徒然に・・・
数学が出来る人は論理的にものを考えることが出来る。

一見正しそうですが、本当にそう言えるのか?

囲碁や将棋の達人だからと言って
他の様々な戦いで求められる戦略や戦術に長けているとは
限らないし、その素養があるとも言い切れない。

ケースバイケース。
ある能力を他の場面で応用出来るかどうかは
その人次第。

数学が出来て、論理的思考力が高くて
日常生活における活動でも論理性を重視して
公正にものを考え発信出来る人もいれば
論理は度外視で偏見や感情に流される人間もいる。

そもそも数学が出来れば、日常生活においても論理的にものを
考えるはずだといったアプリオリな発想を無意識・無批判に
疑わない姿勢そのものが論理的ではない訳で・・・。

関係ないけど、数学が出来ても家電の配線一つ
きちんと繋げない人もいる(笑)。
ま、可愛いものだが。
数学が出来る=理系という図式すら怪しい。
ただのイメージだ。

現実の世界は、教科ごとに区切られた世界ではなく
知識、経験、直観などあらゆる能力を駆使して
認識、分析、発見、伝達、表現をしていかなければ
ならない。

だから教科横断的な試験が必要…。
かと言えば、それはそうとも言い切れない。

PCの知識がある人にも様々なタイプがいて
マニュアルを熟読して精通する人間もいれば
とりあえずやってみて頭を打ちながらスキルUP
する人間もいる。

数学しか出来ないけど、それを極めて留学して
語学に精通して、異文化に触れているうちに
世界史や美術に興味が湧く人生だってある。

要するに、自分を鍛えようとする向上心
学ぼうとする意欲をしっかり持つことの大切さを
日常に忙殺されながらも、いつまでも持とうと出来る
姿勢を若者、いや一人でも多くの人間が持てるようになればいい。

私たち教員の仕事はただきっかけを準備するだけだ。

最近、改革、改革とうるさい世の中になった。

閉塞した現代という時代の中で、従来型の教育で育成された人材
が苦しんでいるからといって、別のタイプの教育で育成された人材なら
イノベーションを起こせる…はず?

これも怪しい。
従来型の教育が実現していることを放棄して
新しい魅力も手に入らないリスクもある。

過去の成功モデルに寄りかかることも危険だし
思いつきレベルのモデルに切り換えるのも無責任だ。

もっと人間は複雑なはずだ。

時には負荷をかけ鍛え
時には潜在的な興味を引き出す。
多くの人間の地道な日々の関わりが
人を育てるきっかけを作る。

先は見えない。芽が出るかも分からない。
でも、信じて関わることしか私たちには出来ない。

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