年の熊本でカタリバさんから頂いた経験からある程度予想出来たし、実際そうなったと思います。①については、データやエビデンスがあるわけではないですが、少なくとも、私が勤務している大学・中高で「学校や生徒の日常の学びから完全切り離された学び」が機能したのはごく一部のごく限られた目的の為の学習に限定されいますし、そもそも勝手に勉強する生徒でなければ、そんなものを活用することすらそうそうあるわけではないことも分かりました。
そして2ヶ月、オンラインを高大の現場でやってみて、大きな流れが2つ。
A)今までの仕事を目指し、なんとか元に戻ろうとする流れ
B)今回の経験を武器に新しい方向へ向かう流れ
前者(A)は、従来通りに会議を開く、従来通りに勤怠管理を行う、オンラインで出来る内容も含めて従来通りの対面授業を行い、従来通りの知識・技能の短期定着状態を問う試験を行う、そうした事象として現れてくるでしょう。
後者(B)は、従来通りの会議、従来通りの勤務、従来通りの授業の意味を根本から問い直し、オンラインで実現出来ることはオンラインで実現しながら、「対面の付加価値」を高めることを新たなミッションとするために、従来通りの業務のスリム化を同時に実現しようとする事象として現れてくるでしょう。
そして、それぞれの組織がどちらへ向かうのかによって、学校の評価も大きく分かれる時代がすでに来ているのだと思います。
もちろん、私は後者の(B)を支持します。ちなみに、教育をビジネスの場として新自由主義の狩場にするような動きについては論外として今回は扱いません。このコロナ騒動で、そうした連中の正体が見えたことも大きな収穫だったと思います。
そして、従来の学校では解決出来なかった以下のような問題の課題解決に取り組むべきだと思います。これはあくまで一つの学校の例です。私の勤務先とは言ってません(笑)。
 ① カリキュラム=各教科の単位数 という発想からのパラダイムシフト
  → 基幹教科(英数国)の時間数を低学年で多めに取っていることで理社の進度
    が遅くなる問題や学校の日常の中に学習動機付けの機会が少ない問題の解決。
    オンライン授業の継続により、基幹教科も従来の時間数は不要になり、理社
    も学校の授業数に進度を制限されない展開が可能になる。これは現高校3年生
    で既に現場の努力で実現しつつある。
 ② ①の実現のために確実に教員の業務量は爆発的に増加する。
  →  従来通りの勤怠管理が現場教員に掛ける負荷が深刻な阻害要因となる。
     そもそも、無意味な「勤怠管理」をする人間こそ不要になる。
     勤務のスリム化を図ることが出来るリーダーでなければならない。
 ③ 教員の価値が非本来業務ではなく、本来業務で内外から評価されるようになる。
  →  オンライン授業では、他の教員の授業も含めて生徒・保護者が見ることに
     なる。ICTスキルの有無、授業の工夫なども従来よりもさらに厳しい目で
     見られることは避けられない。授業参観といったイベントではなく、日常
     の「教室」が評価の対象になる。職場によっては、授業はいい加減でも
     雑務で存在感を示していたような教員は少なくとも教育の現場からは淘汰される。
 ④ 生徒の努力も可視化される。
  →  勉強ができない=学校が悪いでは済まなくなる。生徒の努力もあらゆる
     面から可視化されることで、不誠実な取り組みしか行っていない生徒は
     言い訳が出来なくなる。提出物の指導についても記録がすべてオンライン上
     で残るため、生徒・学生の取り組みが悪い場合に単位認定含めた対応は
     厳しいものになる可能性が高い。
 ⑤ 学校という場の意義の再定義と試行錯誤
   → オンラインによる対面授業のスリム化が進めば、週34時間の生徒の物理的
     拘束の必要性が問われる。諸外国のように学校滞在時間も短くする流れも
     社会全体のコンセンサスがあれば当然進んでいく。
     そう変化した場合に、学校=授業を受ける場 という価値観は崩壊する
     ため、「対面でしか出来ない付加価値」のあるコンテンツを学校が
     どの程度持っているのかということが、今後の学校選択指標として
     重要なファクターとなる。これは一朝一夕に創れるものではないので
     時代の先を読んだリーダーシップが必要になる。
  ⑥ オンラインを活用した研修・研究の推進
    → 生徒だけでなく教員の学びとしてもこれらを進めているところと
      そうでないところでの格差は今後大きく開くことが予想される。
まだまだやってみないとわからないことが多いですが、引き続き楽しみながら進化出来るように努力していきたいと思います。

問われる大人の主体性 各大学は本年度の入試・推薦での検定資格不要または緩和を即時発表すべきです!

【入試における資格・検定利用について】

4月上旬から発信してきましたが、ようやく5/14に文科省から発信がありました。調査書・検定試験についての配慮を求める発信です。遅い、遅すぎるんです。既に検定組織は、動いているわけですから。

本年度の入試や推薦関係の要件として、民間の資格試験を使わない、または基準緩和や評定・共通テストなどでの代替を行うという発信を大学側は一刻も早く行うべきです。

既に英検など多くの民間試験が中止や延期。更に本会場を確保出来ないことから、高校側に実施を求める動きまであります。が、本会場で出来ない感染症対策を高校側が出来るでしょうか?出来るわけがないです。クラスター発生したら、どなたが責任を取るのでしょう?

夏休みも短縮、履修範囲をこなすだけの高校に検定を行う余裕などありません。

しかし、生徒達からは、「英検やGTECが受けられません。学校でなんとかして欲しいです」という声が既に上がっていると聞きます。お分かりでしょうか?文科省も、大学も判断も発信も遅すぎるのです!

押し付けているのは、検定主催団体ですが、彼らとて、「例年通り」の発信の変更を行わない大学が多い中で、板挟みであることは事実です。そうであっても、押し付けるようなことはすべきではないと考えますが。

文科省は遅かったですが、ようやく動きました。

各大学も、一刻も早く、この件についての発信をお願い致します。

 

問われているのは、「私たち大人の主体性」です。

9月入学制度への移行について考える

「9月入学制度への移行」が話題になっています。

私自身、Change.org で「9月入学制度の検討」を求める発信をしました。

「子ども達の失われた時間」を回復したいという思いがありましたが、様々な問題について考えが足らなかったことは間違いありません。社会的な影響を与えるほど偉くないにせよ、教育の現場にいる人間として未熟だった部分を恥じています。

特に、学校がシェルターとして持っている役割、つまり給食による栄養補給、DVからの避難、居場所、人との繋がり等について、また現在の保障が不十分な「自粛政策」の中で子どもの居場所を失われながら苦しい生活を送っている人たちについて。そうした社会の全体についての思考が全く足りていなかったと思います。何も分かっていなかったと言われても返す言葉もありません。

では、どうするのがいいのか?非常事態宣言が延長される中、世の中全体が無傷では済まないのは当然で、この社会を守っていくために自分には何が出来るのか?

私には大きすぎるテーマですから、分からないことだらけですが、少なくとも、ここでは学校のことだけに限定して、年度の切り換えという観点から8パターンで考えてみました。あくまで「学校」の対応であり、これらの8パターンに社会がどう対応するのか?は別の問題としてあります。もちろん、「学校」を守ることが社会全体の最優先ということでもないと思います。社会が壊れてしまえば、教育どころではなくなります。ただ、社会の中の学校どころか、学校に限定した場合の話としてすら、具体的なビジョンも議論もなく「9月入学への移行賛成論 v.s. 9月入学反対・学校早急再開論」が進んでしまうように思えたので、自分なりに整理して考えてみました。今後の議論が具体的な見通しとともに進むことを願っています。

① 2020.6 再開 ⇒ 今年度の問題を今年度のみと限定し一気に4月スタートに回復

2019 4/1~3/31       (12ヶ月)

2020 6/1~3/31       (10ヶ月) + Online

2021    4/1~3/31         (12ヶ月)

② 2020.7 再開 ⇒ 今年度の問題を今年度のみと限定し一気に4月スタートに回復

2019 4/1~3/31       (12ヶ月)

2020 7/1~3/31       (9ヶ月)  + Online

2021    4/1~3/31         (12ヶ月)

③ 2020.9 再開 ⇒ 今年度の問題を今年度のみと限定し一気に4月スタートに回復

2019 4/1~3/31       (12ヶ月)

2020 9/1~3/31       (7ヶ月)  + Online

2021    4/1~3/31         (12ヶ月)

以上挙げた①~③のパターンは、私が現場の教員として一番可能性が高いと不安を感じたパターンです。

6月に再開出来る見通しもまだまだ分からない中、①~③を前提とした大学や検定協会の動き、目の前ですら広がっていく格差に非常に不安を覚えました。もちろん、これは「私という人間の自己都合的な目線」です。「受験生」への影響を大きく考えすぎたバイアスもあったと思います。時間を奪われているのは何も受験生だけではないのですから。それでも日々時間が失われていくこと、オンラインと称した学びがなかなか届かない場もあること、どこに着地するのか分からない不安などから、①~③には大きな不安を持ちました。ただ、この状況であっても、本当に苦しい子達へのケアが届くように、私たち現場の教員はOnlineのみならず様々な支援を行っていかなければならないし、現にそうやって頑張っている方々が数多くいらっしゃることには敬意しかありません。私自身も微力ですが、更に努力をしていこうと思っています。

④ 2020.6 再開 ⇒ 複数学年に影響を分散し段階的に4月スタートに回復

2019 4/1~3/31       (12ヶ月)

2020 6/1~4/31       (11ヶ月)

2021 5/1~3/31       (11ヶ月)

2022   4/1~3/31       (12ヶ月)

⑤ 2020.7 再開 ⇒ 複数学年に影響を分散し段階的に4月スタートに回復

2019 4/1~3/31       (12ヶ月)

2020 7/1~5/31       (11ヶ月)

2021 6/1~4/31       (11ヶ月)

2022   5/1~3/31       (11ヶ月)

2023    4/1~3/31         (12ヶ月)

⑥ 2020.9 再開 ⇒ 複数学年に影響を分散し段階的に4月スタートに回復 

2019 4/1~3/31       (12ヶ月)

2020 9/1~7/31       (11ヶ月)

2021 8/1~6/30       (11ヶ月)

2022   7/1~5/31       (11ヶ月)

2023    6/1~4/30         (11ヶ月)

2024    5/1~3/31         (11ヶ月)

2025    4/1~3/31         (12ヶ月)

④~⑥は今年の影響を複数年度の変化で分散させるプランです。9月に再開出来る見通しも立っていませんから、これらの想定もどこまで現実的に機能するのかは分かりません。ただ、都道府県、自治体によって再開時期もバラバラな状況に今後なっていくことを考えると、これはどちらかと言えば今回の感染の影響を大きく受けた大都市目線の対応なのかも知れません。そもそも、震災その他の想定外は最近の歴史でもあったわけで、東京が困れば全部を変えるのはフェアではない、という理屈もまったくもっともだと思います。

⑦ 2020.9 入学 ⇒ 複数学年に学生数を分散し9月入学制度に移行

※ 段階的に学齢を9/1~8/31に移行するプラン

2019 4/1~3/31       (12ヶ月)

2020 9/1~8/31       (12ヶ月)        4/2~次4/1       (1学年)

2021    9/1~8/31         (12ヶ月)        4/2~次4/30    (1学年+1ヶ月)

2022    9/1~8/31         (12ヶ月)        5/1~次5/31    (1学年+1ヶ月)

2023    9/1~8/31         (12ヶ月)        6/1~次6/30    (1学年+1ヶ月)

2024    9/1~8/31         (12ヶ月)        7/1~次7/31    (1学年+1ヶ月)

2025    9/1~8/31         (12ヶ月)        8/1~次8/31    (1学年+1ヶ月)

2026    9/1~8/31         (12ヶ月)        9/1~次8/31    (1学年)

⑧ 2020.9 入学 ⇒ 学齢は現状のまま9月入学制度に移行

※ 学齢は4/2~次4/1のままのプラン

2019 4/1~3/31       (12ヶ月)

2020 9/1~8/31       (12ヶ月)        4/2~次4/1       (1学年)

2021    9/1~8/31         (12ヶ月)        4/2~次4/1       (1学年)

⑦よりは⑧のパターンでの9月入学制度が現実的だと思います。ただ、今行われている「9月入学」の議論でも、私の不勉強かもしれませんが、これらの対応についての検討もスッポリ抜けているように見えるのが気がかりです。もし、何も考えていないのであれば、それこそそんな「9月入学移行」にはリアルな政策としての妥当性など皆無ではないかとも思います。

私自身、色々考えてみたのですが、これらの8パターンも所詮は「元通り」を目指したプランである、というのが正直なところです。

公教育の存在意義は、「多様性」と「再配分」。特に後者については、「公教育をきちんと受けて学べば社会で生きていける」という社会保障の一つとしての信頼がなければならないと思います。

就学期間という観点のみで「回復」を考えても、今回の騒動の前から存在していた様々な社会の課題、教育の課題は解決しない。

研究会の姜先生のお言葉ですが、

「世界の中で日本の教育だけが今回の騒動で右往左往しているように見えるのは何故なのか?」

それをしっかりと考えて、これまでの制度の土台となっている価値観も含めて見直さなければならないと改めて強く思います。それは、教育が土台となっている社会全体を見直すことと繋がっていなければならない。私にはとても手に負える話ではありませんが、この国全体がそうしたコンセンサスを再構築することから始めなければならないと考えます。

 

 

 

なぜ本年度は入試や推薦で検定試験導入を見送るべきなのか?

英検協会から以下の発信がありました。

私の見解が正しいかどうかは分かりませんが、大きな疑問と不安と怒りを覚えました。

https://www.eiken.or.jp/eiken/info/2020/0424_01.html

5月29日(金)、30日(土)、31日(日)(準会場含む)に実施予定でありました、従来型の実用英語技能検定および英検2020 2 days S-Interviewの第1回検定につきまして、諸状況を鑑み、ひとまず上記の日程での実施を延期

⇒ これは当然の対応。今の状況で5月末に実施など無理でしょう。

なお、この先、状況によりましては、さらなる変更も予想されます。したがいまして、まずは速報といたしまして本内容のみをお知らせさせていただきます。記載外の点や詳細等につきましては、決定次第、速やかにお知らせいたしますので、今暫くお待ちいただけますようお願い申し上げます。

⇒ これも分かる。状況次第では下記の日程も延期や中止となる。

【本会場】(S-Interview含む)※申込締切日は予定どおり4月28日(火)まで
一次試験  2020年6月28日(日)
二次試験  2020年8月23日(日)

 

⇒ しかし、まず申込み日。これは少し配慮欲しい。とりあえず申し込んだはいいけど、先の状況が分からない以上、返金その他の対応があるのか知りたい。締め切りは明後日ですよ。緊急事態宣言はまだ解かれていません。

【準会場】※申込締切日は現時点では5月12日(火)まで(延長を検討中)
一次試験
2020年6月28日(日)
2020年7月17日(金)※中高特別準会場
2020年7月18日(土)
2020年7月25日(土)
二次試験
A日程  2020年8月22日(土)
B日程  2020年8月23日(日)

⇒ 問題は、ここ。更にこれ。

最後に、先述のとおり本会場の会場借用が不安定な状況もあり得ますので、申込団体様におかれましては、できる限り団体様内で日程をご選択いただける準会場でのお申し込みをご検討いただきますよう重ねてお願い申し上げます。
改めまして本旨をご理解賜りますよう謹んでお願い申し上げます。

⇒ あの、これは、英検中止 (開催リスクを英検協会が回避)
→ 準会場、つまり各学校で教員が些少な事務諸費で英検を可能な限り実施せよ、というお願いですか??

これが単なる単なる検定なら、答は簡単。Noです。
学校が実施リスクをとり、感染対策や感染リスクを丸ごと背負い、実施などする訳がない。

が、入試の必要条件となれば別。
英検協会が実施リスクから中止を決める検定実施のリスクと業務負担を現場に全て押し付ける。

この理解で良いですか、英検協会様。

もちろん直接問い合わせました。回答はお待ちしているところです。
が、本年度の入試・推薦で検定を大学が採用することは、こういう事態に繋がる可能性があるということです。

 

やめるべきは準会場試験です。事務負担に加えて、再開後苦しい状況で学校活動を行っている学校に「感染症対策」「実施責任」を追わせる気ですか?

同様の対応をFaxで送りつけてきた予備校さんもありました。

自分のことさえ良ければよい。

こんな大人が教育に関わることが残念でなりません。

 

コロナ危機 教育現場の今後の課題

 

【今後の課題】
今回の騒ぎで不可避だと直感したことは2つ。
まず『繋がり不在の非日常外部オンラインコンテンツ』は、単独では、ずば抜けたもの以外機能しない。「個別最適化」をうたったところで、「学ぶコミュニティ不在」では、ごく一部の意識と学力の高い生徒にしか無理。一方で一方的な課題提示も、ロイロでは一割程度しか取り組めないという報告もある(もう少し高いと信じますが)。
もう1つはレイティング。これは送信側が何を言っても言い訳にしかならない。他校、他学年、担当者、比較は不可避。『オンラインで低レベル講義』ではリスクも高い。教員負荷も心配。
では、どうするか?
今この状況だからこそ、アクティブラーニングと協働学習だと思います。
例 アクティブラーニング
①英語でみんなを元気にするメッセージを10語以上で書きなさい。
②R80を用いて、一番心に残ったメッセージを2文(私は○○さんのメッセージが一番心に残りました。なぜなら~)で作成し提出。無理ならメールでもノートでもよい。
※教科を問わず出来る。家庭科なら料理、国語なら俳句など。
例 協働学習
①グループを作る
②1人では難しい課題を投げる。受験生なら後期国立レベル(ここで動画ガイダンスやメッセージガイダンスを入れても良い。外部コンテンツでも可)
【即興です】
バーニーサンダースの次のツイートを読んで、様々な国のコロナ対応について調べ英語で発表しなさい。発表方法は、グループごとに動画、スライド、紙など何でも構いません。
There are people today who may well have symptoms of coronavirus, but who have to go to work because they don’t have any paid family or medical leave. How does that happen in the richest country in the history of the world?
③役割分担させる(最終発表役、意見集約役、調査役、先生相談係、スライド作成役、デザイン役)
④取り組みを通して果たした役割をR80でまとめさせる。自分の役割のメタ認知。
これなら、教員は課題を与えてグループ相談係とのみ対応すれば良くなります。
しかも他校や他学年との比較も回避出来ます。なぜなら、それぞれの「学びのコミュニティ」の力次第で、「学び」は変わるので。これが全てでなくても良いし、現在各担当者が苦心してるものはそのままで大丈夫。
ただ、学校としての軸を発信出来ますし、多少の温度差は多分目立たなくなると思います。

コロナ危機に思う 【中島先生考案 R80 鮫島バージョンも共有させて頂きます】

Facebookで投稿済みですが、これまでの投稿4件をこちらでもシェアさせて頂きます。

投稿が新しい順です。なお元並木中等教育学校校長先生の中島先生考案のR80は

http://www.namiki-cs.ibk.ed.jp/?page_id=552

こちらのサイトで公開されています。中島先生とはVery 50様のイベントでご縁を頂き、直接使用のご許可を頂きました。お使いになる場合には是非中島先生にお願いして頂き、指導実例をシェアされるとよいと思います。私にとっては素敵な魔法使いのような憧れの存在です。

私のバージョンはこちらにシェアさせて頂きます。

【公開用】R80 鮫島バージョン

 

<コロナ危機についてのこれまでの発信>

2020.4.11

【大学・教育関連業者の皆様へのお願い】
私個人の発信としては弱いのは承知しておりますが、まずはご賛同頂ける方々に拡散頂けると幸いです。
郵便物の学校への送付の停止
新型コロナウイルスの影響で中学高等学校の現場の教職員の在宅勤務も徐々に進んでいます。
そんな非常事態の中で、在宅勤務を阻害する要因がいくつかありますが、その1つが大学や教育関連業者様から郵送されてくる各種案内やお知らせです。
特に困るのは、指定校推薦や大学の入試に関する書類です。
このまま休校期間が延長になった場合、指定校推薦の書類が届くのは例年、4月~8月。
これらの書類の処理の為に、教員の在宅勤務は確実に不可能になります。
各大学が書類をPDF化し、ホームページ上で学校IDと、パスワードを、例えば高校が窓口にしている学校ホームページ記載のアドレスに送りって頂けると、在宅での処理が可能になります。別の方法でも構いません。要は在宅勤務を前提とした対応が可能であることをお考え頂きたいのです。
休校期間が5月連休明けまで、となれば問題はさほどありませんが、そうならない可能性も低くはないと思います。そんな中、現状でも大学からの案内は一つ一つは少なくても、纏まると膨大な量の郵送で届く状況が続いております。
また、早々と民間英語試験の新規導入や指定校での必須条件追加といったお知らせなども郵送される大学様もございますが、そうしたものを取りに行くために、高校の教職員の出勤が必要になるということをご理解頂けないでしょうか?また民間試験すら、まだ実施出来るかどうか、分からない状況で、そのことに最も不安な思いを持っているのは他ならぬ受験生達です。
または、大量の書類を確認した結果、実施されるかどうかすら不明のオープンキャンパスの案内であったり、その中止のお知らせであったりすることもあります。
そもそも、そうした『届くかどうか分からないお知らせ』を大学関係者に郵送する指示を出していらっしゃる方々は、その問題点を認識されているのでしょうか?
どうか、現在の日本社会の置かれた状況を広い視野で俯瞰して頂き、各大学レベルではなく、全大学レベルでのご対応をお願い頂けますと幸いです。

2020.4.12

【リモート授業での注意】PDCAは必要だが、OODAで!
お願いばかりでは申し訳ないので、『リモート授業』を先行させている中高の現場の反省から、少しまとめさせて頂きます。私自身もこの後、5月から大学のリモート授業をスタートするので、このまとめを踏まえて行うつもりです。
①心的安心安全の確保
 情報発信と情報受信の両方の面で生徒、学生を安心させる必要があります。ミニマムで確実に届く連絡・課題の送受信(本校の場合は配信メールを見ればとりあえず大丈夫。余裕あればClassiやロイロ、zoom授業参加。不明な点や質問・相談窓口の周知)の保障。
 中高の場合は就学支援金での不安や保護者の収入減による学費の心配が予想されたので、対応を事務にお願いしました。大学の場合には地元を離れて生活している学生の生活支援についての発信が不可欠だと思われます。また、本校は現状でも後手に回っていますが、メンタル面での不調を含めた相談窓口があると良いと思います。
②学校側の受信体制の整備
 貸与端末に関するトラブル、各授業の質問、Classi、ロイロなどに関する問い合わせ、単位の不安など多種多様な受信を行うことになります。電話による相談も有効ですが、交通整理体制が出来ていなければ、特定の担当者に負荷が掛かります。本校では、担当者の出勤回避の為に携帯端末貸与を学園に提案、申請し、ようやく機能し始めました。ただ、交通整理の為の分岐ページは提案しましたが理解して貰えず起動していません。本来であれば、こうしたページで過去の同類の相談を捌きつつ、より深刻な新たな問題への対応にフォーカスする体制があると良いと思います。
③ リモート授業スロースタートとOODA対応
 ①②がクリア出来てはじめて③の段階に入れます。どんなリモート授業でも、全員に届かなければ成立しません。そこで、複数手段による同一または選択課題発信方式が必要です。学生の置かれた環境によって無理のない課題選択が可能な発信を工夫する必要があります。詳細は省きますが、私の授業では、与えられた教材、外部無料動画コンテンツ、外部無料書籍コンテンツ、外部Webサイトを選択肢として提示し、R80(元並木中等校長発案)を用いた振り返りシートによるアクティブラーニングを課題とする予定です。課題が多様でも評価材料を揃えることが可能になります。
④ ③で学生の取り組み状況や環境を確認しながら、信頼関係も構築した上で、それを土台に徐々に必要に応じてハードルを上げていきます。
以上です。
何かのお役に立てれば幸いです。

 

2020.4.12

【今後懸念されることと解決策】
休校期間が更に延長になれば、評価問題に伴う調査書、民間英語試験資格などが課題となります。
それらを個別に解決する手段は、考えてみましたが、思いつきません。
仮に例年通り、予定通りのスキーマで進行した場合には以下のような深刻な問題が高等学校、特に受験生の現場に生じます。
①学校活動が一切ない状況での調査書の行動記録(部活動は大会そのものも中止。ボランティアも出来ない。)
②中止が予想される民間英語試験の資格取得問題(試験がなければ取得不可)
③調査書優先による学校活動の崩壊(評定算出が必須であれば、学校再開後の定期試験過密スケジュールによる学校教育への圧迫と歪みが生じる。行事のみならず、授業すら十分出来なくなる)
④休校期間中の環境格差=学力格差の問題
他にも様々あると思いますが、こうした高等学校側の状況(とその地域格差)に配慮した入試や推薦を行って頂くことになります。
ただ、各大学様の個別対応で果たしてどこまで出来るのか?この騒動が連休明けに収まる可能性の方がむしろ低いとも危惧しております。
すべての課題を個別ではなく、一気に解決するとしたら
来年9月入学に切り換える
しかないように思います。
国際基準に合わせることも出来ますし、上記の問題もクリアされますし、小中高大ともに、無理なリモート授業を避け、国民全体が今後の国難への備えとして様々な練習を行う機会と現在を捉えることで心的余裕とリソース疲弊回避も出来ます。
もちろん、障害もあると思いますし、他の方法もあるのかも知れません。私のような現場の一教員が提案し実行することなど、とても出来ませんので、皆様が様々な視点からお考え頂く材料になればと考え、僭越なのは承知の上で書かせて頂きました。

 

2020.4.13

郵便物送付による告知の問題【具体的事例】
先日投稿で『高校教員の在宅勤務の障害となる学校への郵送自粛のお願い』をこちらで書かせて頂きましたが、本日早速以下のような問題が発生しました。具体的に何が起こるのか?についての情報共有となれば幸いです。なお、個別の大学名については、伏せさせて頂きます。
①4/10付で、『参加型入試(数回の授業を受けてその参加姿勢で評価する入試選抜)の案内』が学校に郵送で届く。
②たまたま別件で勤務していた教員が発見。写真メールで進路指導部の私に共有
③書類によると、生徒に告知の上、4月末日までに申し込み受付とある。
まず①②の段階で、高校の教員の在宅勤務が阻害されることは、先日お伝えした通りです。
今回は、③がいかに現場に混乱をもたらすかを問題提起させて頂きます。
まず、教員がこれらの告知を確実な方法で各生徒・保護者に伝達する手段は、実は現状ありません。本校では、緊急配信メール、クラッシー、ロイロといった伝達手段を持っておりますが、クラッシーやロイロの不安定な現状については、報道などでご承知のことと思います。ハッキングの問題もありました。緊急配信メールシステムは本校独自のインフラですが、それでも100%確実な手段ではありません。後で届いていなかったという事例はこれまでも何件もあります。大学が責任を持って告知している内容であればともかく、内々の情報として高校の現場に投げられれば、情報通知の責任は高校側が負うことになります。こうした課題を大学にお伝えすると、『オンライン授業の準備で大学も今は忙しい』といったご返信を頂く場合もございます。優先順位が違うのではないでしょうか?
次に、仮に全員に情報を届けられても、エントリーの仕組みをネット上に作成するのは現在のような状況では容易なことではありません。クラッシーのアンケート機能、Googleでのアンケート機能を日常的に用いてきた本校ですら、その回収率が100%になったことは、今まで一度もありません。残りは電話や登校時の直接確認以外ありません。現在在宅勤務を行っている教員の機器は全て私的所有物です。この点も恐らくご存知ないのではないかと思います。
更に、生徒は一体何を基準にこうした入試へのエントリーを検討すれば良いのでしょうか?通常であれば、教員との相談も出来ますが、今は無理です。そして、学校再開後の学校のタイムテーブルも、これまでと同じ日常に戻れるとも保証出来ない状況です。土曜日や日曜日、通常の長期休暇であっても、場合によってはカリキュラム消化の為に学校があることも十分あり得ます。
就活が大学生の学びを阻害することがしばしば問題視されます。企業エゴが大学の学びを阻害することに私も大反対です。が、大学の都合で行う独自入試が高等学校の学びを阻害することが、お分かり頂けずにこうした発信がなされると、誰も自分さえ良ければそれで良いのか?という不信感を抱かざるを得ません。
該当の大学様には先ほどお電話で、ご対応をお願い致しました。が、果たして検討されるのかどうかすら分かりません。
僭越ですが、大学にかかわる全ての方々の良心と良識を信頼して問題提起させて頂きました。
恐らく、仮に休校措置が延長されれば、その後に、この大学様からも『中止のお知らせ』が、在宅勤務期間中に学校に郵送で届くでしょう。
何卒、問題点の共有、拡散をお願い致します。

2020.4.15

【早めの対応が現場に余裕を生む】
学力調査の是非はともかく…。
ベネッセは4月の模試を中止し、無料配布の措置を早々と取りました。『配布』されても困ると要望中ですが、著作権関係がネックとなり、オンラインでの配布は検討中ですが難しいかも知れません。
学校再開後、模試や学力試験の実施は現場の負担になることは間違いない。アフターケアの余裕など、全くないでしょう。
各種検定試験も同じ。中止なら早めの発信が、入試での採用を決めている大学の対応を早期化出来るし、それが子ども達の不安をやわらげる。現在寄せられる生徒からの相談には検定関連のものが多いですが、現場は『準備しとくしかない』以外は何も言えない。
調査書も同じ。書けない可能性すらある。
今年に限り別対応が早めに発信されれば、定期試験も見直すことが出来る。結果、現場の学びは柔軟になる。
オンラインで授業してみて分かることは、『普段通り』では駄目ということ。普段出来ない、オンラインならではのことをやらなければ、駄目。今、私が考えているのは、元並木中等校長の中島先生のR80を本校生徒用にアレンジしたもの。アクティブラーニングの伝道師の中島先生ならではのツールですが、これだと、多様な課題を各生徒の環境や学力に合わせて調整、選択させることも出来るし、評価材料は一律に出来る(本来評価ではないのですが。並木中等のホームページでご提供されています。私はこれに野矢茂樹先生の論理トレーニングを組み合わせてみたした。)
私は高大の授業でこのR80を使うつもりです。
動画授業も熊本の震災支援で100本近く既にあるけど、私が熊本の現場でカタリバさんから教えて頂いた大切な教訓。
『生きた関係がなければ、若い子達には学びは届かない』
YouTuber気取りでいると、教員は痛い思いをする、と学びました。
誰と、どこで学ぶか?
公教育の存在意義をこの難局でどう示せるか?
試されているのは私たち大人の方ですね。

Very50主催 社会から逆算する探究学習

Very50主催 社会から逆算する探究学習に参加してきました。
登壇者
鴎友学園名誉校長 吉野先生
茨城県立並木中等教育学校校長 中島先生
Very50代表 菅谷氏
2020/2/15 1400~1800
前回のイベントで顔見知りになった鴎友の吉野名誉校長の発信を目当てに参加しましたが、全体の全てが全て期待以上の素晴らしいイベントで大満足です。
先日の荒瀬先生の講演のテーマでもあった、『教育改革頓挫の先』に明るい未来を感じさせて頂いた素晴らしいイベントでした。
吉野先生のお話は、鴎友学園がどのように女子教育の存在意義を模索し、改革を成し遂げてきたのかが中心。学力軸とは別に社会性としての非認知能力を軸に女子教育に取り組んで来られたのかについて、勉強になる点、参考になる点が多くありました。ベネッセのスタディサポートの中にある心理・スキルテストの4類型(途上型・社会型・自我型・達成型)を単なる診断ツールではなく、理念共有を土台にした教育成果をメタ認知するコンパスとして活用されたことに感動しました。またVery50がNPOの理念として掲げる4類型(Greed/Parasite/Dreamer/Very50=自立した優しい挑戦者)とも非常に親和性が高いことにも驚かされました。どちらも四象限マトリックスであるのに、見るものをそこに縛り付けて支配しマウントを取り価値観を一方的に押し付けるためのものではなく、成長や変化を促す素晴らしいデザインに見えるところが、多くの胡散臭いコンサル的なデザインとは全く違うものだと感じました。
私からは質問として、『生徒の自己肯定感の視点から、社会型→途上型→自我型→達成型の成長モデルが多くのモデルの1つに過ぎないのではないか』という直感を基に、守破離の生活指導モデルについて、先生のお考えを聞かせて頂きました。ICT活用含め、社会や家庭教育の実情が変数として機能しうる点について大いに共感しました。
中島先生は、最早エンターテイナーの域に達しておられました。日本史の先生としても教科書だけでなく参考書も多く出版されている先生。板書を一切しないスタイルで地域三番手校をセンター試験平均で県内ベストに導いた実績を持ちながら、そこに安住することなく、『楽しくない学びは学びではない』という信念を持ち、Active Learningに取り組まれてきた歴史をお話下さいました。ALを広める為に独自のアイデアで開発された用語の数々に、ただただ感動。AL指数(授業でのアクティブラーニングの度合いを測定する指数。でもその真意は先生の心的ハードルを下げる仕掛け)、R80(出口汪氏の論理トレーニングから着想を得た論理力養成ツール。論理的思考力ではない点が興味深い。RSTと似ている発想。高い学力層を教えた経験から学力の基盤となる力を論理力と喝破し、それを養成するツール)、Co-Syudan-co(個→集団→個へと学習をデザインしテストで点も取れる成果が出ないようなALでは意味がない、とする授業デザイン)、TO学習(六学年の集団を人的リソースとして活かし、上級生が下級生を教える取り組み。イエナプランを思い出しました)、4方向リスペクト(生徒×教員)、NT5(ニュータイプ校の5要件)、AAL(【Art&哲学】×AL)など。数々のアイデア満載の独自用語を繰り出しながらも、ガンダム愛、エヴァンゲリオン愛を滲ませ笑いを取りつつ、実は全てが生徒と教員への愛に溢れた先生の宝物を見せられた気分でした。
中島先生は探究の出発点として堀川高校を見学されたとお話になってましたが、二日前に講演会でお会いした荒瀬先生との繋がりにも不思議なご縁を感じました。
私からは、『4方向リスペクトの中で最も難しいと思われる教員×教員リスペクトを校長としてどう生み出されたのか?』を質問しました。先生のお答えは先日のある企業でのワークショップに通じるものでした。一言で言えば、『最初から無理しない』。
中島先生の講演の締めは、いつも歌。
今回はゆずの『栄光の架け橋』。
歌上手すぎやろ?
お二人とも住む世界が違うと感じる素晴らしいリーダーだと、感動しました。
菅谷さんからのお話は前回と同じかと思いきや、これもまたいい意味で期待を裏切ってくれました。まさか、Newspicksの世界をバッサリ斬るとは。Very50というチームが、何故これだけ素晴らしい場を提供出来るのかが少し分かった気がします。中島先生のAALの話に感動した点は吉野先生、菅谷さん、私も全く同じ点で、言語化出来ない領域の魅力についてのワクワク感を共有出来たことがとても嬉しかったです。
そして、実は今日のMVPだと私が思ったのは、この会を回したVery50の中山さん。スラムダンクで言うとPG仙道君。視野の広さ、瞬時の判断、並では出来ません。
荒瀬先生の講演に続いて、こんなに面白い会になるとは。お腹いっぱいです。