今日は学内で発行されているScience News Letterでの私の記事についてご紹介します。

Science News Letter は本校の理科の先生が中心となって発行している生徒向けの理科通信です。とりまとめを行って下さっているK先生は、IT機器の使い手ですし、常に新しい教え方を考え生徒に良質な授業を提供している研究熱心な先生です。人間的な魅力もあり、理科以外の先生方も記事を書くようになりましたが、私も2回ほど書かせて頂きました。今回は最近発行された2回目の記事をご紹介致します。

今思いついたのですが、こうした試みも学校を超えて行えるとさらに楽しくなりそうですね。教員発信だけでなく生徒からの発信もあれば、「学ぶことの楽しさ」が共有出来たり、「学ぶことの苦しさ」から抜け出すチャンスが見えたり・・・。それは、今後考えるとして、それでは以下、記事をご紹介させて頂きます。

みなさんごきげんよう。高校3年生に英語を教えている鮫島です。投稿は2回目になります。前回はRPGの製作についてお話をしました。理系音痴の私が2回目の原稿を書くとは思っていませんでしたが、文系の生徒にも理科に興味を持って貰えれば幸いです。今回は「量子論」について文系頭の私がお話しさせて頂きます。

Scienceという言葉はラテン語のscientiaという言葉が語源なのですが、「scio=知る」の派生語で、本来は感情や信仰から区別された、理性的あるいは知的な全学問を指すものだったようです。

感情や信仰から自由になり、仮説を地道な観察や実験により実証していく科学。科学のおかげで私たちの暮らす現代社会は便利で豊かなものになっているのは間違いありません。

科学に惹かれ、知的好奇心を持って理科という科目に関わる人が大半だと思うのですが、私の場合には、ちょっと違います。

私は「自分の今の世界観」を壊すために科学に興味を持つことが多いです。「世界」の真の姿を少しでも理解しようというアプローチからすると、「邪道」だと思われるかもしれませんが、こういう興味の持ち方があってもよいのではないかと思い少しお話をさせて頂きます。

実はE S N 英語教育総合研究会という組織で特任研究員をしているのですが、研究員ブログを依頼され月に数回程度更新しています。このブログの中で「量子論」という言葉を使ってコメントをしたことがあるのですが、この「量子論」について聞いたことがありますか?「光は粒子と波の両方の性質を持っている」とか、量子論を批判したアインシュタインの有名な言葉「神はサイコロを振らない」といった不確定性原理については聞いたことがある人も多いかもしれませんね。私は高校生くらいの時に触れて、それまで持っていた「世界観」がぶっ飛びました。

文系頭の私が、「量子論」について基礎から詳しく説明することは出来ませんので、有名な「シュレーディンガーの猫」というお話を紹介したいと思います。

1935年にドイツの科学雑誌でシュレーディンガーという人が「量子力学の現状について」という論文を発表しました。これは少し残酷な「思考実験」です。

鉄の箱の中に放射性物質と放射線の検出装置、毒ガス発生装置を置きます。放射性物質が原子核崩壊を起こすと放射線を放出します。放射線検出装置はそれを感知すると毒ガス発生器に信号を送り毒ガスを発生させる仕組みになっています。この箱の中に猫を入れます。放射性物質が崩壊すれば猫は死に、発生しなければ猫は死にません。箱の中に猫を入れたまま蓋をした時、果たして猫はどうなるのか?

普通の世界観であれば、蓋を開けようが開けまいが、猫の生死は観察者の有無に関わらず決まっていると判断しますよね?ところが放射性物質が原子崩壊を起こすか起こさないかは「ミクロの世界の現象」であり、それは「確率」によって決定されると「量子論」は考えます。もっと正確に言えば、「原子崩壊を起こした状態」と「原子崩壊を起こしていない状態」が重なり合っていて、「観測」をすればたちどころに原子崩壊の有無が判明します。しかし、「観測する前」の状態については、それは確定していないのだ、という世界観が量子論の世界観なのです。つまり、観測によって原子崩壊の有無が確定する前には、箱の中のネコの生死も重なり合った状態でどちらにも決まっていない、というのです。

いかがですか?にわかには信じがたい話ですよね?でも「量子論」が正しいとするとこうしたとんでもない話を信じざるを得ないことになってしまうのです。

まだ、この奇想天外な話の素朴な疑問に答える絶対的な答えは見つかっていないようですが、高校生だった頃の私にはこの話は大きな衝撃でした。

まず、「私たちが信じて疑わない常識的なものの見方」が実はそうではないのかもしれないという大きな「不安」に似た感情。科学が発達したとは言え、この「世界」について私たちが「分かっていること」は実はごく僅かなのです。「天動説」を信じて疑わなかった時代の人々と私たち現代人の間にある差など宇宙の神秘から見れば塵のようなものかもしれない。

そして何よりも私が感銘を受けたのは、「世界が観測者の有無によって姿を変える」という部分でした。「量子論」という科学のほとんどを理解していない私ですが、今でもこの「世界観」には大きな魅力を感じています。

君たちの中にも、「どうせ世界なんて私がいても、いなくても変わらないんだ」と思っている人はいませんか?私はHRで生徒にこう言ったことがあります。

「一人欠けても、世界は同じようには動かない。たとえ何も言わず、いるかいないか目立たない存在であったとしても、世界は一人の人間の存在によって姿を変える」

こうした世界観は高校生だった頃に受けた「量子論の世界観」によって生まれたものです。もし、「量子論」に触れていなければ、そうした「世界観」を持つにはいたらなかったでしょう。

つい最近のことですが、「ドワンゴ」というIT企業の代表取締役の川上さんが、池上彰さんとの対談の中で似たようなことをおっしゃっているのを目にしました。

ライバルに真似をされないアイデアを次々に生み出す川上さんに対して、池上さんが「その秘訣は何ですか」とインタビューで質問したのですが、それに対する川上さんの答えは意外なものでした。

本を読んでいる時にピンとくることが多いんですかね。僕がよく読むのは理数系の本です。実はこれがビジネスにも役に立つんですよ。「あ、この中で説明しているモデルは現実のコンテンツを作る時の考え方と似てるな」という瞬間があるんです。(中略)そうやって分野を超えたアナロジーが適用出来ることが「役に立つ」ということだろうと思います。(池上彰著 「これが世界のルールだ」(文春 e-book)

最近の日本人は「イノベーション」を起こすことが出来ないとよく言われます。だからActive Learningだ!プレゼン中心の授業展開だ!なんてことが盛んに言われるようになっていますが、私はそうした空気に違和感を感じざるを得ません(正直うんざりしてます)。

学んだことを有機的につなげ、新しいものを生み出すためには、「何でも貪欲に吸収しよう」とする意志と意欲がなければならないのではないでしょうか?自分の意見を人前で堂々と発表できる能力はもちろん重要ですが、人前でベラベラしゃべる人が革新的なアイデアを持っているかというと必ずしもそうではないですよね?主体的に授業に関わるアクティヴ・ラーニングも重要だし、そうした素養は社会でも大切不可欠ですが、中身もなく関わられても組織にとっては迷惑なだけですし(笑)。

「文系」「理系」といった枠にとらわれず、興味を持ったことは何でも貪欲に学びましょう!まだまだ世界は「謎」に満ちていますし、君たちが出会うことで姿を変え生まれる「未知のもの」が数多く存在しているのかもしれませんから。

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