研究員ブログ 鮫島 慶太

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月別アーカイブ: 4月 2016

ESN 英語研究会 被災地支援を考える会の活動記録 2016.4.29 現在

29 金曜日 4月 2016

Posted by ESN英語教育総合研究会 研究員ブログ in samejima-blog

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立命館宇治の久保先生を中心に、現場の先生方、企業の方々などに続々と
関心を寄せて頂いています。

被災地はまだまだ余震も続く状況で、多くの方々が避難所や車中泊を余儀なくされており、現地の学生達も今は「勉強より人助け」をスローガンに頑張っている、とのご報告を被災地の先生からも頂きました。

今後、私たちに何が出来るのか分かりませんが、これまでの流れをここにまとめ、ESN研究会の熊本支援のご理解に少しでもお役に立てれば幸いです。

なお、現在以下の3つのサイトで情報意見交換を行っております。

一人一人に出来ることは小さくても、多く集まれば集まるほど大きな力になると思います。

ご関心を持っていただいた方々のご参加を心よりお待ち申し上げます。

①(本部) サイボウズLive  熊本の高校を支援する会

⇒ 熊本の高校の先生もいらっしゃいます。教員・企業・学生・生徒
どなたでも加入OKですが、立命館宇治の久保先生までメールでご連絡頂き
承認が必要になります。

連絡先: ESN研究会代表 久保 敦 archiekubo@gmail.com

②(支部①)Facebook グループチャット ESN英語研究会熊本教育支援を考える有志

⇒ 参加者からのご招待で誰でも参加可能です。教員・企業の方々のご参加をお待ちしております。
ただ、ユーザー承認が必要ないシステムなので現役の中高生などはご遠慮頂いています。
現在、熊本在住の元教員の方もご参加いただいています。

③(支部②)Line グループ ESN英語研究会熊本教育支援を考える会

⇒ まだ作成しただけです。後日設定などを済ませ、幅広く参加出来るようにしたいと思います。

【現在までの流れ】

□ 2016.4.24 毎日新聞記事 「15万人授業受けられず 県内小中高生の75%」
http://mainichi.jp/articles/20160424/k00/00m/040/087000c

□ 2016.4.24 ESNブログの本ブログでこの記事についてのコメント発信
https://esnsamejima.wordpress.com/  (2016.4.24の投稿)

□ 2016.4.24 立命館宇治の久保先生より ESNトップページで教員・企業の支援呼びかけ
http://es-network.org/?m=20160424

□ 2016.4.25 ESN会員メール 4/25特別号発信 十文字女子中高 高瀬先生より

□ 2016.4.27 リクルート様より支援提案

□ 2016.4.28 サイボーズライブを活用した熊本の高校生支援の会 立ち上げ (本部)

□ 2016.4.29 Facebook グループチャット ESN英語研究会熊本教育支援を考える有志(支部) 立ち上げ

□ 2016.4.29 Line グループ ESN英語研究会熊本教育支援を考える有志(支部)仮立ち上げ

【これまでの活動や検討案】

□ 熊本の高校に来ている留学生の受け入れ(立命館宇治)
□ 被災地の学校のニーズ調査・情報収集
□ 具体的支援検討についての意見・情報交換
□ 可能な支援に向けての準備
□ 支援協力企業の拡大

【基本的な活動方針(仮)】

□ 無理、無茶な支援をしない。息の長い教育支援を目指す。
□ あくまで現地ニーズ、現地の活動を優先した活動を行う。

まず自分の日常を精一杯生きて、支援はやれることを無理なく頑張りましょう!

26 火曜日 4月 2016

Posted by ESN英語教育総合研究会 研究員ブログ in samejima-blog

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ESN代表の久保先生の元に支援の申し出の声が集まっています。

私では出来ないこと、発想出来ないことを次々に形にしていく久保先生は
本当にすごい方だと改めて感じました。私も微力ですが、やれることを全力でやりたいです。

現地の友人からお話を伺うと、行政の方々も必死に頑張ってらっしゃるのが痛いほど伝わってきます。
1人でも多くの命を守りたい、そのために優先順位を考え、失敗が許されない緊張感の中で
頑張って一つ一つのミッションをこなして下さっている。大変なご苦労だとお察し致します。

自衛隊の方の命を懸けた活動は東北の時と変わらず本当に頭の下がる思いです。
以前通っていたキックボクシングの道場でお会いし、お話しさせて頂いた
自衛隊の幹部の方の意識の高さを改めて思い出しました。

「いつ、行けと言われても、いつ必要とされても大丈夫なように常に備えを怠らないための鍛錬」

誰かを守るために命を懸けて仕事に向かう姿勢は、とても真似出来るものではないですが
ただ、賞賛するだけでなく、せめて意識の欠片くらいは学ばせて頂かなければと強く思います。

さて、現地の状況を考えると、「被災地の教育支援」に現地の行政が取り組む余裕はまだまだ
生まれてこないだろうと思います。

復旧が進めば、国からの援助で教材、その他の支給は行われるとのこと。

今は、学校の安全、通学路の安全、各ご家庭の安全、そうしたものの確認と実現を
待ってからの対応とならざるを得ない。

そうした状況の中でも、民間の子どもたちへの教育支援の動きは現地であるようです。
同僚に聞いた話では、熊本市内の塾の中には塾生ではない学生に学びの場を提供しているところも
あるとか。聞いただけで涙が出てきそうになります。やっぱり日本人はすごい!

利益を度外視して、いざという時には無償で誰かを救おうと出来る。
改めて、素晴らしい国に生まれたんだと感謝。

「勉強は贅沢」

東進の林修先生のお言葉ですが、深いですね。

やらなくても死ぬわけではないし、生きる上で必要不可欠なものでもない。

でも、「必要なものだけ」の人生では人は元気になれない。幸せを感じられない。

生活を守る支援は絶対に必要だし、それが第一優先ではあるべきですが
「贅沢である学び」を少しでも届けることが出来れば、そう考えて自分に出来ることを
考えつづけ、やっていこうと思っています。

まだ何もしてないし、何も出来ていませんが、形にしてくれる人たちを支え
自分に出来ることを無理なく継続してやっていきましょう!

まずは、自分の日常を全力で生きます。

明日も頑張って生きよう!

支援のために必要なこと・出来ること

25 月曜日 4月 2016

Posted by ESN英語教育総合研究会 研究員ブログ in samejima-blog

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現地の情報は15年ほど前からの知り合いの方からご報告頂いています。
情報が入れば、またドンドンご紹介出来ればと思います。

何が出来るか、考えつくままに書きだしていきます。

ICTを活用した支援活動例を中心に考えてみます。

□ デジタル教科書

※ Ipadなどのタブレット端末支給が必要。スマホ端末では活用は無理。
※ 端末の支給・貸与にはPC系企業の支援が必要。
※ デジタル教科書の期限付き無料使用には教科書会社の支援が必要。

□ CD音源やテキスト

※ スマホレベルでも学習が可能。スマホを持つ中高生は今すぐ活用可能。
※ スマホ端末がなければ支給が必要。電話会社系企業の支援が必要。
※ CD音源や教材本文の期限付き無料使用には教科書会社の支援が必要。

□ スマホアプリ

※ 教育系アプリの期限付き無料使用には、ソフトウエア系会社の協力が必要。
※ 被災地のみに期限付きシリアル発行などの対応が必要。

□ オンライン英会話

※ 教育効果はもちろん、被災地の子ども達の元気づけになるのでは?
※ オンラインサービス提供会社の支援が必要。

□ オンライン動画

※ 受験用授業動画、小中高校生用動画の被災地学生への期限付き無料提供などが必要。
※ すでに存在している無料動画サイトの活用(いいずな書房Vintage解説動画など)
※ 全国中高が保持しているデジタルコンテンツの被災地への提供など。

□ オンライン授業・学習相談など

※ 場所がなくても、各家庭で端末があれば教育を受けられる。
※ 現地の先生方が発信する場、ツールなどが必要。
※ 全国の学生達の支援を活用出来るシステムが必要。
⇒ 現地ボランティアが無理でも、金銭的援助が無理でも
やれることをやりたいと考える若者は沢山います。

□ 教材配布

※ 検定教科書は恐らく紛失数調査後に無料で再配布されると思いますが
検定外教科書はどうなのでしょう?それが心配です。

私自身が出来ること

□ 学内デジタルサイトの提供

⇒ 1998~2003辺りのものが多いのでお役に立てないかもしれませんが少しでも役立つのなら。

□ 教材の提供

⇒ Word文書ばかりなのでスマホ端末などでは学習しづらいですが、タブレットなら。

□ 有志に働きかけること

⇒ それぞれのお立場もあるし、組織全体が動くのは難しいでしょうが、それでも何か出来ること があれば、それぞれが無理をしない範囲で協力を呼びかけること。
自分の日常はきちんと生きながら、それでも苦しんでいる人たちがいるなら
出来ることをしっかり出来るように頑張っていきたいです!

熊本の現状と今後の課題

24 日曜日 4月 2016

Posted by ESN英語教育総合研究会 研究員ブログ in samejima-blog

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熊本の知り合いから状況を報告して貰いました。
現場に見に行って調査した訳ではありませんが
ご丁寧にご報告頂けたのでご紹介致します。

小学校、中学校、高校ともに、5月10日まで休校。

すぐにでも学校が始められるところもあるようですが
避難所になっている場所が多く、すぐに再開は難しいとのこと。

教科書までないという子ども達は少ないようです。

もちろん、家が全壊して帰れないという人たちも多いから
そういうご家庭は学習や教材どころではないでしょうね。

学校関係者の話によると、学校の再開が子ども達のストレス解消にも
なるとので、仮設住宅などの整備が進むのが今は一番重要かなと思います。

南阿蘇と益城は壊滅状況で、学校再開には程遠い状況のようです。

現状把握、ニーズ確認も大変ですが、
実際に支援出来るシステムが不在なのも残念です。

いつ何が起こるか分からない国であるにも関わらず、防災対策にすら十分に
人もお金も掛けられないという現状なのかもしれません。

それでも、「何か出来ることはないか?自分に出来ることをしたい」
と声を掛けてくれる卒業生や、ご退職なさっているのに
関連企業に問題提起をして下さる方もいらっしゃいます。

それぞれの日常を超えて支援することは無理でも
出来ることをやろうという志を持った人たちは沢山います。

なんとか、そうした力を具体的に活かせるシステムの構築に
微力ながら力を尽くせればと思いました。

被災地のために出来ること 是非力を合わせて被災地の子ども達のために動き出そう!

24 日曜日 4月 2016

Posted by ESN英語教育総合研究会 研究員ブログ in samejima-blog

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教員として出来ることはないかとぼんやり考えていたのですが
今朝のネットの新聞記事を見て思いついたことがあります。

「熊本地震 15万人授業受けられず 県内小中高生の75%」

http://mainichi.jp/articles/20160424/k00/00m/040/087000c

校舎は耐震化が不十分で授業出来る状態ではない。
避難所として使われている学校も多く、授業どころではない。

学びたくても学べない子ども達がたくさんいます。

何をしたらいいのか?色々考えて整理してみました。

① まず現地のニーズを掴むこと。
② ICTを活用して幅広いニーズに答えた教育発信をすること。
③ 電気に依存しない教育支援(教科書や問題集のような教材を届ける)
④ SNSを活用し、教員だけでなく、大学生や中高生の学習支援を作ること。

私一人の悪い頭で考えられることはこんな程度ですが
「何か自分に出来ることはないか」と考える教員や学生はきっと多くいるはず!
教育産業に関わっている多くの方々の力も是非お借りしたいです!

今の私は力不足で、こんな場で呼びかけることしか出来ませんが、
空振りに終わっても、勇み足に終わっても、とりあえず
色々なところに呼びかけてみたいと思っています。

教わること 学ぶこと アクティヴラーニングについて考える

17 日曜日 4月 2016

Posted by ESN英語教育総合研究会 研究員ブログ in samejima-blog

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今回は、私自身の小学生時代を材料に考えてみました。

「アクティヴラーニング」という言葉が流行っている。

職員会議でも、「今の時代ではアクティヴラーニングの実践が必要。
皆さん、是非チャレンジして下さい」といった発信を聞くようになった。

気になるのは、まるで「よい授業の条件」として「アクティヴラーニング」
が捉えられていることだ。

逆に言うと、その捉え方そのものが、実は「アクティヴラーニング」を
表面的な授業形態、目に見えるものとして捉えている浅薄な意識を
露呈しているようで残念な気持ちになるのは私だけだろうか?

私が小学生の頃、つまり、1970年代の中ごろだが、
発表授業というものがあった。

記憶に残っているのは2つ。

1つは、影絵の発表。小学校3年か4年の時。

脚本・演出は私がやった。それぞれの役を決めてオリジナルの影絵劇を
生徒だけで創り上げた。ストーリーは覚えていないが、色々な動物を登場人物にして
クラスメートのキャラに合わせて割り振った記憶がある。

楽しかったという思い出はあるが、細部までは思い出せない。
それでも、「知識」ではなく「経験」という貴重な宝を与えて
頂いたことに感謝している。

もう1つは、歴史の授業。小学校4年か5年の時。
班毎にテーマを決め、OHPを使いながら
生徒が発表型の授業を行うものだ。

私たちの班のテーマは「聖徳太子」。
今でも記憶に残っている。

アクティヴラーニングとは何か?を考える際には
私はこうした自分の経験を出発点に考えることにしている。

仮に先生が指導法を工夫して「聖徳太子」のことを教えてくれたとしても
なかなか「記憶」に残らなかったかもしれない。

アクティヴラーニングの最大のメリットは、「発表」というゴール
よりも、「発表に至る過程」と「発表後に定着する知識」にこそあるのではないか?

高校時代(1985)に保健の授業でも発表型の授業があったが
「発表」そのものは原稿棒読みに近いひどいものだったと記憶しているが
「睡眠」をテーマに「寝る子は育つ」という言葉の真偽を調査学習した
ことはよく覚えている。成長ホルモンの分泌が睡眠時に行われるというもの。

教員からただ教わる、というだけでは、もしかしたら興味も持てず、知識も定着しなかった
かもしれない。

要するに・・・

最近、アクティヴラーニングが流行っていて、授業形態・様子などが
クローズアップされていますけど、そこじゃないのでは?

ということです。つまり、教員からの知識伝達よりも遥かに多くのことが
身についた生徒の方に注目しないと、アクティヴラーニングの成果なんて
分からないのではないかと思います。

教員や授業風景ばかりが取り沙汰されているうちは
単なるブームでしかないのかなと思う今日この頃でした。

「夢があふれる社会に希望はあるか」(児美川孝一郎 著 ベスト新書)キャリア教育の問題の底にあるのは何か?

11 月曜日 4月 2016

Posted by ESN英語教育総合研究会 研究員ブログ in samejima-blog

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面白かったです。1時間程で一気に読んでしまいました。

児美川先生とは直接面識はないのですが、先生のご講演を聞く機会があり
その時おっしゃっていた、

「なりたいもの症候群」

「なりたかったものになれなくても、大半の人は幸せになれる」

といったお言葉がとても印象に残っていました。

今回、先生の最新の著書を読んでみて、改めて「その通り」と
納得することが多かったのですが、それは、私のキャリアを振り返った時に、
まさに自分自身が体験してきたことそのものだったから
だと思います。

□ 時代の空気=「自分らしさ」⇒ 自分にしか出来ないことにこだわる

□ 「人のために生かされる恐怖」「人のために生きなければならない環境へのストレス」

□ 時代の空気から自由に=3つの要素のバランス生成

⇒ ライクワーク: 自分の好きなことをやる
ライスワーク: 食べるために働く
ライフワーク: 社会の中で、他者のために自分を活かす

80年代は私には辛い時代でした。母子家庭で経済的余裕がなく、毎日のように
バイトにあけくれていた私のそばには、「インドまで自分探しに行った」
「スカイダイビングをして世界観が変わった」といった「自分探しのエキスパート」が
「うようよ」いて、「お前つまらない奴だなぁ」と言われている気が常にしていました。

親の影響でマスコミへの道を考えたこともありましたが、「攻略本」などの中には
「徹夜マージャンで勝負強さを発揮するといったところに自分の個性のPRポイントを」
といった話まであり、くだらないと吐き気がしつつも、マージャンなんてやる金も時間もないし、
と生まれた時代や境遇を恨んだりした時期もありました。

「自分らしく生きられない」「自分のために自分を生きられない」

そうした思いが若い頃の私の中で大きな不満としてくすぶっていた記憶があります。

それは、「夢が見つからずに苦しむ若者」や「夢を実現出来ない無力感に苦しむ
若者」の中に芽生える感情と共通したものがあるのかもしれません。

ただ、「目の前の生徒達のためになりたい」という気持ちから、教員として自分にやれる
ことを全力でやり続けることを通して、「自分のため」「人のため」といった
二元論から徐々に私は自由になれたような気がします。

教員になったのも、私にとっては「キャリアプラニング」ではなく
「プランドハプンスタンス」だった訳ですし。

児美川先生は、「やりたいこと」「やるべきこと」「やれること」の3つの
円が重なるところで夢が見つかるのがベストだと書かれていますが、
私自身が苦しみながら到達したことは、まさにそうしたことだったと思います。

実は、二中高時代の卒業生の一部は「同窓会でのカミングアウト」で知っていますが、
今の私は「パラレルキャリア」を実践しています。
こんな言葉見たことも聞いたこともなく、今回この本を読んで知ったのですが、
「これ私のことだ~」とびっくりしました。
注目され始めてたんだ、こういう生き方(笑)。

学生時代に実は大きな「夢」があって、それは教員をやることで実現出来る
ものではなかったのですが、40歳を超えてやり始めたことがあります。

もちろん、そちらをメインにすることは今の私には出来ませんが
でも、やっている時の楽しさ・充実感は教員の仕事では味わえないもの。
しかも、一人ではなく、同士とやれることが、私にとっては奇跡的な幸福です。

この本は若い人に読んで欲しいし、激務に追われている多くの大人にも
是非読んで欲しい素晴らしい本だと思います!

さて、この本の中で「夢を持つことを異常に煽る脅迫社会」=日本 のこと
が出てきます。

これって、「キャリア教育」だけの話でしょうか?

「グローバル人材」「アクティヴラーニング」「発信型人材教育」

日本って、いつも「脅迫社会」なのかな?と改めて感じてしまいました。

「一億総火の玉」「ぜいたくは敵だ」の時代から、あんまり変わってないのかな?

TOK (知の理論)読み始めました! 同一労働同一賃金問題を考える!

10 日曜日 4月 2016

Posted by ESN英語教育総合研究会 研究員ブログ in samejima-blog

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ESN総合代表の久保先生が翻訳監修されている
「TOK(知の理論)を解読する」を読み始めました。

http://www.amazon.co.jp/dp/4865310991

まだ前半ですが、面白いですね。
これから学問をする大学生はもちろんですが
受験勉強をする高校生にもぜひ読んでほしい本です。

私自身は学生時代に「現象学」に興味を持ち
独学で学びんだ頃のことを思い出しました。

「真実」だと思われていることの土台が
いかにあやふやなものなのかを感じ
「知る」ということがどういうことなのかを
あーでもない、こうでもないとひたすら考えていましたね。

TOKは哲学を学ぶというより、諸問題への哲学的な
アプローチを教育の場でどう実践するかを提示してくれる
ような予感がしています。
まだ前半しか読んでいないので
あくまで「予感」ですが・・・。

さて、今回は以下の記事を私の我流CT的なアプローチで
読み解いていきましょう。私の勝手なTOK実践例です(笑)。

「同一労働同一賃金」の問題です。

卒業生の中にもアルバイトを始めた生徒も
いるようなので、是非興味を持って読んで貰えれば幸いです。

まずは以下の記事から。

「同一労働同一賃金」で企業が恐れる「給与差」立証責任
人事の目で読み解く企業ニュース【44】 2016.4.8

http://president.jp/articles/-/17774

記事の詳細はリンク先で読んでいただくとして
以下の点を押さえて考える必要があるでしょう。

□ 「同一企業内の」同一労働同一賃金を目指す改革であること。
□  正社員と非正規社員の格差解消を目的とすると提唱されていること。
□  過去の裁判判例では「同一賃金同一労働でなくてもよい」との司法判断が日本では優位であること。
□  欧米では「同一労働同一賃金」が原則であるが、例外も認められていること。
□  政府が目指す法改正では、「同一労働でも同一賃金でないことの根拠」を労働者でなく
雇用者(企業側)が立証責任を負うこと。

さて、小難しくしても仕方がないので、少し話を具体的にして
問題を分かりやすく考えてみましょう。

アルバイトで時給1,000円で働いたとします。例えば、コンビニのレジ。
同じ仕事をする正社員がいて、時給に換算すると2,500円貰っていたとします。

当然、アルバイトの方は不公平感を持ちますよね?

あのおばさん、私よりレジ打ち遅いのに、なんで私よりお金貰えるの?
まぁ、それは大目に見るとして、同じ仕事しているのに、どうして
私よりお金貰えるのよ?納得いかない!

この主張に正当性を認め、「同じ仕事をしたら、正社員・非正規に関わらず
同じ賃金を貰えるようにしよう!」というのが今回の改革の趣旨。

だと、見えますよね?もし、違反して裁判になったら、企業側に同一賃金
ではないと判断した根拠の立証責任まであるのですから、非正規労働者に
大いに有利な改革に見えます。

もしかしたら、選挙権を持つ年齢が18歳に引き下げられたことで
若年層の支持が欲しいから打ち出された政策なのかもしれません。

まぁ政治的な判断は別として、ほとんどの人は

□ 同一労働なら同一賃金であるのは当然
□ 弱い労働者を守るために、企業側に給与格差についての説明責任があるのは労働者側に有利
□ 自分が得をするかどうか?

といった程度でこのニュースを捉えてしまうのではないでしょうか?

でも、TOKやCTといったものに触れて勉強している人にはきっと、別の捉え方が生まれる可能性がある。

① 「労働」を「同一」を判断する根拠は何か?
「労働を同一」と判断出来るとすれば、「労働」は数値化、または客観的評価で測定可能でなけ ればならない。

②  「同一賃金」ということは、「全体賃金の上昇」を必ずしも意味しない。正規社員の給与を
アルバイトと同じにしても「同一賃金」は実現可能。

③  日本の司法は何故「同一労働同一賃金」でなくともよいと判断してきたか。欧米の労働市場
と日本の労働市場の間に相違はないのか?

こうした視点や疑問を持ち、考える根拠とするのではないでしょうか?

それぞれの視点・疑問点について簡単にまとめてみましょう。

①ですが、「同一労働」という言葉で、私たちは「全ての労働が比較可能、数値化可能なもの」
という「幻想」にミスリードされてしまいます。

同じ仕事なら同じ給料でしょ?

でも、ちょっと考えてみれば、「労働」はそんなに簡単に「同一」と判断出来るものではないですよね?

レジ打ちの仕事でも、ちょっと気を付けて観察していれば、センスのある仕事をする人とそうでない人がいる。相手のことを考えてスキャナーを通した商品を籠に入れる人もいれば、雑な人もいる。
客の顔を覚えて、相手にあった接客が出来る人もいる。愛想がなくて不愉快なレジ係がいるから
あそこの店では買い物したくないと思われる人もいる。

「同一労働」という観念は、「労働」から「他者との比較を可能にする単純に数値化出来る労働」
以外の「労働」を全て排除する可能性がある。

「経験」も「センス」も、その世界では意味を持たなくなってしまう。

もちろん、私は「正規」と「非正規」の給与格差を肯定しませんし、「人件費カットの有効な手段」
として「非正規」を活用する企業や組織が大嫌いだし、「社会を悪くする元凶」だと考える立場です。

ただ、改善を目指す立派な方策であっても、別の問題を生みかねないのだから、慎重に検討すべき
だと考えますね。

②は直感的に「やばいのでは?」と感じました。
「能力給」「仕事給」といったことが叫ばれた時代があります。

「仕事してる労働者と仕事してない労働者が同じ給料ではおかしいだろう?」

一見正しそうに見えますが、これを悪用した企業もあったんですね。

よく働くAさんに100万、あまり働かないBさんに100万払っていた企業があったとします。
Aさんの不公平感を利用して、社長はAさんに120万払い、「君は優秀だから」と褒めます。
で、Bさんには50万払い、「君は仕事出来ないから」と厳しい姿勢で臨みます。

さて、一番得をしたのは誰でしょうか?

もちろん、200万の人件費を170万にした社長ですよね?

全体の人件費を下げることが目的で、仕事をする人の待遇を良くするというのは
手段でしかなかったということです。

仮にAさんとBさんがこれまでのパフォーマンスの120%の仕事をしたとしても
全体の給与を120%にするという選択肢を取る企業はあまりなく、
「能力給」「仕事給」が上手く機能しなかったケースも多く出てしまいました。

今回の「同一労働同一賃金」は果たして、全体の「賃金」を上げることを目的にしている
のでしょうか?あるいは、当初の目的がそうだったとしても、全体賃金の引き上げを実現
するのでしょうか?

景気回復のためには、労働者の賃金を上げ、消費活動を活発にしなければならない。
消費活動が活発化すれば税収も増え、経済が活性化し、成長も見込める。

しかし、ルーズベルトがニューディール政策の中で最も苦労したのが、労働者の賃金の引き上げ
でした。不景気、デフレを改善しようと公共事業を増やし、雇用を作り…。
私は経済の専門家ではありませんが、世界史を勉強すると、「アベノミクス」がやろうとしている
こともルーズベルトと同じようなことではないかという気がします。

でも「歴史は繰り返す」の言葉通り、ルーズベルトがぶち当たった壁と現在の日本の政策が
苦労している壁も同じ・・・なのかもしれませんね。

先ほどの「仕事給」「能力給」の例のように、今回も良かれと思ってやったことが
全体として見れば労働者の不利益に繋がらなければよいのですが・・・。

「ルサンチマン」、つまり人の負の感情を利用して権力者が私腹を肥やすパターンは
もう見たくないものです。

③については記事の中で触れられているので、そちらを参考にしてみて下さい。

同じようなタイプの工業国でも、「消費活動に積極的ではないドイツ」
と「内需が大きい日本」ではグローバル市場の必要性が大きく異なるため
企業のグローバル化に対する意識が異なるのと同様に
置かれている環境の違いを無視して議論をしても意味がないですからね。
「同一労働同一賃金」・・・こんな当たり前のことが何故日本では出来ないの?

といった単純な思考ではなく、

「自分は他に比べて損をしているのでは?」

といった単純なルサンチマンにとらわれるのでなく、

きちんと考えて、きちんと判断出来るようにしたいものです。

自分自身への反省も含めて、考えてみました。

 

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