右とか左とか関係なく、
トレンドや風に流されずに、
簡単に変わらない本質を学び
現実に起こっていることをそこから捉えなおして
深く考え発信し生きている人は素晴らしいと思う。

http://lite.blogos.com/article/184470/?axis&p=1

内田樹さんの日弁連での講演内容。

「今の世界は単一の「オーサー」によって操作されているわけではありません。
それぞれの地域、それぞれの領域で、自発的に無数のファクターが運動している。
もう人間のコントロールを離れている要素も多い。」

この後、内田さんの話は株の売買が人間の手を離れアルゴリズムによって
動いている実情へと続く。

「今の世界の危機」はフッサールなどの現象学者が警鐘を鳴らした最悪の未来
へと向かっているように私には思える。

難解な現象学に触れたのは大学1年生の時。
リオタールの本を訳も分からず読んでいた。
それがきっかけだ。

「生きている実感」が欲しくて、守るべきものを守れる人間に
なりたくて、強くならなければならないと「武器」をあれこれと
探していた時代。

サルトル、メルロポンティ、ブーバー、ニーチェといった
思想家の思想に触れ、分からないながらも格闘したことで
今の自分の世界観や価値観の土台がなんとなく出来た。

科学が人間の「表象レベル」を超えて発展する時、人間は最早何が
起こっているのかをイメージ出来ずに、科学をコントロールすることが
出来なくなる。核兵器や原発などがその最たる例かもしれない。

現象学の警鐘にも関わらずアメリカ的なプラグマティズムが世界を席巻し
人は「数値化出来るもの」つまり「デジタルな世界」のみに価値を置き
生き続けている。その結果何が起こるのか、それは誰にも分からない。

内田さんの次の言葉は、こうした動きが経済でも起きていることを
鋭く分析している。

「でも、それではもう経済成長ができないということがわかった。
身体というリミッターを外して、人間の経済活動を無制限のもの
にしようと考えた人がいた。それが金融経済です。
ここで起きている出来事はもう生身の人間の身体とは関わりがない。
だって、これはもう消費活動じゃないからです。
商品やサービスを買うわけじゃない。金で金を買うのです。
株を買い、不動産を買い、国債を買い、石油を買い、金を買い、
外貨を買う。これらはすべて金の代替物です。」

ここで内田さんが使っている「身体」というキーワードは重要だ。
まさに現象学が危惧したことと同じことが経済でも起こっている。

人をナイフで刺せば、目の前で人が傷つき、返り血を浴び、
我々の身体は「他者の死」を「自分の経験」として感じる。
その罪の重さを身体で知る。
しかし、ボタンを押せば大量殺戮が出来る人間、AIを用いた兵器で
人を大量に殺す人間には、「身体的な経験」は一切ない。
そこに罪の意識が生まれないとしても、不思議なことではない。

原爆を落とした飛行機の操縦士は巨大なキノコ雲を見て原爆の威力を
知った。でも、そこで生まれた地獄を彼の身体は知らない。
もし仮に、被害者全員の悲劇を一人一人自分の身体の経験として
経験したとしたら、恐らく発狂し廃人になるか、耐えられず自らの
命を断ったかもしれない。

教育の世界でも「身体」を超えた「改革」と称するものがトレンドだ。
それ自体は否定するものではないとしても、自らの「身体」でそれを
感じ、その意味を考え、将来起こることを予想する人間はほとんど
いないのではないか?

先日、NPOカタリ場さんの「カタLive」に参加してきた。

被災地に入り、被災者と直接向き合い、信頼関係を構築し
身体を持つ人と人との出会いを創り続ける活動に感動した。

4月下旬の毎日新聞の記事を読み、ICTによる教育支援を考えた自分の活動が
「身体」を伴っていないことを痛切に感じ恥じた。

AIが発達しても残る仕事は、きっと「身体」を伴う仕事になるのだろう。

大きな流れは変えられないとしても、あらゆる活動を人間の身体に取り戻す
試みを止めてはならない。
話がまとまりませんでしたが。。。

内田さんのブログを読んで、現象学のことを思い出して、今の自分の身近な
問題についてあれこれと考えてみました。

大学で学んでいる学生さんたちに言いたいです。
目の前の利益になる知を学ぶことも大事ですが、
「自分」を創る土台は学生時代に学んだことだと
思います。
役に立たないと思われるものでも、自分の「身体」が欲するものを
学んで欲しいです。

未来は科学やAIが創るのではなく、人が創るのですから。

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