研究員ブログ 鮫島 慶太

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月別アーカイブ: 7月 2016

現象学の思い出と今世界で起こっていること 内田樹さんのブログの意味を考える

27 水曜日 7月 2016

Posted by ESN英語教育総合研究会 研究員ブログ in samejima-blog

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右とか左とか関係なく、
トレンドや風に流されずに、
簡単に変わらない本質を学び
現実に起こっていることをそこから捉えなおして
深く考え発信し生きている人は素晴らしいと思う。

http://lite.blogos.com/article/184470/?axis&p=1

内田樹さんの日弁連での講演内容。

「今の世界は単一の「オーサー」によって操作されているわけではありません。
それぞれの地域、それぞれの領域で、自発的に無数のファクターが運動している。
もう人間のコントロールを離れている要素も多い。」

この後、内田さんの話は株の売買が人間の手を離れアルゴリズムによって
動いている実情へと続く。

「今の世界の危機」はフッサールなどの現象学者が警鐘を鳴らした最悪の未来
へと向かっているように私には思える。

難解な現象学に触れたのは大学1年生の時。
リオタールの本を訳も分からず読んでいた。
それがきっかけだ。

「生きている実感」が欲しくて、守るべきものを守れる人間に
なりたくて、強くならなければならないと「武器」をあれこれと
探していた時代。

サルトル、メルロポンティ、ブーバー、ニーチェといった
思想家の思想に触れ、分からないながらも格闘したことで
今の自分の世界観や価値観の土台がなんとなく出来た。

科学が人間の「表象レベル」を超えて発展する時、人間は最早何が
起こっているのかをイメージ出来ずに、科学をコントロールすることが
出来なくなる。核兵器や原発などがその最たる例かもしれない。

現象学の警鐘にも関わらずアメリカ的なプラグマティズムが世界を席巻し
人は「数値化出来るもの」つまり「デジタルな世界」のみに価値を置き
生き続けている。その結果何が起こるのか、それは誰にも分からない。

内田さんの次の言葉は、こうした動きが経済でも起きていることを
鋭く分析している。

「でも、それではもう経済成長ができないということがわかった。
身体というリミッターを外して、人間の経済活動を無制限のもの
にしようと考えた人がいた。それが金融経済です。
ここで起きている出来事はもう生身の人間の身体とは関わりがない。
だって、これはもう消費活動じゃないからです。
商品やサービスを買うわけじゃない。金で金を買うのです。
株を買い、不動産を買い、国債を買い、石油を買い、金を買い、
外貨を買う。これらはすべて金の代替物です。」

ここで内田さんが使っている「身体」というキーワードは重要だ。
まさに現象学が危惧したことと同じことが経済でも起こっている。

人をナイフで刺せば、目の前で人が傷つき、返り血を浴び、
我々の身体は「他者の死」を「自分の経験」として感じる。
その罪の重さを身体で知る。
しかし、ボタンを押せば大量殺戮が出来る人間、AIを用いた兵器で
人を大量に殺す人間には、「身体的な経験」は一切ない。
そこに罪の意識が生まれないとしても、不思議なことではない。

原爆を落とした飛行機の操縦士は巨大なキノコ雲を見て原爆の威力を
知った。でも、そこで生まれた地獄を彼の身体は知らない。
もし仮に、被害者全員の悲劇を一人一人自分の身体の経験として
経験したとしたら、恐らく発狂し廃人になるか、耐えられず自らの
命を断ったかもしれない。

教育の世界でも「身体」を超えた「改革」と称するものがトレンドだ。
それ自体は否定するものではないとしても、自らの「身体」でそれを
感じ、その意味を考え、将来起こることを予想する人間はほとんど
いないのではないか?

先日、NPOカタリ場さんの「カタLive」に参加してきた。

被災地に入り、被災者と直接向き合い、信頼関係を構築し
身体を持つ人と人との出会いを創り続ける活動に感動した。

4月下旬の毎日新聞の記事を読み、ICTによる教育支援を考えた自分の活動が
「身体」を伴っていないことを痛切に感じ恥じた。

AIが発達しても残る仕事は、きっと「身体」を伴う仕事になるのだろう。

大きな流れは変えられないとしても、あらゆる活動を人間の身体に取り戻す
試みを止めてはならない。
話がまとまりませんでしたが。。。

内田さんのブログを読んで、現象学のことを思い出して、今の自分の身近な
問題についてあれこれと考えてみました。

大学で学んでいる学生さんたちに言いたいです。
目の前の利益になる知を学ぶことも大事ですが、
「自分」を創る土台は学生時代に学んだことだと
思います。
役に立たないと思われるものでも、自分の「身体」が欲するものを
学んで欲しいです。

未来は科学やAIが創るのではなく、人が創るのですから。

2020年入試改革に向けて 2016年東大・一橋大記述問題に思うこと

17 日曜日 7月 2016

Posted by ESN英語教育総合研究会 研究員ブログ in samejima-blog

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動画ページで2016年一橋大新傾向の自由英作文と
東大の要約・和訳問題の解説を扱った。

http://esnenglish.world.coocan.jp/englishmovie.html

予備校の解答とは切り口をかなり変えて作成してみたので
これでよいのかどうか多少心もとないが、それでも
1つの解答の可能性としては提示できたのではないかと思う。

(卒業生の皆さん、他校の先生方、ご意見があれば
是非頂けると助かります!)

東大にしても一橋大にしても「記述力重視」の入試を
従来から行っており、多少切り口の変化はあると思うが
2020年の全体の方針転換をむかえても大きな変化はないのかも
しれない。もちろん、Outputで日本語よりは英語を用いたもの
をもっと重視するのかもしれないが。

「記述力重視」は悪いことではないし、今後の日本の若者を
世界に通用する人材、よりよい日本社会を創造する人材として
育てるうえで必要なことだと私も思う。○×型の問題ばかり
解いてきたような人材ではなく、「答えを創造出来る人材」
こそ必要だと思われるからだ。

ただ、授業動画を作成していて、あるいはこれまで生徒を
指導してきて、大きな問題点、いや「課題」も感じざるを
得ない。

「記述型」の試験では得点誤差が非常に大きいということである。

昨年度の高3生の授業では、和訳・要約・自由英作文などの
演習を毎時間行ったが、全ての得点を分野別にデータとして
保存してある。

それを見ても得点のバラツキが非常に大きい。
難関大に合格した学生でも、毎回安定して高得点というのは
珍しい。本校がお預かりしている生徒さんの学力が突き抜けた
学力ではないとしても、東大や一橋大でさえボーダーラインに
多くの学生が存在すること、飛び抜けた学力の学生はそうした
大学の合格者ですらごく一部だということを考えると、多くの
学生が本番の出来により得点が大きく上下しているのではない
かと思われる。

また生徒の側から考えてみると、「学力伸長の実感を持ちにくい」
ということも問題だ。勉強しているのだから、学力が落ちている
ということはないのだが、要約や自由英作文の得点が勉強すれば
するほど伸びているとなかなか実感出来ない。これは学生の側か
ら見ると、辛い。達成感がなかなか得られないのだ。

これは英語だけでなく、国語でも言えることだが、簡単に言うと
努力して築き上げてきた学力よりも、その場での問題との
相性による得点誤差の方が大きく出てしまう記述問題に対して
学習動機を維持するのが難しいということになってしまいがち
である。

私は、課題は学生ではなく出題者側にあると考える。
要するに普遍的な評価法を学生の側に提示出来ていないのだ。

特に入試では総合点は分かっても自分の書いた答案がどう評価
されたのかを知ることが出来ない。各予備校が再現答案を材料
に得点を推定し採点基準を推定して指導に役立てているが
それが精いっぱいのところで、正確なところは誰にも分からない。
恐らく大学によっても異なるのだろう。

仮に大学によって評価が異なるのだとしても、それはそれで
構わない。大学によってアドミッションポリシーは異なる訳だし
求める学生の学力も違ってよい。それでこそ大学の多様性は
保証されるし、日本の人材育成の多様性も実現する。大いに歓迎だ。

しかし、「何がどう評価されたか分からない」という状況を
放置するのはいかがなものか?学生には「○×ではない学力」
を要求し、自分たちは点数しか発表しない姿勢は明らかに
不誠実だし、自分たちの評価に対して自信が持てないのか?
と勘ぐりたくもなる。

大学入試で記述問題を出題されている担当者にお願いしたい。
少なくとも採点基準を発表して下さい。
そこに各大学の考える「思想」が必ず出てくるはずだから。

そんなことをすれば、予備校産業を中心とした「対策競争」
を加熱させるだけだとお答えになるのでしょうか?
いやいや、すでにそうなっています(笑)。
受ける教育による得点力の方が、参考書によって独自に創り上げる
学力よりも大きくものをいう問題を出題されているわけですから。

変わらなければならないのは子ども達ではなく
大人の側ではないか?

この問題に限らず、教育が論じられる時には
どうしてもそう思ってしまうのは私だけでしょうか?

動画更新 約50本達成

04 月曜日 7月 2016

Posted by ESN英語教育総合研究会 研究員ブログ in samejima-blog

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熊本の震災で学べなくなった子供たちに関する新聞記事を読み
何か出来ることをと思って始めた授業動画作成。

5月の連休から少しずつ作成し、ようやく約50本になった。

残念ながら、今の私の力では、被災地の子ども達の
お役に立つことは出来ないままだが、ツールの使い方も
少しずつ覚えながら、以前よりはスムーズに作成出来る
ようになった。

まだまだ私の今の力では遠い被災地に教育を届ける
などといったことは出来そうもないが、一歩でも
前に進めるように日々頑張りたいと思う。

もちろん、今担当している生徒達にも
「今の私が出来る最高のもの」を与えられるように
頑張っていきたい。

Active Learningについても
ICT活用についても
IBやTOKについても

私はへそ曲がりというか、
その効果については依然懐疑的な部分を持っている。

ただ、学ばずに毛嫌いしたりするのは不味いわけで
今回の授業動画作成は、自分の授業改善の大きな
ヒントになる。

まず、自分の授業を客観的に他者として見れる。

□「え~」が多いなぁ…。

□ ちょっと待て、今の説明だと分かりにくい…。

□ 実際の授業なら、どこで生徒を動かす?

□ 生徒はこれで出来るようになるのか?

こうしたことを考えるヒントや材料を
自分の授業動画から得られるのは財産だ。

私は不器用な教員だが、とりあえず自分が動くこと
でしか若者は動いてくれないという信念はある。

恩師である浅野高校のY先生は、郷土の山口の
維新志士達の熱烈なファンで郷土史家でもあるが
幕末の松下村塾の「教え」「学び」に共感し
熱い授業を私たちにぶつけてくれた。

教育に行き詰ると、Y先生の言葉が浮かぶ。

「結局、分かってくれよ!俺こんなに一生懸命なんだよ!
それしか若者には届かない」

この言葉は、教員を長く続けていけばいくほど身に染みる
言葉だ。
目の前の若者と繋がること。
目の前の若者を学びと繋げること。
それを日々継続させること。

新しい教育を検討されている先生方も日々迷い
奮闘なさっている。

多くの場合、方法論や教育効果に目が行きがちであるが
本質がそこにあるはずはない。

学び続ける人材、学びと繋がり続ける人材
そうした人材をどれほど生み出せるか?

短期的な教育効果をシビアに測るのもよい。
進学実績も逃げるべき物差しではなく、シビアに測ればよい。
楽しく学ぶ今の子ども達の姿に喜びを感じるのもよい。

だが、本当の成果はその先にあることを忘れてはならないと
改めて思う。

また、なんか話それましたね(^_^;)。

要するに、

□ 新しいこと始めて頑張って続けたら動画50本出来た!
□ 被災地支援は全然駄目。未熟!学んで成長する!
□ 動画作成は自分の客観視によい!
□ 新しい授業の可能性を!でも現場が大事!
□ 大人も努力する、進化することが大切!
□ やはり教育は人と人との繋がりが生むもの!
□ 教育の成果は、あらゆる「物差し」から逃げては駄目!
□ 教育の成果は、目先の子どもの笑顔で止まっても駄目!
□ 学び続ける人材を育てよう!

ってことです。

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